第26章 ハワードの軍
チェルニア国の東側からは、ハワード卿が率いる三千のシェーンベルガー軍がすさまじい勢いで敵国へ攻め入っていた。チェルニア軍の兵士たちは、ハワード卿の精強な軍を相手に、なす術がなかった。
ハワード卿は五人の兵士を剣一振りで、一気になぎ倒す猛烈さだった。戦闘が始まってから、半刻も立たないうちに、ハワード卿の軍は、敵の本陣に迫っていた。
敵の本陣には、マールセン国王の片腕といわれるヨハンセル将軍が、五千の兵を率いて、控えていた。
チェルニア国の東側から攻めてくるシェーンベルガー軍を率いるのが、ハワード卿だという密偵からの報告を受け、ヨハンセル将軍が迎え撃つことになったのだ。ハワード卿の、尋常ではない剛勇さは、西方諸国に知れ渡っている。チェルニア国全七千の兵のうち、五千の兵をもヨハンセル将軍自らの軍にさいたのだ。チェルニア城にいるマールセン国王のもとには二千の兵士か残っていない。
ヨハンセル将軍は、ハワード卿の軍が、チェルニア軍勢をものともせず、すぐそこまで迫っているという報告を受け、自らも馬にまたがり、マントを翻して(ひるがえして)進軍することにした。
全ての者にとって、これが初陣なのだ。
ヨハンセル将軍はシェーンベルガー軍の強さを思い知らされた。戦の中に命を捧げることがどういうことなのか、ヨハンセル将軍も、誰も彼も知らなかった。
近衛兵を従えながら、軍を率いて馬を駆るヨハンセル将軍の前に、チェルニア国の旗を持った兵士が、馬に乗ってこちらへ向かってくるのが見えた。ヨハンセル将軍は手綱を引いて馬を止めた。兵士は血まみれの鎧を身にまとい、ヨハンセル将軍の前まで進み出た。
「ヨハンセル将軍! 東に陣を置いたチェルニア第一部隊、第二部隊、全滅です! 今ここに、ハワード卿がシェーンベルガー軍を連れてやって来ます」
兵士は息を切らしながら、これだけのことを言うと、力尽きたように馬から崩れ落ちた。
ヨハンセル将軍はその様子をみて、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。東に陣取ったチェルニア軍は五千。そのうちの四千を失った。残りの一千の兵で敵に勝てるのか?
ヨハンセル将軍は、生まれて初めて死を予感した。これは訓練ではない。敵は本当に自分を殺しに来るのだ。彼は声をのみこんだ。
倒れた兵士の報告を横で聞いていた近衛兵たちが突然、馬の首を反対に向け、逃走し始めた。歩兵たちもそれを見て、逃げ出し始めた。
「待て! 逃走は許さん!」ヨハンセル将軍がそう叫んだのと同時に、逃げ出した近衛兵たちの馬が一度に止まった。
馬に乗っていた近衛兵たち全員が地面に倒れている。歩兵たちは悲鳴を上げて一斉に四方八方へと、逃げ出した。
目の前に、馬に乗り、全身に返り血を浴びた鎧の大男の姿がある。男の向うには何千もの敵の兵士の姿があった。
「我が名はハワード・タプファー・トリステン。貴殿はヨハンセル将軍とお見受けした」男の低い声が言った。
その男は鮮血の付いた血を払い落し、ヨハンセル将軍に向かって走り寄ってきた。ヨハンセル将軍が剣を抜いた次の瞬間、将軍の首が勢いよく空中に舞った。ヨハンセル将軍の首のない身体が馬に乗っている。首のあったはずの場所から血がふきだしている。歩兵たちは腰を抜かして呆然とその光景をみている。
ハワード卿が馬の手綱を操りながら、チェルニア軍の方に身体を向けた。そして大声を出した。
「チェルニア軍の兵士に告ぐ! 無益な殺生はしない。生き延びたい者は剣を置いて、この場を立ち去れ!」
その声の轟が、チェルニア軍の兵士たちに間に響き渡った。初め、チェルニア軍の兵士たちは動くことができなかった。ある一人の兵士が急に大きな悲鳴を上げ、剣を置いて走り出した。それを合図にしたかのように、残った兵士たちも一斉に剣を置いて逃げ出した。一千もの人間が一度に逃走する光景は、まるで引き潮のようだ。ハワード卿とシェーンベルガー軍は、その場に佇んだまま、逃走する兵士らを見送った。




