第9章 拉致
ブルクミラン国王は、シェーンベルガー国からの、トレイシアの招待を快くは思っていなかった。反対はしなかったが、トレイシアの身を深く案じていた。
一方、トレイシア自身は意気揚々(ようよう)と出発の準備を進めた。シェーンベルガー国からの迎えの馬車を断り、数人の騎士達を連れて、馬で向かうことにした。彼女にとってはその方が動きやすいし、馬車の中に五日も閉じ込められるのは退屈極まりないと考えたのだ。
王妃はあからさまに反対した。しかし、トレイシアは母の言葉に耳を貸すことはなかった。二人は出発の日まで言い争っていた。
出発の明け方、トレイシアは、セルス、ノートン、レディスという三人の騎士だけを従え、シェーンベルガー国へ向けて、馬に乗った。王妃がトレイシアに駆け寄り、涙を流した。行かないで欲しいと訴えた。まるでそれが最後の別れになるかのように。ディアナベスもトレイシアの不在を不安に感じていたが、彼女は笑顔をみせ、手を振って見送った。
ブルクミラン国を後にした、最初の夜、彼らはブルクミランの国境付近の静かな農村に宿をとった。王女であることは隠し、騎士たちと、質素な一夜を過ごした。大国の王族には、考えられないことだった。しかしトレイシアは気ままに平民と共に過ごすことに慣れていた。
騎士と馬に十分な休息を取らせるながら、田舎の農村を静かに移動していった。明日の夕刻には、シェーンベルガー国の西の支城に入れる。最短の経路を計画したので、馬車で行くより二日も早く、到着できるはずだ。
翌日の夕方、彼らは古ぼけた宿場町へ着いた。滅多に客は来ない辺鄙な場所だ。
宿に到着した日の夜遅く、トレイシアの泊まっている部屋の扉をたたく音がした。彼女は机に伏したまま眠ってしまっていた。
「トレイシア様。急ぎの伝令です」
一緒に来た騎士のセルスの声だ。トレイシアははっと目を覚まして、椅子からすっと立ち上がり、背筋を伸ばして戸を開けた。セルスがどこか怪訝そうな様子でいった。
「姫に客人がきているのです」
「客人?」
トレイシアも不思議に思いながら、宿の下にある店に降りて行った。
階段の下で宿の主人が、小さくなったような体でトレイシアを待っていた。主人は、店の隅に座る、騎士の恰好をした男を目で指した。
「お客様、お休みのところ申し訳ありません」
宿の主人は心からすまなさそうに言った。
「どうしたのです?」
「あの男、オロフというトスカーラの近衛騎士だというのですが、貴女に今日ここに呼ばれたと申しておりまして……」
主人も胡散臭そうに思いながらも、断れない立場にあることがその落ち着かない様子からうかがいしれた。
「何もお聞きしておりませんでしたので、どうかと思ったのですが……」
「いいわ。会いましょう。セルス」
「はっ」
トレイシアとセルスは男の座るテーブルに近づいて行った。男は振り向き、ゆっくり立ち上がって慇懃に二人に向かって礼をした。
「トスカーラ国、近衛騎士のオロフと申します」
低い静かな声で言った。彼はひげを生やし、父王より少し若い、思慮深い様子の男にみえた。トレイシアは笑みを浮かべて、椅子に座った。セルスは隙の無い眼で男を見つめながら、トレイシアの傍の椅子に腰を下ろした。オロフは低い声で話し出した。
「貴女がトレイシア王女であることを、私たちは存じています。」
オロフは躊躇することなくはっきりと告げた。トレイシアは驚きを隠し、じっとオロフを見つめた。セルスも動かなかった。
「シェーンベルガー国を目指していることも存じております。ブルクミラン国がシェーンベルガー国と手を組むということは、政治的に新たな局面であり、我が国トスカーラで論議をよんでおります。このことを、憂いている国があり、我が国もその一つです。」男は切実な目でトレイシアを見つめた。トレイシアは黙ってオロフの視線を受けた。男は再び口を開いた。
「私は我が国のアロイス王子の命令で参りました。貴女をトスカーラ国にお連れするようにと。」
セルスの目に鋭い光が宿った。オロフはそれを見逃さなかった。
「今、宿の周りを二十の兵士が取り囲んでおります。もしわれわれにご同行願えないならば、姫を連れ去り、宿を焼き払います」
トレイシアはゆっくり瞬きした。セルスがトレイシアの方に視線を向けた。トレイシアの脳裏に様々なことが浮かんだ。ブルクミラン国に密偵が出入りしているのを知っていたが、ここまで情報がつかまれていたことを知らずに、自分の国を出発した、自分を責めた。あれほど秘密裏に出発の準備をしたというのに、どこから情報がもれたのだろう。ジークレッドは迎えを断った私の判断をどう思うだろう。トスカーラ国はどこまで情報を得ているのだろう?
ディアナベスのことを知っているのだろうか。私のことを、私たちの秘密を。
「トレイシア王女、お言葉をいただけますか? 」
オロフが言った。トレイシアはセルスを見た。
「外を確かめて」
セルスは黙ってうなずき、席を立った。そして窓から外の様子をうかがった。オロフの言う通り、カンテラを持った人影が宿の周りを取り囲んでいる。よく見ると武装した兵士だとわかった。セルスは唇をかみ、トレイシアの方を向いた。
「確かです」
トレイシアはオロフに目を移した。
「貴方はアロイス王子から、私を拉致する理由を聞いていますか? 」
オロフは首を振った。
「いえ、存じません」
「では、もしトスカーラ国が私を連れ去るなら、シェーンベルガー国は何らかの報復をするかもしれないとは思いませんか? 」
「私には、わかりかねます。私は騎士の名誉にかけて、貴女をトスカーラ国へお連れするというアロイス王子からの命令を遂行するだけです。」
トレイシアはオロフを見つめた。これはシェーンベルガー国を牽制しようと宣言するようなものだ。シェーンベルガー国は、トスカーラ国の宣戦布告と考える可能性もある。
〈近く、戦争が始まる〉
ジークレッドの言葉が頭をよぎった。二国間の関係については全く知らない。トスカーラ国は争いへと導かれる危惧を理解しているのだろうか?
「オロフ、べつの選択はないのでしょうか? 例えば私がこのまま自分の国へ引き返したとしたら?」
オロフは驚いたように一瞬目を見開いたが、すぐに冷静沈着な表情を取り戻した。
「申し訳ありませんが、私にはアロイス王子のご意向に従うことしたありません。選択の余地は……我々に従って頂くか、否かしかございません」
「貴様らを相手に、退路を切り開き、シェーンベルガー国へ向かうという手もあるぞ」
セルスが凄みのある声を効かせながら言った。オロフは目を細めてセルスを見やった。トレイシアはふっとため息を漏らした。
「もし私がおとなしく従えば、この宿は無事であることを約束できますか? 」
オロフは再び敬意をもってトレイシアを見た。
「私の名誉に、またアロイス王子の名に懸けて約束します」
トレイシアはしばらく黙って考え込んでいたが、やがて静かな口調で言った。
「わかりました。貴方に同行しましょう」
セルスが驚いた顔でトレイシアを振り返った。
「トレイシア様!?」
「私の騎士の同行は許していただけますか? 」
オロフはうなずいた。
「皆様を丁重にお迎えいたします」
トレイシアは立ち上がった。
「すぐ荷物をまとめて支度します。セルス。ノートンに事情を伝えなさい」
セルスは納得できない様子で渋々立ち上がった。オロフもゆるりと立ち上がりトレイシアに礼をした。
「賢明なご決断、感謝いたします」
トレイシアは内心、不安を隠しながら、オロフに笑みを返した。そして二階への階段へと向かった。階段の入り口には宿の主人が心配そうに立っていた。
「すぐに私の部屋に来なさい」
トレイシアは誰にも気づかれぬようそっと宿の主人にささやいた。
二階に戻ったトレイシアは連れの騎士、レディスに事の次第を話した。そこへ宿の主人が、自分の妻の服を持って現れた。トレイシアは服を受け取り、主人を下がらせた。
「レディス、この服に着替えて。私がここを立ち去り、トスカーラ国の兵が引いたら、すぐにシェーンベルガー国に向かいなさい。私の騎士だと分からないように、平民のふりをして行くのです。ジークレッド様に、私がトスカーラ国へ拉致されたことを伝えなさい」
「トレイシア様はどうなさるおつもりなのですか? 」
「トスカーラ国へ行きます。一刻も早く、私の伝言を、ジークレッド様に伝えて。もう時間がないわ。」
下ではオロフが、私が支度をするのを待っている。手紙を書いている余裕はない。
「私のことは心配しないで。務めを果たしなさい。」
トレイシアは、口頭でジークレッドへの伝言を、レディスに伝えた。レディスは頭を下げて、トレイシアの指示通りに服をもって、その場を後にした。
宿の部屋に戻ったトレイシアは、簡単に支度を整え、セルスとノートンの二人の騎士を従えて、オロフのいる一階の部屋に降りてきた。
オロフは立ち上がり、慇懃に深く頭を下げた。
「王女と騎士お二人の身は、命をかけてお守りいたします。」
オロフはトレイシアと騎士らを宿の外へ連れていった。外には二十近い兵士が待っていた。皆トレイシアをじっと見つめている。彼女は毅然として、トスカーラ国が準備した馬の鞍の上に乗った。セルスとノートンもそれに従った。オロフの合図で、トスカーラ軍の一行は、トレイシア王女を護衛しながら、闇の中を、カンテラの光を頼りに動きだした。トレイシアたちは兵士らに囲まれながら夜の行軍を始めた。
トレイシアの騎士、レディスが宿場町から出発して三日目の午後、彼女はシェーンベルガー国の西の城門に辿り着いた。彼女は馬に乗り、町の女のような目立たない質素な姿をしていた。
トレイシア王女からの伝言を持ってきた、と彼女は即刻ジークレッド王に拝謁を申し出た。衛兵は、半信半疑に思いながら、そのことを上官に伝えた。上官はそれをダグラスに話すと、直ちに、その女騎士をジークレッドの元へ連れて行くように言った。
レディスが、ジークレッドの部屋に通された。髪を後ろに束に結い、目立たない服にエプロンをつけ、町娘に扮した女騎士が、進み出ると王の前に跪いた。レディスは初対面の時に感じたジークレッド王の印象に内心、怯えながらも、しっかりとした目で王を見た。自分が命をかけて仕えるトレイシアのことだけを胸に秘めていた。
「トレイシア王女からの伝言を預かって参りました」
レディスは毅然とした口調で言った。昼夜馬を飛ばしてきたのだろう。疲労しきっている様子だ。彼女は確かに、ブルクミラン国の古城の庭にトレイシア王女と共にいた近衛騎士だ。ジークレッドは水を用意させ、彼女を謁見室のソファに座らせた。
「お人払いを」水を飲み干して、一息ついたレディスが言った。部屋にはダグラスがいた。ジークレッドはダグラスの方を見て、再びレディスの目を移した。
「彼は大丈夫だ。用向きを聞こう。何があった? 」
「宿場町で宿をとっていました。そこにトスカーラ国の騎士が訪れたのです。」レディスは、トレイシアが拉致されるまでの様子を詳しく話した。
「姫のご命令で、私は宿の主人の妻の服を借りて、密かに裏口から、抜け出して参りました。」
レディスはジークレッドを真剣に見つめた。
「トレイシア様からのジークレッド王への伝言です。〈自分を取り戻そうとはしないでください。シェーンベルガー国の軍隊がトスカーラ国に向かうような事があれば、戦争になります。ジークレッド王はこのままシェーンベルガー国にとどまってください。自分には考えがあるので、王が出向かずとも、自分でトスカーラ国から戻ります。王はそのままシェーンベルガー国で、お待ちください〉」
ダグラスは呆然とした。彼はジークレッドの様子を見た。ジークレッドは目を細めて、不敵な笑みを浮かべた。
「そうお伝えするように、申し付かってきました。」
レディスは、息をついた。
「レディス。そなた、大した主人に仕えたものだな」
彼女は黙ってジークレッドに頭を下げた。
「私は今の話を聞いて、ますます、じっとしてはいられなくなった。すぐにでもトスカーラ国に出向く」
ジークレッドは鋭い口調で言った。
「ジークレッド王、トレイシア様は王の身を案じて申し上げたのです。そればかりではなく王が動けば、大きな争いになると危惧されておられます」
「それは私も承知の上だ。シェーンベルガー軍は動かず、戦乱にはならない。国王としてトスカーラへ行くのではない。身分を隠し、ひとりの男として、トレイシア王女を取り戻しに行く」
レディスの目が驚きに開いた。
「安心しろ。そなたの王女は私が責任をもって連れ戻す。私の城で吉報を待て」
ジークレッドは心強い目でレディスを見つめた。彼女はもうそれ以上は何も言わなかった。
シェーンベルガー国の広い会議室には、重厚な円卓を囲んで軍務大臣、宰相、外務大臣、そして兵を統率する立場にあるダグラスの姿があった。王座には、肘掛に腕を置き、ジークレッドはすでに決意した目で、円卓を見据えていた。
これはトスカーラの宣戦布告とみなすべきだろう。そしてシェーンベルガー国が兵を挙げれば、周りの国は黙ってはいない。そのまま戦争に突入する可能性があった。
今ここに集う者は誰も戦乱を体験していない。
ジークレッドが口を開いた。
「トスカーラ国王は長く病床に臥せっているが、トレイシア王女を拉致したのは、王位後継者、アロイス王子の個人的な指示によるものであって、国王の知らぬところだと私は思っている」
一同は静まり返って王を見つめている。
「トレイシア王女を取り戻す。ただし先鋭の兵を連れ、私自らが行く。マンスフェルトの森の際を回ってトスカーラ国へ入る」
「王、危険がすぎます」宰相が険しい顔でジークレッドを見た。
「危険は承知だ。万が一に備えて、五千の軍を密かに準備しておけ。周囲の国に、決して悟られるな。」
「王がご不在にされるのも危険です。内乱の機会を狙っている者がいないとは言い切れません。」
「私の不在は知られないようにしろ。私はすぐに戻る」
ジークレッドは、円卓に座っている、軍務大臣、宰相、外務大臣の顔をゆっくり見回した。
「この顔ぶれしか呼ばなかったのは、諸君らを信用しているからだ。」ジークレッドは確固とした口調で言った。「私の信用に応えてくれ」
「五千もの軍を国内で、秘密裏に動かすのは無理があります。兵士たちには家族がいます。シェーンベルガー国内に住んでいる者に全く知られずに、軍を集わせるのことは、かなり難しいかと」軍務大臣が意見した。
「国内に密偵を放て」ジークレッドが言った。皆が驚いた顔をした。
「情報を流す者を洗い出せる良い機会だ。」
「御意」軍務大臣は言った。
「私は五日間で戻る。約束しよう」
「かしこまりました」宰相は深く頭を下げた。
「五日なら持ちこたえてみせましょう」外務大臣が言った。
ジークレッドはうなずいた。
「今夜密かに、出発する。皆、即刻準備にかかれ」




