彼の世界を作るもの
“That's Lily.”
私が毒を吐くといつも魅音はそういって笑う。
生意気なことを言っても弱音を吐いても世間でタブーと言われていることを言っても。
魅音は何を言っても、それが私の本心だったらそう言って笑うのだ。
それが、誰ともうまく関われず誰からも認められていないような気がする私には
なんとなく受け入れられているような気がしてホッっと安心したのだった。
もう行かない、といった魅音と出会ったベンチへ通うようになったのは、
3週間ほど前からだった。
小学校で珍しくクラスメイトに話しかけられた。
「雪ちゃん、その本何読んでるの?」それは地元のバスケットボールのチームに入っていて男子とよく見間違えるほどショートに髪の毛を切っている美香だった。
「アメリカの、小説。」
それは、10代の女の子が主人公のアメリカの学校が舞台となった青春小説。
「へー。面白そう。これ好きなの?」本を渡すと美香はぺらぺらとめくる。
「うわ、長いね、結構。」
「うん。でも6作あるシリーズものなの。」
「えーもっとあるの。」やばっと美香はけらけら笑った。そしてニコッと笑って言う。
「ねえねえ、これかしてよ。雪ちゃんが読んでるなら面白そうだし。」
「いいよ。」私は食い気味に返した。本の貸し借りなんてそんな友達同士がするようなこと一度もしたことがなかったからうれしかった。
「私のお気に入りなの。美香ちゃんも気に入ってくれたらうれしい。」
「ありがとう。じゃあ、借りていくね。」
美香はそういって去っていった。
それから数日後。もう読んだ?どう、面白い?そう美香に声をかけたかったけど、
あんまりせっついてもうざいかなと思って私は何もしなかった。
美香とはそれから目が合うとニコッと笑いあう仲になって、やっと私にも友達ができたのだと嬉しくなった。それから数日たって美香の態度が変わるまでは…。
別に何も言ったわけじゃないのに、したわけじゃないのに、美香は突然私の視線を避けるようになった。
目が合ってもすぐそらす。トイレで手を洗うとき、偶然2人になると美香は走ってその場を後にした。
もしかして避けられている?でもなんで…。わからないまま1週間ほどたったある日の下校時、
私は意を決して美香に声をかけた。
「美香ちゃん。」
「ん?」明らかに冷たい声でこちらに視線を向けず美香は答える。
「あの、本どうだった?」
「ああ。」
「面白かった?」
「…。」
「長いからまだ読み終わってないよね。ごめん。」
「本ならもう返したじゃん。」
「え?」
「こないだ借りた本でしょ。ごめん、長いから読み切れなかった。
だから、下駄箱に入れといたの。」
「え、入ってなかったよ。」
「入れたよ。入れたって言ってんじゃん。」美香は怒ったようにそう言い捨てると同じバスケ友達のもとへと走っていった。
え?なんで?私の頭は真っ白になってしばらく立ち尽くしていた。
しばらくして、もう一度確認してみようと下駄箱を見に行っていつものように上履きしか入っていないのを見ると私はそのまま歩き出した。
なんで。なんで。誰も答えてくれない。
なんで。なんで。
私が悪いの?私の何が美香ちゃんをそんなに怒らせたの。
疑問が頭の中を渦巻く。
じんわりと目頭が熱くなり、とぼとぼ歩く振動で少し零れ落ちた。
悪いことが起こる日は悪いことが重なる。
その日、たまたま家に帰ると兄と父親が喧嘩をし始めて
止めに入りいつものように父親に八つ当たりされ私は家を飛び出した。
自暴自棄。
そんな言葉がぴったりだったと思う。その時の私には。
もう何でもよかった。何か危ないことをしたかった。
できるのならその危ないことの延長でもうこの世から消えていなくなりたかった。
危ないこと。
私はその日、最寄りから隣の駅へ向かって線路伝いに歩き出した。
そして、1つ2つと通り過ぎる。踏切を。3つ4つ。4つ目で私は足を止めじっと見つめた。
カンカンカンカン。警戒心をあおる音が鳴る。
そうか。ここに今は知って飛び込めば…。
怖くなんてなかった。別に一大決心をしたわけじゃなかった。
ただ、ただただもう終わりにしたかった。何もかも。
「何見てんの。」その時、後ろから独特の鼻声がした。
「リリー。何見てんの。」
「別に。何も。」魅音がそこにいた。後ろに前見た黒いバイクを止めている。ヘルメットをかぶったままということはバイクを停めてすぐにこちらへ向かってきたのだろう。
「ふーん。」魅音は私の腕をつかむでもなく、大声を出して止めるわけでもなくただ私の後ろに立っていた。
「ね、今暇?」
「え?」
「バイク、乗る?」
魅音は顎でバイクをしゃくった。
「やだよ、そんな危ないこと。」
「もっと危ないことしようとしてたのに?」
「…。」
確かに。線路に飛び込もうとした人が名前しか知らない大人のバイクの後ろに乗ることを怖がるなんて
おかしい。
「ヘルメット、あるよ。リリーにはちょっと大きいかもしんないけど。」
魅音はそういってバイクに向かってすたすたと歩きだす。
私は黙ってついていった。
魅音のつるつるとしたライダースジャケットを羽織った背中は、普通に立っているのを見ると細いのに
こんなにまじかに見ると意外と大きかった。
でも別に男らしいというか頼りがいがあるとかそんな感じじゃなかった。
私はそんな背中にしがみつき、10分ほど風を切った。
気持ちよかった。
スピードに乗って駆け抜けるのは。
車じゃ自転車じゃ味わえない快感だった。
ブルルルン。といって魅音がエンジンを切ったのはあの公園の前だった。
魅音は先に降りると私を抱き下ろした。
子供とはいえ、別に細くもない私を抱き上げるのは結構力がいるのだろうなと少し魅音がよろけたときに思った。
私は足が着くと、何も言わずに丘の上を目指して歩き出した。魅音も黙ってついてくる。
「もう嫌なの。こうして生きていることが。」
しばらく2人で並んで黙って座っていた。
沈黙を破ったのは魅音のグーグーといういびきで、また寝てるし。と胸の内で思う。
そして、じっと彼のうつむき加減の横顔を見ていたら、私はポロっと言葉をこぼしていた。
「友達がいないことも、それでも学校へ行かなきゃいけないことも、家で両親と暮らさなきゃいけないことも、何をしてもうまくいかないことも、どこかに行きたくてもどこへも行けないことも、全部。
全部もう嫌なの。」私はそう呟いた。自然と涙がぽろぽろっとあふれてきてこぼれた。
手で拭って。黙る。鼻水も出てくるから時々すする。
「ん。」すると、横からポケットティッシュが差し出された。いかがわしい広告の入ったポケットティッシュ。
私がじっとその広告を見ると、ああ。と魅音は言ってその広告を抜きぐしゃっと丸めてポケットに突っ込んだ。
黙ってティッシュを受け取り鼻をかむ。いつから起きたんだろう。
「俺さー、今日レコーディングしてきて昼にテキトーなラーメン屋入ったんだけど、そこのラーメンめちゃくちゃうめえんだわ。」
突然魅音はしゃべりだした。
「…。」
「品川なんだけど。今度連れてってやるから食い行こうぜ。」
「なんで。」
「うまいもん食ってなさそうだから。」
「…。私ラーメン嫌い。」
「マジで。」魅音は今までで1番大きな声を出した。そして信じらんね、ラーメン嫌いな奴いるんだ、とかぶつぶつ言っている。
「じゃあ、お前何が好きなの?」
好きな食べ物…。いつも4月に自己紹介カードに書かされるやつ。私いつもなんて書いてたっけ。
「チョコレート。」
「ああ。甘いもんすきなんだ。飯系は?」
「うーん。あんまりない、かな。」
また魅音は驚いたようだった。そしてしばらく何かを考える。
「ま、お前ちびだしな。」
「子ども扱いしないで。」
「いや、そういう意味じゃなくて。
これから見つけようぜ。と魅音は笑った。その顔はきりっとした目つきの魅音の顔が和らぐ
不思議な初めて見る顔だった。
「好きなもん見つけて、そんでそんなもんばっかで世界を作る。そうやって、俺は生きてるからさ。」
「好きなもんだけ?」
「そ。好きなもんだけ。」
「好き嫌いしちゃだめなんだよ、バランスよく…。」
「いや。俺は好きなもんだけ。そんなつまんねーこというやつ俺は関わりたくないね。」
私は魅音を上から下までじっと見た。長いパーマのかかった茶色の髪、サングラスにライダースジャケット、穴の開いたジーンズ、膨らんだポケットにはタバコとライター。平日でもぶらぶらとして、知らない女の子に声をかけバイクに乗せる。話しているかと思えば突然寝だしたり、寝ているかと思えば突然起きたり…かっこいいけれど、わがままでマイペースで社会規範を脱していてうちの両親は嫌いそうだ。そして、大半の大人も。
「確かに、そんな生き方してそう。」
「してるし。」
「うん。」
「な、お前の好きなもん俺が見つけてやるよ。」
「え?」
「お前が好きになる食いもんも服もなんでも。俺、見つけてやるよ。」
「いいよ、そんなことしなくて。」
「いや、おれが今ふとやりたいと思ったんだ。」
「なんで。」
「面白そうだから。」
「なにが。」
「リリーが。」
「…。」
「へそ曲げたちびがどんなもん気に入って選ぶのか、気になる。面白そうだから。」
俺、やるわ。
魅音はそういった。
次の日から、学校が終わり一度家に帰りランドセルを家に置くと私はあの公園へと足を向けた。
毎日とかじゃないけれど気が向いたら。魅音はいるときもあればいないときもあって、いるときは
コンビニのお菓子とかどっかの国の楽器とかなんだかとりとめのないわけのわからないものをいくつも持ってきては私に見せた。
へーとかフーンとかそんなことを言っているだけだったけど、中には面白かったりおいしかったりするものも混じっていて私は楽しんでいた。
そしてそんな私の反応を心から面白がり興味を持っている魅音と過ごす時間が
なんとなく心地よくなっていたのだった。




