卒業試験前日
「明日から卒業試験だね」
昼食を取りながら考え事をしていると、背後から声がかけられた。けれど気配にはずいぶん前から気づいていたから、特に驚くことなくコップに手をのばした。
「そうね。それが?」
配られた栄養剤を飲み込みながら、なおざりに答える。
背後の人物は、私の前に移動すると椅子を引いた。
「ここ、使っても?」
「どうぞ」
私と同い年くらいの少女――リリアに許可を出す。すると、リリアは席について片手で頬杖をついた。
もう片方の手でコップを揺らして溜息を吐き、恨めしそうに私を見つめた。
「それだけ? 最終試験なんだよ? 死ぬかもしれないのに、イリスは恐いとか思わないの?」
私はリリアを一瞥して、視線を逸らした。
「じゃあ、逆に問いますけど。リリアはどうして恐いと思うの? 貴女には目的があって、それを叶えるために、この訓練場の門を叩いたのでしょう? ならば何故、逃げようとするの?」
「逃げたいわけじゃ、ないんだけどさ」
リリアはコップを放るように置いて、テーブルに突っ伏した。
私は呆れた表情を隠す事無く声をかけた。
「で?」
「……何が?」
「貴女が考え事したってどうにもならない。さっさと話したらどうです?」
リリアは一瞬ぽかんとして、ひどいなと笑った。
「私だって、物思いに耽ることぐらいあるの」
「いいから」
重ねるように強く言うと、リリアは「本当は言うつもりじゃなかったんだけどな」と苦笑して言葉を乗せた。
「さっきイリスは、目的を叶えるためにここにきたって言ったでしょ?」
「はい。リリアは違うのですか?」
困惑して聞くと、リリアは「そうじゃなくて」と顔を歪めた。
「目的はあった。いや、そうじゃなくて、『あったはず』なの。自分の命を懸けてもいいと、そう思えるくらいの目的を『私は持っていた』」
「――どういうこと?」
「何も、思い出せないんだ」
リリアは俯けている顔を、さらに強く腕に押し付けた。
くぐもった声が、彼女の悲壮感を増長させた。
「気付いたのは最近だった。何も思い出せない、わからない。私はどこで生まれて、どんなふうに育って、何のために此処に来たのか、何を成し遂げたかったのか。憶えていたのは、イリスの名前だけだった。自分の名前も呼ばれるまで忘れていた――!」
「なんですか、それ……!?」
リリアは、何を言っているのだろう。
思わず立ち上がり、リリアに近づく。肩に触れると、縮こまったリリアの身体が震えた。
「わ、たし…こわい……! 全部忘れちゃったのに、明日は試験だって言われて! 殺し合いってなに!? なんでそんなことしてるの!? どうして私はここにいるの!?」
「リリア」
私は嗚咽を漏らすリリアを慰めるように撫でて、気づかれないように視線を下げた。
いつも彼女が持ち歩いている鞘が腰にないことを確認し、「カインスさんに会いに行きましょう」と続けた。
「私たちをメンテナンスしている彼なら、理由がわかるかもしれません。わからなくても、頼めば試験を棄権させてくれるかもしれない。何もしないよりは、いいと思うの」
ぐずるリリアを何とか説得させ、椅子から立ち上がらせたのはそれから十分後だった。
○○○
「それはできない」
リリアを棄権させられないか、という問いへのカインスさんの返答は短かった。
カインスさんは寝台に乗せたリリアを見つめたまま、振り返らずに言った。
「この訓練場の門を叩いた時点で、君たちは一般人のように外を歩くことはできなくなった。というより、『外に出る自由』と引き換えに『此処で学ぶ権利』を得た、といったほうが正しい」
カインスさんは、意識を沈ませているリリアに手際よくコードを取り付けていった。
「考えてみろ。此処で教えられるのは、人体の構造と君たちの得物の扱い方だ。どのように刃物を振るえば身体の一部を切り落とし、苦痛を与えられるか。また、弾をどの位置に打ち込めば一瞬で骸に変えられるか、苦痛と恐怖を刷り込めるか。そんなことを学んだ生きる凶器ともいえる君達が、自由に外を歩けるとでも思っていたのか?」
「……」
「だから、卒業試験を受けないという選択肢は存在しない。技術を学んだものを、戦場以外に出すことができないからだ。リリアが選べる選択肢は二つ。一つは『卒業試験を受ける』。もう一つは『棄権して廃棄される』。どうせなら前者を選んで欲しいね。こっちならまだ生き残る可能性があるけど、後者は確実に死ぬから」
カインスさんの言葉に、私は顔を俯けた。
私がこの訓練場に足を踏み入れたのは、兄さんと同じ場所に立ちたいから。
強く、けれどもとても心の優しい兄さんの隣に。誰よりも傷つけるのを恐れていたのに、天才的な技術を持っていたために戦場に立たされてしまった彼を、支えるために。
私は優しくなんてないから、兄さん一人の為に何十、何百の他人を殺すことを厭わない。
でも、リリアは違う。リリアは記憶を失った。理由も、目的もない。それなのに、命を懸けて人を殺せというの――!
「わかりました、カインスさん」
「っ、リリア!?」
驚いて顔をあげると、ぼんやりと目を開けたリリアが笑っていた。
「だって、しょうがないんだよね? 今の私に理由はないし、目的もないけど。『目的のあった私』が、此処に入学してしまったんだから。どうしようもないこと、だから……ありがとね、イリス……」
「リリア……」
寝台に投げ出されている手を包み込むと、リリアは綺麗に笑って瞳を閉じた。
深い昏睡状態に陥ったリリアの脳波を、カインスさんが調べる。しかし特に問題はなかったのか、すぐに機械の接続を切ってコードを取り外した。
それからカインスさんは、ちらりと私をみると隣の寝台に視線を投げた。
「イリス。ついでにメンテナンスしておくか?」
明日卒業試験だから、と言外に示すカインスさんに私は頷いた。
着ている服を全て取り去ってから、リリアの隣の寝台に横たわる。体中に取り付けられていくコードの不快感に顔を歪めて耐え、突如襲いかかってきた睡魔に抵抗せず身を委ねた。