この手で切った絆(6)
「何す……」
アミの叫びに轟音が重なる。
彼女の手を持ったまま、シュタイヤーの指が銃の引金を引いたのだ。
上空に向けて放たれた銃弾に、遠くの巡礼者たちが一目散に走り出した。
「な、何してる。危ないだろ!」
たなびく硝煙。
空に突き出された腕を、シュタイヤーはゆっくりと下ろした。
発信装置を生かしておく危険を、彼は恐れたのかもしれない。
「シュタイヤー?」
疑惑に対して腹をくくる間もない。
アミの疑問は自然に口をついて出てしまった。
「シュタイヤー、どうしてドイツなんかと結んだ? 金か? そんなことないだろ。なにか深い事情が……」
シュタイヤーはこちらを向いて少し顔を俯けた。
笑わない彼の口元に、うっすらと笑みが浮かんだようでアミは怯む。
「アミ、お前の家族がドイツ偽装船に襲われたのは何年前だ?」
「お、覚えてないけど、わたしが六、七歳のころだから……七、八年くらい前かな? でも……」
何が言いたいのだ、この男は。
戸惑いながらの彼女の答えを、彼は途中で遮った。
「おかしいとは思わないのか? その歳で、襲撃以前の記憶がないというのは」
「う……?」
思考が停止し、アミは押し黙る。
頭の中はいつもの混乱に苛まれていた。
「……本当に馬鹿な子だ。考えるということをしない」
眸を伏せて、シュタイヤーは吐き捨てる。
「ドイツ軍偽装船による他国籍民間船への略奪、襲撃行為が確認されたのは今年《1940》になってからだ」
そこでちらりと少女の反応を見やり、彼女の脳が結論に辿り着いていないことを悟ったか。
シュタイヤーは小さく息をついた。
「つまり家族がドイツ兵に殺され、お前は右手を失ったという話がそもそも嘘だったというわけだ」
突然告げられた衝撃の中で、アミが辛うじて絞り出した声はか細いものだ。
「……な、何で?」
何でそんな嘘をつく?
じやあ、わたしの右手はどうして無くなった?
シュタイヤーの言ってることは何かおかしい!
渦巻く疑念は、しかし言葉にならなかった。
呆けた表情のアミに向かって、彼が衝撃の言葉を吐いたからだ。
「……ある事故で腕を失くしたお前は軍事利用実験に提供された。人間兵器となりうる義手の研究だ」
「ぐんじりよう?」
鸚鵡返しに問い返すアミに、シュタイヤーが苦い表情を送る。
「そうだ。父親はそれを見て見ぬふりをした」
右肩を押さえて彼女が呻く。
合わない義手の結合部から、ジワリと血が滲んでいた。
「わ、わたし、そんなこと、知らない」
当然だ、とシュタイヤーは地面を見つめる。
「……ガリルも知らないことだ」
「……じゃあ、何で?」
心臓が早鐘を打つ。
胸を押さえたいのに、義手は上手く動いてくれなかった。
「なんでそれをシュタイヤーが知ってる?」
──それは、オレがお前の父親だからだ。
黒衣の男はそう言って眸を伏せた。
「そんなの……」
それは信じられない、とアミは思った。
「うん、さすがにわたしでも簡単には信じない」
今度は声に出して告げる。
そうすることで数十分もの間、極限まで混乱していた思考は一旦静まってくれた。
よく考えろ。シュタイヤーがあんな変な嘘をつく理由を。
締まりの悪い水道の蛇口のように、肩と義手の境目からポトリポトリ血が滴り落ちる。
彼の話を聞いてからずっとこうだ。
──ラドムに会いたい……。
あの子は賢いから、何か納得のいく説明をでっち上げてくれるに違いない。
無意識に浮かんだその考えを、アミは激しく首を振って追い払った。
もう巻き込まないと誓っただろ。
彼に会うことは二度とない。
この手で切った絆だ。
先を歩く黒い姿を睨み据える。
隠していた全てを話し、疲れ切ったようなその背中。
──もし、シュタイヤーの話が嘘じゃなかったら?
シュタイヤー・アミ父娘が関わった実験は失敗し、行き詰まったところを武器商人に拾われた。
そこで、父娘はようやく地獄から抜け出せたのだとシュタイヤーは言う。
そんな話を聞いて、シュタイヤーの元を逃げだそうとしない自分にも違和感はある。
「ガリル・ザウァー……」
早く会いたい。
小動物のようなあの姿が脳裏に蘇る。
早く会って、そしてつまらないことで思い悩むなと言ってもらいたい。
自分にとって、彼は絶対的な指針なのだ。
その存在を思い出した途端、乱れていた呼吸が静かに治まっていく。
戦うべき相手は明確だ。
それはシュタイヤーではない。
そう、戦うべき相手はドイツ兵だ。
ドイツ国防軍第277歩兵部隊──ガリル・ザウァーのためにそれを排除する。
命を懸けても構わない。
この記憶が始まった時から、彼女にとってガリル・ザウァーが全てだったのだから。
冷たい風がふたりを打つ。
アミは指先にモゾモゾとした感触を覚え、左手を広げてみせた。
切り落とした髪が、未だ指に絡んでいたのだ。
手を広げたことで、それはするすると指先から解けてフワリ。空へ舞い上がった。
刃物のような銀の色が、風にのって天高く飛び、そして消える。
短髪を風に遊ばせながら、それを見送って──彼女はふと、思った。
──自分にとって、ガリル・ザウァーはすべてであった。揺るぎない、それは事実。
──自分の全ては、ガリル・ザウァーのためにあるのか。ふと生じた、それは疑問。
「……わたしは何のために、誰のために戦うんだ?」
小さな呟きは、風の唸り声に呑まれて消えた。




