モン・サン=ミシェルへ(4)
「でも、お金ないよ?」
「分かってるよ。金持ってくるか、さもなきゃ肉体労働しに戻ってきなよ。いいか! 診察費と治療費と入院代と食費とパジャマ代、その他諸々ツケといてやるよ。踏み倒したら地の果てまでも追いかける」
「ひぃぃ……」
視線を伏せて少年はコクコクと何度もうなずく。
それから「あ」と顔を上げた。
何も言うまいと思っていたけど、これだけは困る。
「あの、僕の上着のポケットに入ってた……これくらいのやつは?」
両手で円を作ってみせる。アミに貰った未来の武器だ。
女医は一瞬困惑した表情をつくってから、面倒臭そうにゴミ箱に視線を送った。
嫌な予感に苛まれつつも、ラドムは彼女の視線の先へ駆け寄る。
「ありゃまともな手榴弾じゃねぇぞ。出来損ないだ」
「勝手に捨てたのか? しかも家の中のゴミ箱に?」
怒りより呆れの方が強い口調で、彼はゴミ箱に手を突っこむ。
幸い、それはすぐに見つかった。
「ったく、冗談じゃないよ」
せっかくアミにもらった「未来の武器」なのに、ゴミにまみれて見る影もない。
ぺったりくっ付いている血塗れのガーゼやテープ、お菓子の包み紙などを慎重に剥がしてから、パジャマ──新たな服のポケットに入れる。
「アタシ、武器には詳しいよ。匂いと重さでだいたい分かるんだ。ソイツ、手榴弾に似せて作ってあるけど火薬もほとんど入ってねぇし、使いモンになんねぇぞ」
「……いいんだよ、別に」
実用とかそういう問題じゃない。
アミに貰ったものだ。勝手に処分されてはたまらない。
「ああ、女のプレゼントか?」
不躾に聞いてくる女医を無視して、ラドムはそれなりの別れの言葉を探した。
「銀髪のボインに貰ったのかよ?」
「……うるっさいな」
この女に対して、あらたまった挨拶なんて思いつきゃしない。
「いくらボインでも、そんなガラクタくれる女なんてロクなもんじゃねぇぞ」
「だ、だから、うるさいって。ボインボイン言うなよ。品のない」
じゃ、いいよ。アタシには関係ないしな。出ていくんならさっさと行けよ。
乱暴に手を振られ、ラドムは溜め息をつきかけていた口を閉じた。
「ああ、待て。コイツ、持ってきな」
「え?」
無造作にポンと放られた筒を胸で受けて、少年は一瞬眼を見張る。
「これは……?」
「お守り代わりに売ってやる」
それはただの筒ではない。先台があり引金も付いている。頑丈な造りの銃だ。
「アメリカ、デラウェア州にあるレミントン・アームズ社製モデル31ライオット・ショットガンだ」
「ラ、ライオット?」
「フランスで……て言うか大陸で、ショットガン持ってる奴は少ないぞ。ドイツ野郎は塹壕戦用には九ミリ口径のサブ・マシンガンを投入してるからな」
スラスラと流れる言葉に戸惑うラドムに向かって、女医は更に弾丸の箱を放ってやる。
「あ、ありがとう……」
欲しがっていた銃──予想外に大きい物を思いがけぬ形で手に入れ、ラドムは慌てて礼を言う。
しかしその言葉は女医の耳には届いていなかった。彼女はとうに背を向け、部屋を出ていたからだ。
そうして少年は、海辺の小さな医院を後にしたのだった。
絶望も死も見た。世界は血の赤に染まった。
強くなりたい。心からそう思う。アミを守るためにモン・サン=ミシェルへ。
死にたくはない。
理不尽に殺されたくはない。
でもこの命を使うなら、アミのためって決めたから。
※ ※ ※
ショットガンを抱えて駆けて行く小柄な少年の姿を窓から見送り、マディーは苦笑した。
さすがに銃が目立ちすぎていて、不審なことこの上ない。
せめて袋でもやれば良かったかな……まぁ、自分で何とかするだろう。
「アタシも病院たたんで、アメリカに渡るかな?」
いつまでもここにいても食えないという現実。
戦争がいつ終わるかも分からない以上、こんな所にしがみ付いている理由もない。
金を払いにか、肉体労働に戻って来いなんて言ったが、あの子が再びここに帰って来るとは思わなかった。
願わくば女と再会して幸福な人生を送るようにと祈るばかりだが、彼の人種を鑑みればそれは難しいことだろう。
「……そういや、こないだの男は挨拶もなしに出てったな」
いきなりやって来た怪我人の記憶が、不快な思いで蘇る。
脅迫紛いに手術をさせた挙句、勝手に出て行った。
当然、治療費も回収していなければ礼の言葉すら聞いていない。
軽い怪我だが強い毒が入っていたようだった。
解毒の処置がすむとすぐに姿を消したあの男──
何となくキナ臭かった──いや、今更どうでもいい話だ。




