治安について 前編(2/3)
一方ゲルマン人はどうだったでしょう。
古代のゲルマン人は氏族単位で暮らしていました。家計を共にしている集団と考えれば良いです。氏族の中に自由人と非自由人が居ました。非自由人と言うのは被征服部族や奴隷などです。非自由人にはやはり人権はありません。氏族で共有の農地を持ち、主人とその家族、使用人や奴隷などから成る集団です。
古ゲルマン人も民会を持ち、自由人の成人男性が構成員です。この民会が裁判所も兼ねていました。
古くは裁判無しでけりを付けていました。
現行犯の場合は仲間によりその場で報復が行われました。現行犯以外では血讐が宣言され、氏族間で抗争になります。これでは被害が多くなりすぎるので裁判でけりを付けるようになったのです。
無論常に殺し合いというわけではありません。タキトゥスの『ゲルマニア』にも牛か羊による賠償で解決されると書かれています。氏族間の話し合いで済む場合はそれで終わります。済まなかった場合フェーデによる抗争となるのです。
とは言えゲルマン人は良く言えば武勇を愛する、悪く言えば暴力傾向が高い民族でした。北欧神話でも勇敢に戦死したものはヴァルハラに行き、病死や寿命など名誉ある戦死以外で死んだ者はヘルヘイムに行くというように勇敢に戦って死ぬのが名誉と考える人達です。奪われて抵抗しないものは奪われた物と名誉を共に失うというのが彼らの常識です。結果として世代が変わっても続く抗争になる事も珍しくなく、そこで周囲の氏族の仲介により民会で集まり、裁判という結果でけりを付けるようになりました。
犯罪の種類によっては犯罪者側の氏族も犯人を庇わない事もあります。宗教的な禁忌に触れる場合や国家に損害を与えるような場合、或いは性犯罪など氏族としてもこんな奴を庇いたくないという場合はフェーデにも裁判にもならずに平和喪失者となり、追放されます。ゲルマン法でアハト刑と言われる処分です。追放された者は人権を失い、見かけたら誰が殺しても良いという扱いになり、「人間狼」と呼ばれるようになります。
「人間狼」はロビン・フッドの様に森の中で暮らすことになります。ロビン・フッドは時代と共に何度も内容が変わり、現代では悪役のジョン王に抵抗する義賊になっています。しかし「人間狼」は基本的には氏族も見放す犯罪者であり、見知らぬ他人はそうした犯罪者である可能性があるという意味でもあります。それ故「人間狼」はヨーロッパ中世の賤民の由来の一つでもあります。
しかし一方で統治者が本当に正義かと言われると怪しい訳で、そうした庶民の不信感が義賊としてのアウトローを生み出します。
「人間狼」の別の言い方として「鳥の自由」という言い方もあります。1507年のバンベルク刑法では「空中の鳥、森の獣、水中の魚のように自由である」と書かれ、社会のあらゆる束縛から解放される一方で、「彼に対して犯された犯罪に対して誰も責任を負わない」とされ、いかなる保護も受けられず、死しては埋葬もされずに鳥に与えられるとされました。
このように氏族単位で話し合うか戦うかという解決をしていた古代ゲルマン社会では警察のような特殊な役割は存在しません。或いは全ての自由人が警察であり裁判官であり法の執行者でした。
古代ゲルマン人の価値観は武勇ないし暴力賛美なので、人を殺した時も死体を隠して犯罪を隠ぺいすると許しがたい殺人者であり、死体をその場に残し堂々と報復に備えて武装して待ち受ける場合はより軽い罪と見做されました。
古代ゲルマンでは実際に殺したかどうかが重要な点で、計画だけなら何も起きていないと見做されました。未遂や計画だけなら犯罪とは見做さないのがゲルマン人です。
一方ローマ人は意思を重要視しました。殺す意思があったかどうかが重要で、殺意が無い事故であれば事故として軽い罰になります。
このローマ文化とゲルマン文化から生まれた中世ヨーロッパはどうなったでしょうか。
ヨーロッパ初期に生まれたゲルマン部族法はフェーデを抑制しようとし、罰金での解決と、その為の手続きを定めました。一見退屈な手続きを決めた法律に見えますが、それをしなければ殺し合いが始まるゲルマン人達に、それ以外の方法を与えたのです。
ゲルマン人が民会で解決する場合は当事者以外の氏族が力を持っていなければ意味がありません。その意味でゲルマン部族法でも法による解決を押し付けるだけの力が必要です。マフィアの抗争を警察が押さえつけ法律で裁くように、法律を押し付けるだけの武力が必要なのです。
「法源」という言葉があります。意味が複雑で複数の意味を持つのですが、その一つに「法律の根拠となる力・淵源」という意味があります。
子供が言う「どうして人を殺してはいけないの」「どうして悪い事をしてはいけないの」という質問への答えとして出てくるものが何かという意味でもあります。
判り易い答えの一つが「神様がそう命じたから」という答えです。十戒のような神によって与えられた決まりに反するから駄目だというのは神様を信じている人には有効な答えです。日本でも古代には天津罪、国津罪という宗教に由来する罪がありました。罪と言ってもその中に病気や災害が含まれているのが面白いところです。ここでは日本にもそういうものがあるよと言う紹介だけで。
近代だと神様では納得されず、「皆でそう決めたからやってはいけない」という答えになります。社会契約論と言われるものです。もう少し現代風に言えば言えば「主権者の意思・民意」という事になります。
現代の日本でもこの社会契約の結果としての憲法があり、刑法や民法などの諸法があります。
日本で言う憲法やその他の法律を形式的法源、民意などの根本的なものを実質的法源と言います。
ローマ法の形式的法源は十二表法に始まり、ユスティニアヌス法典、ローマ大全となるのですが、実質的法源はインペリウムに始まります。王の持つ権利であり民会によって与えられるものです。
ローマ法が万民法となり、トマス・アクィナスがそれを永久法とし、近代においてグロティウス、ホッブズ、ロック、ルソー、カント、ヘーゲルなどの思想家によって近代自然権という法源に行きつきます。
民主主義的な法律による行為であってもその上に守るべきものがあるという思想ですが、便利に利用する事で他国の法律を否定できます。ニュルンベルク裁判や東京裁判でその国の法律に従ったという弁明を否定する根拠となり、現在のロシア軍のウクライナでの戦争犯罪に対して論じられる根拠となっています。
中世の法源はどこにあるか。そう考えた時キリスト教を国教としたローマでは既にキリスト教が入り込んでいます。一方報復という発想から始まったゲルマン人に思想的な法律は無く、やられたらやり返すという感情的な報復に様々な制限を付ける事から始まります。
目には目をという言葉がありますが、これは報復を許すと同時に、報復の範囲を超えないようにしろという意味でもあります。やり過ぎるな。このくらいで納得しろ。そう現実的な解決策を示す法律がゲルマン部族法です。中世初期は教会の影響も薄く、基本は報復合戦とそれを仲介する法律という状態です。
しかし法源として神が居るならば、神に委ねるという方法もあります。神判です。
具体的な方法は色々あります。焼けた石を握るとか、水に沈めるとか、個人の決闘をおこなうとかです。その結果をもって判決とするのです。神を信じるという事は、神は正しく裁くと信じる事でもありますから、信じる者にとっては合理的な裁判なのです。
「万人の万人に対する闘争」という言葉がありますが、この万人と言うのが氏族単位であるという点を除けば将に中世初期の姿でした。ホッブスによれば人間が戦うには3つの理由があります。
一つは競争です。誰でもより良くありたいと望み、それが競争を生みます。その競争が戦いの原因となります。物質的に富を得たいとか水争いとかわかり易いと言えばわかり易い理由での戦争です。
一つは不信です。自分が欲を持つという事は、他人も欲しているに違いないという疑念を生みます。他人が奪おうとしているのではないか。先に奪われるのではないか。そうした不信が争いを産むのです。
一つは誇りです。他者に高く評価されたい。低く評価されたくない。その気持ちが他者に対する攻撃に向かいます。
それぞれ納得できてしまうのが残念なところですが、個人的な喧嘩や敵意の理由として現代でも通じるところです。命の重さが軽い時代であればそれが簡単に殺し合いになる訳です。
仲介者はより力が無いと仲介できません。力の無い国際連盟が何もできなかったと同じ事です。中世では王が仲介を行う事になります。移動宮廷で各地に移動し、そこで王が裁判を開く。これは後に裁判官が巡回して裁判を行う形になります。
ところで本来復讐の為のものであったフェーデですが、権利として認められたフェーデを悪用する者が現れます。
名誉を傷つけられたという理由は、名誉が何かと言うのが難しいのであり、難癖を付け易いのです。そこで領地を通る商人を襲い、適当な理由で物を奪う盗賊男爵とか盗賊騎士と呼ばれる者達です。
そうやって商業が廃れ貧しい中世になる訳ですが、奪われた側も力があった場合は戦争の始まりです。ドイツの皇帝が仲介して裁判を行った結果、この男爵、騎士は駄目だとなればアハト刑が宣言されます。帝国アハト刑と呼ばれるもので、教皇の破門と同じ効果があります。つまりその領主が人間じゃないよと宣言されるわけで、そうなると周辺の領主たちが寄って集って攻め込み略奪する事になります。
こんな状態で彼方此方で戦争が起こっていた訳です。
そうした状況をどうにかしようとラント平和令が出されます。まあ一度で済むようなものではなく、何度も出し続ける事になりますが、フェーデ自体を禁止し、戦争の理由を減らそうというものです。
教会も同様の努力をし、神の平和と呼ばれる宣言を、これまた何度も行い、違反者は破門する事になります。
このラント平和令と言うのは重要な法律です。それまでの法律と言うのは基本的に仲介であり、和解を目的としていました。しかし永久ラント平和令で違反者に対して国家による罰則という概念が導入されます。違反者に対し死刑を含む体罰が規定されたのです。
それ以前は体罰が無かったというわけではありません。奴隷に対する体罰と現行犯に対するその場での報復は存在していました。しかし自由人に対して体罰が規定されたのはラント平和令からなのです。
日本でも報復合戦は珍しくありませんでした。鎌倉時代にも曾我兄弟の仇討ちという色々怪しい事件がありましたが、鎌倉・室町の武士なんて彼方此方でやっていました。それを治める為の日本の解答が「喧嘩両成敗」なのです。どちらが悪いとか聞かずに両者とも成敗して終わりにする。嫌なら最初から揉めるな。そう言う発想が日本の中世の解決策でした。
上層階級の扱いはこのような物ですが、平民やそれ以下の人々はどうでしょうか。
中世初期の平民とは誰かと言うと、自由農民、郷士、ケルトやゲルマンなどの自由民等です。ローマ時代からの生活にゲルマン人が混ざってローマ市民権を持つ平民以上の民とゲルマンの自由民が平民に、ローマの富豪のラティフンディウムで働く奴隷や不自由民が平民未満の存在として存在していましたが、それが中世的身分に再編成される時代が中世初期だったのです。
町の人間も居ます。
ローマ都市は別として、ドイツ語系で~ブルクと付く町は城塞都市、城壁で囲まれた中世都市です。英語だとバーグやバラになり、フランス語だとブールになります。12世紀以降増加し、周辺の村落に市場を通じて物資の流通を担う役割を果たします。最初のラント平和令が1103年である事を考えればその影響も重要であったと考えるべきでしょう。商業ルネッサンス、都市の復興、そうした結果都市に住む裕福な民、ブルジョワジーが生まれます。ブルジョワジーの元の意味は都市の人間という意味なのです。彼らは自治権を買い取り、自治を行い、治安も自分達で担う事になります。壁に守られ、独自の法律を持ち、裁判権も持つのが都市です。
都市には市民権を持つ市民と非市民が居て、市民権を持つのは商人や職人の親方などで、納税し、防衛の義務を負っています。非市民は奉公人や下層民で市民に支配されていました。都市は周辺の領主に対抗する為王や皇帝に献金し、その力を借りていました。
今回は三分割です




