遊びをせんとや生まれけむ
遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子どもの声聞けば 我が身さへこそ揺がるれ
『梁塵秘抄』という平安末期の歌本に記載された今様ですが、割と目にした事のある人も多いのではないでしょうか。
歌詞の裏にある悲しみと言うような解釈は置いておくとして、表面的に現代の言葉にするなら、
遊ぶために生まれてきたんだ 戯れる為に生きてるんだ
遊ぶ子供の声がする 私の体も動き出す
ヨーロッパ中世の農民は年間1600時間程度の労働時間だったそうですが、遊ぶ時間と言うのは結構あったわけです。子供も親の手伝いはあるにせよ遊ぶ時間は充分にあったでしょう。
これは1560年なので近世になりますが、ブリューゲルという画家の描いた『子供の遊戯』という絵画です。
え?一番手前の真ん中ですか?アラレですか?和菓子は関係ないですよ?
まあともあれこの絵には91種類の遊びが描かれているそうです。
Wikipediaだと80種の説明が書かれていますが、『ブリューゲルの「子供の遊戯」』という本にはより詳細に説明がされています。
アリストテレスは人間を|笑う動物(animal ridens)と定義しましたが、ホイジンガは現生人類を|理性ある人(homo sapiens)ではなく|笑う人(homo ridesns)と定義しました。日本では遊ぶ人と訳されていますが、ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』という本には「文化のもつ遊びの要素についてのある定義づけの試み」という副題が付けられています。
この本は遊びというものの定義から考え、所謂遊びだけではなく裁判や戦争における遊びの要素と言った文化の広い範囲にまで語られていますが、遊びとは何かという議論では欠かせない古典となっています。
日本語における「遊び」の意味などにも文庫版で2ページ割かれていますし、広い範囲で定義を分析していますが、より単純な遊びについてのみ話したいと思います。
室外で行うスポーツ系の遊びと言うと、馬上試合(mêlée)、馬上槍試合(joust)と言った騎士向けの遊びですが…
うん、鎌倉武士もフランク騎士も野蛮さに大差は無いので割と良く人が死にました。なので教会は何度も何度も、数年置きに、繰り返し禁止しました。何度もという事は誰も教会の言う事を聞かなかったという事です。1120年代にはアンリ1世は槍騎兵隊を引き連れて北フランス中の試合を荒らしまわり、教皇イノセント2世は1139年の公会議で馬上試合で死んだ奴はキリスト教徒じゃないから葬儀はしないとブチ切れました。
それでも試合は無くならず、騎士達の暴力的な情熱と、キリスト教徒としての救済への望みが少しづつ歩み寄り、ルールが生まれ、暴力の抑制がより形式的な文化を生みました。
11世紀には試合場も無く平原での乱闘程度だったものが、13世紀になるとトーナメントと言う形式が生まれます。トーナメントと言うのは語源から言うとラテン語の回転盤(tournus)から来ています。
参加する騎士は貴婦人を護衛しながら試合場に向かい、試合場を貴婦人と共に一周して観客に見せるのです。これが後の遊園地のメリーゴーランドの原型です。馬に乗って一周する着飾った騎士と貴婦人を見るのはそれだけでお祭りでした。
そして試合は集団戦ではなく個人戦の勝ち抜き、つまり現在トーナメント方式と呼ばれる方式で行われる様になりました。
優勝者は「美の女王」を選ぶ権利が与えられます。優勝した騎士は王や競技の主催者から受け取った冠を槍の先に載せて貴婦人達の中から選んだ「美の女王」に捧げます。
優勝者と「美の女王」はその後の祝宴で英雄と勝利の女神として扱われ、それを吟遊詩人が広めて行く事になります。現代で言うとレースクィーンでしょうか。
そうした「美の女王」に選ばれる貴婦人は自分より上位の貴婦人を選ぶ事も多くあります。いやいや、自分がエスコートしてきた貴婦人じゃないのかと思うかもしれませんが、自分がエスコートしてきた貴婦人と言うのは妹だったりするわけで、言ってみれば令嬢の顔見せの場でもあるのです。
騎士が上位の貴婦人、しばしば主君の妻に愛を捧げる「宮廷風恋愛」は「ランスロットとグィネヴィア」「トリスタンとイゾルデ」等の伝説を生み出し、中世のロマンスとして語られる事になります。
しかし何故この時期に「宮廷風恋愛」が流行ったのでしょうか。
馬上試合(mêlée)が生まれたのは、就職運動でもありました。貴族や郷士の次男以下の就職先として修行の旅の試合で良い成績を出して雇われると言うのが一つの方法なのです。
1095年、ウルバヌス2世はクレルモン公会議において十字軍を要請しました。
ヨーロッパの騎士、貴族、王がエルサレムを目指して遠征する事になります。
当然新しく部下の騎士を雇おうと思う訳で、実力を確かめる為には戦ってみるしかないので試合が行われるようになるのです。
おや?試合が行われる大本の理由は教会の十字軍なのでは?
それでは教会が禁止しても誰も聞かない訳です。
そうして就職した新米騎士が上司の奥さんに胡麻を擂る。
なんかロマンチックな恋愛の裏を見てしまいましたか。歴史なんかに興味を持たずに居ればよかった?
しかし昼メロには不倫は付き物なのです。いえ、昼メロとか見た事ないので知りませんが、ロマンスの裏側第二弾です。
戦場に行った領主も息子も戦死したという知らせが!不安な未亡人の側にはかつて「美の女王」に選んでくれた若々しい騎士がいます。あるいは生き延びた強い騎士が戻ってきます。
こうして若い騎士は未亡人と共に領地を引き継ぎ新たな領主になるのでした。
領主の娘バージョンもあるよ。
そうした恋愛物語を美しい物語として飾り立てる為に必要な物。それが騎士道です。主人が死ぬのを待っていた若い騎士なんて居ないのです。誠実に主の居ない領地を守る騎士が神の恩寵で貴婦人を救ったのです。
はいそこの吟遊詩人、もっと誠実とか高潔とかちゃんと褒めて!弱い貴婦人を保護するのは騎士として当然だよね。(再婚を認めてくれる)教会への感謝と献金、おっと、献身も忘れず、キリスト教徒としてふさわしい姿であったって称えて!
吟遊詩人が広める成功した騎士の歌を聞いた放浪の騎士は我も我もと就職に必死になるのです。勿論領主はそんな歌の様になる心算はありませんが、それでも優秀な騎士は欲しいので試合を開催し集めなければいけません。
坊主が殺し合うなだと?!こっちは必死なんだよ!ここで他の奴らを殺してでも成り上る!
黒死病が来て、十字軍が無くなり、近世の騎士は中世の騎士程必死になる必要も無くなります。中世みたいに武力で成り上れる時代ではなくなってしまったので。
その分馬上槍試合(joust)はスポーツ化します。騎士道に則って正々堂々と、怪我したり死んだりしない程度に頑張ろうよ。
落馬したら起き上がれない鎧を着た騎士が生まれるのもこの頃です。落馬したら命に係わる戦場ではなく、落馬してもスポーツとしての馬上槍試合(joust)で負けただけなのだから、落馬しても安全な内側もこもこで重くて分厚い試合用鎧で良いよね。そうしてスポーツ用の鎧では自分で起き上がれなくても問題が無いという鎧が生まれたのです。
中世ヨーロッパの華と言えば馬上槍試合でしたが、それ以外にもあります。
狩り、鷹狩等は貴族のスポーツですが、主催者がという意味であって、参加者は多くの階層に跨ります。鷹狩は日本と同じようなものなので説明は省きます。
ヨーロッパの貴族のスポーツとしての狩は下層階級の人間が追い込み、貴族が狩ると言うのはそんなものだろうと思いますが、貴族、騎士は本来飛び道具は使いません。使うのは槍です。猟師は弓を使う事が許されますが、獲物を追い込んだり、獲物以外の物を狩るのに使われ、最後は貴族が槍や剣で倒します。
と言うのは表向きで、評価は下がるものの弓で狩る方が量は獲れるので弓でも狩は行われました。まあ実際に弓を使うのは狩人ですが、そもそもこの手の狩猟は軍事訓練なので、配下の狩人に獲らせても構わないのです。本人が槍で倒す方が名誉ある行為と見なされるだけの事で。
更に評価が低いのは罠猟で、「卑賤の者と、平民と、農民の狩猟」と言われていた程です。
中世の狩では女性も参加しました。貴婦人も棒で鹿を追い立てたりして女狩人が弓で倒すのです。
ギリシア神話のアタランテ以来女狩人も珍しくは無いのですが、割とロマンティックな思いを抱く人も居るようです。
16世紀の叙事詩『妖精の女王』はエリザベス1世を賛美する作品として評価されていますが、そこで統治者たる「妖精の女王グロリアーナ」と同時に女性である個人としての「貞節なる狩乙女ベルフィービー」を共にエリザベス1世の両面として描いています。
フィービーと言うのは月の女神アルテミスの別名であり、それに美人という意味のベルを付けて女狩人と設定し、貞節の象徴として描き、腐敗した宮廷を弾劾し悪徳騎士も打倒するというスーパーヒロインです。
20世紀になってキップリングが『ご褒美と妖精』という小説を出しますが、その中に出てくる「二人の従兄弟」という詩はベルフィービーの為に命を失った二人の船長の為の詩です。この詩にPeter Bellamyというフォークソングの歌手が曲を付け「The Queen's Men」という曲名で歌を出しています。エリザベス1世の頃の宮廷歌を吟遊詩人のスタイルで歌うように仕上がっているので、興味のある方は検索してみてください。
14世紀はヨーロッパで狩猟が重要視されるようになった時代でもあります。
14世紀後半は黒死病で農業も壊滅的な被害を受けたので単に遊びとしてではなく食料調達手段として重要になったのでしょう。
フランス宮廷における狩猟関連の人員ですが、1285年フィリップ4世の宮廷では3人の狩猟係と小姓1人、猟犬12頭の世話係若干名となっていましたが、1288年には狩猟係7人、小姓6人、猟犬係5人に増やしました。
1322年、シャルル4世の時は狩猟係7人、小姓8人になりましたが、1388年のシャルル6世の時代には狩猟係7人、補助3人、小姓21人に大幅増員しています。
遊びと言うには騎士にとって生活に密着した話でしたが、もっと遊びに近い物もあります。
信長の相撲好きに対してヨーロッパでは伝統のスポーツレスリングがあります。スポーツというよりは賭け事としてのレスリングですが。
騎士は弓は使いませんが、競技としてのアーチェリーもあります。
こうした戦争の技術を元にした、後にスポーツ化する遊び以外にも球技などもあります。球技は割とその国独自と言うものが多いのですが、11世紀にドイツで生まれた九柱戯という遊びは多くの国に広がり、後にボウリングになります。
アイルランドではハーリングというホッケーのような競技が紀元前1300年の神話時代からあります。イギリスではサッカーやフットボールの先祖のモブフットボールがありますが、起源は諸説あり、古いものでは紀元前、9世紀や12世紀などですが、どの説もそれがモブフットボールの起源かどうかが問題なだけで、それぞれ元となった球技があった事は確かなようです。
ゴルフも起源説が複数ありますが、中世に生まれ近世に競技化したのは確かです。
室内で遊ぶ遊びも色々あります。
チェスは言うまでもありませんが、バックギャモンと言うのも聞いたことがないでしょうか。バックギャモンも元をたどれば紀元前3500年まで遡るという古いゲームです。
ナイン・メンズ・モリスというゲームもあります。ローマでも流行し、中世イギリスでも流行したと言われるゲームです。シェークスピアの『真夏の夜の夢』の中でタイターニアが「ナイン・メンズ・モリスも泥にまみれた」なんて言っています。
チェッカーというゲームもあります。これまた起源は古代エジプトで、イスラム経由で入ったゲームで、中世にはアルケルケという名前でした。
狐とガチョウというゲームは北欧生まれでヴァイキングも遊んでいたというボードゲームです。日本には江戸時代に伝わり十六武蔵という名前でした。
他にも色々ありますが、日本人にあまり馴染みの無い物を挙げても仕方ないのでここまでにしますが、室内遊戯と言うのは結構沢山あるものなのです。
リバーシ大好きなナーロッパですが、多分人間幾らでもゲームなんて作り出しますよ。
そう言えばリバーシと言うか商品名オセロゲームですが、最近だと立体化しているようですね。コンピューター無しのボードゲームでも進化は続くようです。
勿論コンピューターゲームとしても進化していて、オセロキューブと言う3D化した物もあるようです。
遊びというと何ですが、普段友達と遊びに行くとして何をしますか?ボウリング?テニス?ボードゲーム?コンピューターゲーム?
まあそれもあるでしょうが、もっと普通に、駄弁ったりするのではないでしょうか。言い方は色々ですが、女子会とか、食事会とか、アルコールありなら居酒屋でとか、カラオケも歌がメインですが酒飲んで歌いだす宴会もありなら同じような物でしょう。
当然何時の時代だっておしゃべりやそれに飲食が付くなんて言うのはあるでしょう。イギリスのお茶会も日本の茶会もやってる事は一緒です。
日本では汁講というものが室町時代からありました。講というのは仲間内で集まって順番に何かをするような集団の事で、汁講は誰かの家に集まり、亭主は汁だけを出し、客は飯を持ち込んで一緒に食べながら駄弁るという集まりです。亭主は持ち回りで定期的に集まるのです。
中世ヨーロッパには酒場は無かったという話を黒死病の所でしましたが、自家製の酒は有ったので、それを出して騒ぐ事はあったでしょう。
労働時間も短く遊ぶ暇もある、そんな中世の農民生活はそれなりにゆったりとした生活だったのではないでしょうか。
なんちゃって。
それなら何で中世ってあんなに人が死ぬんでしょうね。
その辺りはまた後日に。
え?その前に遊びの話をもっと?18禁の遊びですか?
現代でそれを言っては彼方此方から叱られます。具体的には芸術関係のあれこれから黒歴史の発掘についての苦情とか色々と。伝統は怖い人がいっぱいですよ。忘れてください。中世に大人の遊びなんて無かった。近世に入っても無かった。健全な遊びを推奨します。




