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絶望(挿話其二)

 そう。それは、五年前のあの日の記憶。


「そこをどけ、アンジェリナ。邪魔をするなら、お前と言えども容赦はしない」


 激しい雨が降り注いでいた。雨粒が地面を叩く音だけが延々と鳴り続く、エルドラゴの城門から南に続く街道。私の遥か後方には雨雲に翳む魔の山ムスペルが聳えている筈だ。他に誰も居ない街道、私の前には、立っているのも苦しそうな蒼ざめた顔の絶世の美女がレイピアを構えている。

「駄目だ、シーマ。ここから先に行かす訳には行かない。リチャードの決心を無にする事は私が許さない。あなただって、次に龍の力を遣えば生きていられないのは、自分でも判っている筈だ」

 両手を広げて立ち塞がる私を見て、シーマは苦々しく唇を噛んだ。エルドラゴで最も美しいと謳われた美しい顔が苦痛と苦悩で歪んでいる。そうしている間にも、シーマの顔から血の気が引いていくのが見て取れた。

「黙れ。たとえこの身がどうなろうとも、私には助けなければならない家族がいるのだ。邪魔をするな」

 雨に濡れて重くなった長い金髪を振り乱してシーマが斬撃を打ち込んで来る。雨の中、鈍く輝く碧眼が殺気を放ち、私の肌と心を打つ。柄に手を掛け刀身を鞘から半分だけ抜いて、私はその攻撃を防いだ。正確には、刀身の半分だけしか抜く時間が無かったのだ。火花が飛び散りお互いの顔を青白く照らした。

「やめろ、シーマ。私たちが争って何になる。これは国が認めた決定事項だ。リチャードもフィーナ様も承諾している」

「こんな理不尽が罷り通ってたまるか。あいつを止める。次で私の命が尽きるとしても、構うものか」

 龍の力を遣いすぎた彼女の体力は限界に達していた。それはリチャードも同じで、我々人類は暗黒王スルトを倒しても尚、魔物が無尽蔵に湧き出てくる異界の門を閉じるために最後の作戦に打って出ていた。

 古城ギンヌンガの聳える魔の山ムスペル山の麓に開いた異界の門。これを破壊しなければ人類は等しく魔物の餌になってしまうだろうと予測されていた。エルドラゴ王国古代兵器研究所が発掘、改良した巨大兵器で、龍の守護者が異界の門を周囲数キロに渡って浄化する。それは同時にその範囲が焦土と化す事を意味していた。


 彼女には魔物に捕らわれ犯された妹がいた。魔族の命を宿した身は忌み嫌われ、同じ境遇の女性と共に、エルドラゴ城の隔離施設で生きながら研究材料とされていた。今回の作戦では、魔物のにえとするため、彼女たちはムスペル山の麓に置き去られる事になっている。人間の女性に宿った魔物は子宮と内臓を突き破り生まれてくる。母体が助かる事は万が一も無いと言われていた。その女性たちを、少しでも魔物の進行を遅らせ一網打尽にする為の供物として使う。この非人道的とも言える作戦の実行を、同じ女性として女王フィーナ様は涙を流して決断した。一生消えない業を背負うと決めた女王の顔を、私は決して忘れないだろう。


 絶望が剣に宿り、私に襲い掛かる。

 シーマは渾身の力を込めて突きを繰り出した。捌き切れず私の左腕から鮮血が飛ぶ。危うくカラドボルグを落としそうになったが、右手一本で握りなおし、シーマの下段目掛けて剣を払う。彼女の細いレイピアでは私のカラドボルグを弾き返せない。後退して間合いを取るか、跳躍してかわすしかない。ただ、一瞬であるが空中で無防備になる後者を選ぶとは思えない。私としては、時間が稼げれば良かったのだ。しかし、シーマは軽く跳躍すると、音も無く私のカラドボルグの刀身の上に降り立った。

 瞬間、視界が暗転し、口中に血の味が広がった。顔面に蹴りを喰らったのだと自覚するまで、私は数秒の時間を要した。体を起こそうとしたした所で右腕に激痛が走る。シーマのレイピアが私の右上腕を貫いていたのだ。腕から愛剣カラドボルグを握る力が失われていく。

「殺す気で戦っている私と、止めようとしているお前。どちらが勝つかなど、剣を交える前から判っていただろう。お前のその甘さが、私は大っ嫌いだったよ」

 私を見下ろし吐き捨てるように言うと、シーマは懐から数枚の札を取り出した。

「妹と私の絶望を、お前にも分けてあげる」

 そう言うと、シーマは札に解呪の念を送り、その場を後にした。呼び出された夥しい程のグール(喰人鬼)を見て、私の体の全身から血の気が失せた。冒険者として討ち死にするのなら武人としての本望であるが、こんな所で魔物の慰み物になって死ぬまで輪姦されるなど、想像するだけで発狂しそうだった。かろうじで握っていたカラドボルグを鞘に納め、迫ってくるグールの群れに魔法を発する。腐乱した肉体が焼ける、焦げ臭い匂いが嗅覚を麻痺させる。意味を成さない呻きを発しながら殺到してくるグールの群れから逃げながら蹴り倒し、魔法で焼く。カラドボルグが振るえれば充分討伐できる数だが、練成に時間がかかる回復魔法を詠唱する時間もなく、両手が満足に使えないのでは、逃げるしかない。恐れる事を知らない魔物たちは仲間が殺されても新鮮な肉を求めて襲い掛かってくる。数十回目の蹴りを出した所で長靴ちょうかが割れ、私は体制を崩した。

 その刹那。うなじの辺りを激痛が襲う。噛み付かれたのだ。半身を捻り、肘で項に噛み付くグールの顔面を肘で粉砕する。眼球と前歯が腐乱した肉と共に顔から飛び出た。首筋から流れた自分の血に肌を粟立たせたその隙に、前方から他のグールに組み付かれ、押し倒された。数十と言うグールが次々と覆いかぶさって来ようとする。纏っている鎧を剥ぎ取られ乳房が露になる。喰い殺されるか、狂い死ぬのが先かと言う絶望の中、私を組み伏していたグールの首が血の尾を引いて飛んだ。首から溢れ出すどす黒い血が、私の全身を濡らす。

 次いで完成された神聖魔法が、辺りのグールの不浄の肉体を一匹残らず、浄化していく。


「美しいモノは喰らうのではなく、愛でるものよ」


 半裸で倒れる私以外に誰も居なくなった街道には、大きな籠を背負った華奢な中年の男が、刀に付いた血を払って不敵な笑みを浮かべていた。

 その男が、剣聖ウイリアムと呼ばれていると私が知るのは、また後日の事である。

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