終戦(挿話其三)
男から予備の胴着と袴を譲り受け、グールに剥ぎ取られた胸当てと肩当てを拾い上げ、胴着の上から装着する。首から流れる血を拭い立ち上がると、男は私に回復魔法を練成してくれた。
傷口は塞がり始め、両手と首筋の痛みと出血も引いていく。
「ありがとうございます。危ない所を助けて頂いた上に、着物や回復まで」
「お礼なんて良いのよ。それより、急ぎなさい。この戦争の結末が、あなたを待ってるわ」
男は見透かしたような口振りでそう言うと立ち去ろうとする。
そうだ。見届けなければならない。どんな末路が待っていようと、私はこの戦の終焉を。
男に深々と頭を下げてから、踵を返して走り出す。間も無く作戦は発動される筈だ。ムスペル山が見える街道の丘崚地帯まで全速力で足を動かす。
「シーマ……。間に合って」
先程の冷たい視線を思いだしながらも、彼女が龍の守護者になって、その命を散らす事は避けたかった。上り坂を駆け上がると、雨雲の向こうに眩い光が見える。恐らく、古代兵器が放つ魔力の光だろうと察知した私の目の前で、突然大気が膨張したような衝撃波が発生した。
間違いない。シーマが龍の力を解放し、守護者に変身したのだ。不吉な黒い鎧を纏った巨人は、飛び上がると三対六枚の羽をはためかせた。リチャードの居るムスペル山に向けて。
「シーマっ」
全身を声にして叫んだが、彼女は振り替える事無く飛び去っていく。
行ってしまう。もう二度と会えない。
その思いだけが重くのし掛かり、私は膝から崩れ落ちた。空から落ちて自分を濡らす雨が自分の涙と共に流れ、この時はいつもより重く感じられた。
「赦して……」
誰に、何を赦して欲しかったのか、その時の私には判らなかった。雨雲の彼方の光は徐々に輝きを増し、魔力を高めていく。その光の前に黒い影が割って入った所で、一直線の光の筋がムスペル山に向かって迸った。数十万の魔物と数百の人間と一つの龍の契約者の命を焼き付くし、この大戦に終止符を打つ光だ。
その衝撃は雨雲を霧散させ、辺りに立ち込めていた雲は一斉に取り払われ、灰色だった空は青い色を回復していく。遥か遠方まで衝撃波は到達し、私も立っていられない程の突風に見舞われた。
数十秒の魔力の放出の後、衝撃波に続いて雷鳴のような轟音が到達し、青い空に金色の龍の守護者が浮かんでいるのが微かに見えた。
どのくらい走っただろう。光が見えた街道から走り始めて、もう数時間経過しているかも知れない。助かっている筈などなかったが、私は走らずにはいられなかった。
居た。
焦土と化した平原に金髪の女性が瀕死の状態で倒れているのが見える。
「シーマ。馬鹿。なんで行っちゃうのよ……」
微かに上下する彼女の胸に手を当てて回復魔法を錬成する。
「お願い。助かって」
必死に錬成を続ける私の手をシーマはそっと握った。
「済まない。アンジェリナ。私にはああするしかなかったのだ」
目も開けずにそれだけ言うと、シーマの頬を一筋の涙が伝った。
それ以上、彼女が目を開ける事も、口を開く事もなかった。動かなくなった絶世の美女を私は硬く抱きしめ、嗚咽を漏らした。
「そこまでだ。アンジェリナ」
突然背後から、首筋に剣を当てられ我に返った。振り向くと長剣を手にしたカイラスが口角を釣り上げて私を見つめていた。
「シーマには裏切りの容疑が、そしてお前にはシーマの裏切り教唆の容疑で捕縛の命令が下っている」
私は自分の耳を疑った。今この男は何と言ったのだ。シーマが裏切り。確かに軍の決定に反する行為だったが、国を救った英雄の一人に売国奴の汚名を着せると言うのか。
「カイラス。まさか、あなたの差し金か」
殺意を含んだ視線を私は奴隷出身の英雄に突き刺した。
「言い掛かりはよせ。話は軍法会議で聞く」
私に剣を向けたまま、勝ち誇ったような声でカイラスが告げる。
「連れていけ」
顎で周りの衛兵に合図を出し、カイラスは剣を鞘に納めると振り向いて立ち去っていく。数人の男に両手と頭を荒々しく押さえられ、シーマの遺体から引き剥がされた私は叫んだ。
「待て、せめてシーマの遺体を埋葬させてくれ。彼女は国を救った功労者の筈だ」
「裏切り者の死体など埋葬する価値もない。野犬に喰われて朽ちて行くのがお似合いさ」
振り向く事無く、歪んだ優越感に満ちた声でカイラスは言うと、大きく笑い声を上げて高らかと宣言した。
「戦争は終わった。我は救国の英雄カイラスぞ」
周りの衛兵がその叫びに呼応し、喝采を浴びせる。
「エルドラゴ王国万歳。英雄カイラスに栄光あれ」
「エルドラゴ王国万歳。英雄カイラスに栄光あれ」
いつ果てるとも知れない兵士たちの歓喜の唱和の声が、取り押さえられた私の頭の中で延々と響いていた。
こうして、シーマは「裏切りの騎士」の枕詞を冠せられ、私の名前は公式文書に載る事も無く、闇に葬られる事になった。
その夜、大戦の終戦宣言が出された事を私は軍の留置所で知った。私はフィーナ様の恩赦により釈放された。冒険者の称号は剥奪されなかったのが、せめてもの救いだった。
それが、あの終戦の日の私の記憶の全てだった。




