予期せぬ出会い
「ぎゃああああ!?だ、誰か助けて〜!!」
薄暗い獣道を、一人の少女が全力疾走している。肩につきそうなくらいの長さの黒髪が向かい風を受けて暴れている。少女の顔は半泣きで、まるで“何か”に追われているかのような緊張感が漂っていた。
「やだぁぁッ!!死にたくない死にたくない!!」
そうやって泣き叫びながら走っているが、そんな少女を嘲笑うように背後に“何か”が迫ってくる。獰猛な眼差しに、鋭利な牙が剥き出しになっている四足歩行の獣。腹を空かせて苛立っている猪が、少女の全力疾走に追いつきそうになっていた。猪の足が早いのではなく、少女の体力が底を尽きそうになっていただけだが、それが致命的だった。
(も、もう無理っ!!流石にこれ以上速度上げられないって!!足ちぎれる!!心臓爆発しちゃう!!というか!!)
「なんで猪に追われてんの〜っ!?というか!!ほんとに!!ここどこなの〜っ!?」
少女の叫びが、薄暗い森の中に響いた。
彼女の名前は誘宵真琴。どこにでもあるような高校の、どこにでもあるような剣道部に所属しているだけの、ちょっと変わった女子高生だ。
放課後に本屋に立ち寄り、気になる本を数冊買って会計を済ませていたはずなのに、気がついたら森の中にいた。制服のまま、持っていたはずの財布や鞄は消えており、代わりに見覚えのないスマホだけが手元にあった。
その状況に困惑している間もなく、凶暴な猪に命を狙われることになり現在進行形で逃走しているのだ。
「ひぃぃっ!!もう無理ぃぃ〜!!」
真琴がそう叫んだ時だった。ちょうどつま先が木の根っこに引っかかってしまい、そのまま勢いよく前方に向かって倒れ込んでしまった。全力疾走からの転倒。落ち葉がクッションになってくれたが、それでも両手と両膝は擦りむいてしまったらしい。
そして、背後に迫る荒い呼吸音と獣臭。ギギギ、とゆっくり振り返ると、そこにはギラギラとした瞳で真琴を踏みつけようとしている猪がいた。
「いやあぁぁぁっ!!だ、誰か〜っ!!助けてぇ〜!!」
実に情けない悲鳴だった。全身の血の気が引いて、乱れた髪の毛が顔に張り付いていて、泥で汚れている姿で、彼女はひたすら叫んでいた。だが、こんな森の中で誰かが通りがかるわけがない。絶体絶命の大ピンチ。真琴は「せめてひと思いに!殺してくれ〜!」と祈るように瞼を強く瞑った。
──と、その瞬間だった。遠くから誰かが走ってくる音が聞こえ、そして凄まじい風圧と共に何かが折れる音と猪の鳴き声が森の中に響いた。
何が起きたんだと思いながら真琴が目を開けると、そこには大きな壁があった。……いや、違う。コレは壁ではない。紛れもなく人間だ。
「ふぅ……。助けに来るのが遅れて済まなかったな」
腹の底に響くような低音。猪を撃退した男は、振り返りながら真琴に声をかけていた。
「君、怪我はないかな?」
真琴は、男を見上げて口をあんぐりと開けていた。黒髪短髪で、健康的な肌。大柄で、野性的な雰囲気を漂わせているのにどこか儚げな印象を抱くような、不思議な男。服装は和装で、たすき掛けをしており動きやすそうな印象を抱いた。
「む…?……見たところ、膝を怪我しているみたいだね。これはいけない…。よかったら、俺と一緒に来てくれないかな?手当てをしなければ」
「え?……えっ、あ…その……」
言葉が出てこなかった。感謝の言葉を伝えなければならないのに、声が出せない。そもそも情報の整理が追いつかないのだ。本屋に居たと思ったら森の中にいて。探索しようとしようと思ったら猪に追いかけられて。盛大にすっ転んで怪我して。体格のいい和装の男に助けられて。
(……な、なにが起きてるの…!?)
真琴は大きく口を開けたまま硬直していた。それと同時に痛いほど痛感してしまうのだ。この男が普通の成人男性ではないことを。あの凶暴だった猪を一撃で沈めた。いいや、それだけじゃない。
(…………この人、めちゃくちゃ強い)
そう感じたのは、彼が猪を一撃で沈めたからではない。重心の取り方や呼吸の仕方、そして差し出されている手のひら。マメが潰れて硬くなっている手を見たからだった。マメの付き方が明らかに「剣道」をやっている人のものだったのだ。
目の前の男は、コチラに向けて手を差し出したまま首を傾げて見下ろしている。それを見て、ようやく真琴は思考の渦から正気を取り戻すことができた。慌てて、男に対して頭を下げる。
「た、助けてくださってありがとうございます!このご恩は忘れません!」
「……うむ、元気そうで何よりだ。それよりもほら、怪我をしたままだとバイ菌が入ってしまうだろう?俺の道場に連れて行くが、構わないな?」
「えっ、道場ですか?」
真琴がそう聞き返した時だった。パキ、パキ、と小枝を踏みながらこちらに近づいてくる足音が一つ……いや、二つ。猪に追われていた恐怖心がまだ消えない真琴は、その音にも敏感に反応してしまう。勢いよく振り返ると、そこには対称的な二人の男がこちらに向かって歩いてきていた。
「近藤さーん!急に走らないでくださいよ〜!近藤さんの荷物、僕らよりも多いんですから〜!」
「コイツの言う通りだぞ近藤さん。女の悲鳴が聞こえたからって急に飛び出しやがって……」
最初に声を上げたのは、中性的な顔立ちの若い男だった。穏やかに微笑みながら文句を言っている姿ですら絵になるくらいの美青年。年齢は自分よりも二歳ほど上だろうか?
その男に同調するように頷いている男は、見事な色男だった。世の中の女性たちが黄色い悲鳴を上げながら群がってきそうなほど容姿が整っている。
「おお!総司に歳!ハハハ、すまんすまん。身体が勝手に動いてしまってなぁ〜」
「勝手に動かれちゃ困るって言ってんだろ。自分の立場分かってんのか」
真琴はじくじくと主張してくる怪我の痛みよりも目の前の光景に意識を持っていかれていた。大柄な男は近藤。美青年は総司。色男は歳。間違いなく、そう呼ばれていた。しかも全員和装だ。現代でも着物や浴衣を着ている男性は居るが、ここまで自然に着こなしている人は中々いないだろう。……いや、問題はそこではない。
(……も、もしかして……?)
ごくり、と喉を鳴らした。真琴は重度の「幕末オタク」である。彼らの容姿の印象や名前が、完全に一致しているのだ。……後世で「人斬り集団」と呼ばれ親しまれている新選組の幹部たちと、目の前の三人の男たちが重なって見えた。
「あ、あのっ……助けてくださって、ありがとうございました!お、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか…?」
怪我した膝も擦りむいた手のひらの痛みも全部がどうでもよかった。それよりも、知的探究心が疼いて止まらないのだ。期待するような眼差しで、真琴は三人を見上げた。
その視線を受けて大柄な男は首を傾げた。野性的な見た目をしているのに、仕草はどうも可愛らしい。……いや、成人男性に可愛いと思うのはおかしいか。
「ん?名前か?俺の名前は近藤勇だが……」
「……こんどう……いさみ……?」
「あぁ。近藤勇だ。二人も名乗ったらどうだ?」
「はーい、僕の名前は沖田総司です!」
「……土方歳三だ」
ニコニコと愛想良く微笑みながら名乗る沖田と、こちらを値踏みするように軽く睨みつけながら名乗る土方。そして、その二人に挟まれている近藤。
その姿が、どこからどう見ても新選組の幹部である彼らにしか見えなかった。いや、現代で広く知られている写真の顔とは全然違うが、それでも面影のようなものは感じられる。
(……でも、本人がこんなところにいるわけないし……同姓同名の……なんか、偶然似てる人達って可能性も完全に無いとは言いきれないよね)
真琴は決めつけるのをやめて、とにかく思考を切り替えることにした。一人一人の顔を見つめてから、口を開く。
「……近藤さん、沖田さん、土方さん……ですね!私の名前は誘宵真琴です!改めて、猪から助けてくださってありがとうございました!」
真琴は普通の女子高生として頭を下げた。相手の素性は分からないが、助けてくれたことは本物だ。だからこそ、感謝する。相手が誰であれ素直に「ありがとう」と言えるのが真琴の魅力のひとつでもあった。
「誘宵真琴君か……珍しい名前だが、実に良い響きじゃないか」
「えへへ……」
「それよりも近藤さん。コイツ怪我してるじゃねぇかよ。山菜も薬草もある程度収穫できたし、そろそろ道場に帰るか?早く手当てしてやんねぇとだろ」
「あぁ、そうするつもりだ。……誘宵君、歩けるかな?」
「はい、歩けます!頑張ります!!」
真琴はそう言いながら立ち上がろうとするが、足に力が入らなかった。どうしてだろう?と首を傾げているが、理由は簡単だ。猪に襲われて、盛大に転んで、歴史上の人物と同姓同名の三人に囲まれて、腰が完全に抜けているのだ。だが真琴本人はその自覚がない。
「誘宵さん、もしかして腰抜けちゃった?僕がおんぶしてあげようか?」
ずいっ、と顔を近づけながらそう言ってくる沖田に、真琴は反射的に仰け反った。仰け反りすぎてバランスを崩し、そのまま後ろに倒れて頭と地面がゴチンとぶつかり合った。尻もちをついたままだったとはいえ、かなり痛い。
「いだぁっ!?」
「ぶっ…!!あははっ!もしかして……ビックリして倒れちゃった?すっごい音してたけど、頭は大丈夫?」
クスクスと沖田に笑われて真琴の羞恥心が限界突破しかけていた。地面に寝転がりながら、両手で顔を覆った。情けなくて恥ずかしい。穴があったら入りたい。こんな醜態を見せるつもりはなかったのに。グルグルとそんなことを考えていると、背中と膝裏に手を差し込まれてそのままふわりと身体が浮かび上がった。いや、抱えられているのだろう。
逞しい腕に支えられて胸元に抱き寄せられる。もしかして、お姫様抱っこの形で……抱えられている?そんなことを考えながらおずおずと両手をどけると、さっきよりも近い距離に近藤の顔が見えて真琴はフリーズした。
「君は怪我しているんだから無茶をしてはいけない。それは分かってるな?……とりあえず、このまま道場に帰るぞ。二人とも」
「……はぁ…。分かった」
「はーい!」
対称的な反応を返す土方と沖田の反応に、近藤は満足そうに頷いてから歩き始めた。近藤の腕の中で、真琴はしばらくの間フリーズし続けていたが、とりあえず大人しくしておくことにしたようだ。
この時の真琴はまだ知らない。ただのどこにでもいるような小娘であるような自分が、とんでもない時代に放り込まれるということに。
新選組、そして幕末への特大の愛が爆発しまくっており筆を取りました。史実や派生作品、時代小説などで得た知識を複合して、作品として昇華しているような形でございます。作者様やご本人様たちに対する敬意を忘れず、私個人の解釈を大事にしながら「ハッピーエンド」の幕末の小説として書き上げます!
拙作ですが、完結できるように精進して参ります!




