蛇足-1
酒場には人が溢れていた。
注文。提供。飲んだくれの咆哮。食器が触れ合う雑音。
声を張らないと、隣の人間にも届かない。その喧騒は、知る限りのそれよりもとても大きく。
「──、────!!」
それは、言葉の形を成していない。
もはや怒号だ。声ではあるが、雑音の延長。
感情任せにただ吼える。あまりにも中身のない愚行。
「──! ──!!」
その主の顔色を見れば、どのような理由かなどは見て取れる。
火にも似る赤色。顔全体が、比喩ではなく真っ赤に染まっている。
つまるところ、飲んだくれだ。
「……出ねぇ? 面倒事の気配しかしないぞ」
「や。」
そんな大声の隙間に、外套を被る二人の姿。
一方は、凄まじい呆れ顔で騒動を遠巻きに眺めており。
他方、やたら大きな杯を掲げ、一息に中身を飲み干している。
おかわりを所望。迅速な対応。満足な顔。あおられる杯。
「どんだけ飲むつもりだ」
「酔わないからねぇ。いくらでも」
「魔法で中和って言えないんだぞわかってんのか。酔って倒れても拾わねぇぞ」
「よってないもん」
おかわりを所望。迅速な対応。満足な顔。あおられる杯。
眼前のそれは、これで都合七回目。その体の何処にそれほどの酒が入っているのか。
というか、固形物をろくに口にせず酒ばかり飲んで、不快感は無いのだろうか。
おかわりを所望。迅速な対応。満足な顔。あおられる杯。
飛んでくる空の器。
「っと──」
彼女の顔に直撃する寸前、青年の手がそれを掴む。
対して女性は気に留める事もしない。店員が慌てて詫びを伝えに来るが、しかしこれには双方共に対応しない。
「治安、終わってんな」
「当然でしょ。何人仕事無くなったと思う?」
「考えたくねぇ……」
ある日を境に、この世界から魔法という概念は消え失せた。
それは唐突で、突然で。前触れも無く起きた大異変に備えていた人間など、この世に一人とて居なかった。
結果、魔法に依存していた労働も賃金も流通も、その全ての機能が止まっていた。
飲食店も見かけだけなら変化は無いものの、これが数日続けばどうなることか。
「…………流石に不味いな。止めてくる」
「ほっとけばいんじゃない? 別に関係ないし」
「放っておいて、今度はアンタの顔に酒がぶちまけられるのを眺めてたら良いか?」
「や。いってきて。はやく。ひどいことになるまえに。」
「頭から飲む酒って、どんな味がすると思う?」
文句を適当に聞き流し、騒動の真ん中へと歩を進める。
余所者が踏み込んでくる事に、誰も良い気はしないものだ。それも素面で、空気にも酔わず、さらに言えば糾弾するような眼差しならば尚の事。
視線は、自然と集中する。
「……別に騒ぐのを止める気は無い。ここのルールがそうだってんなら、俺が何か言う資格は無いしな。ただ、物をぶん投げるのだけは」
言い切る前に、背後。頭上から拳が降ってくる。
半歩の移動。体捌き。服を掠める事もせず、拳の主は僅かに体制を崩す。
まともに目をやる事もせず、背中からの体当たり。前傾。足を絡め、──彼より遥かに大きい体躯が、とても軽やかに宙を舞う。
理解を追いつかせる前に、腕を掴み。背中に預かった体重を、抵抗を許さず正面へ開放。
大男の背が、酒場の床へ叩きつけられる。爆音。絶息。
悲鳴すら上がる事はなく、その男は動かなくなった。
「テ、メェ──!」
それを見て、二人が動き出す。よく似た背格好の、ガラの悪い男達だ。
炭鉱夫か、運送業か。彼らに魔法が使えたとは思えないが、そのような人間でさえも労働が無くなれば食うに困る。
ここで時間を潰しているのは、その現実から目を逸らすためなのか。
「舐めてんじゃ──」
声を張り上げさせる前に、敢えて大きく踏み込む。
体躯の差。密着と呼んでいい位置に踏み込み、顎の下から男を覗く。
遅れた反応。抱えるように迫る腕は、しかし彼を捉える前に力が抜ける。
肘を刺す。脇腹。全体重が乗ったその一撃は、男の動きを止めるには十二分。
背後からのもう一人の突進。敢えてこちらからも距離を詰め、虚をつかれた目から姿を消す。
低い姿勢。足払い。崩れる体。先の男もそちらに放り投げ、二つの額を痛烈に衝突させる。
両手で数えられる程度の時間で、暴漢の無力化は完了した。
(……魔法が無いのは不便だが。殺さなくて良いってのは、気楽なもんだな)
静寂。あまりに迅速な鎮圧に、その場にいた誰もが言葉を失う。
しかし、喧騒が戻ってくるまではやはり早く。或いは彼への賞賛を送り、或いは世間話に声を戻し。酒場は倒れた男達を排斥しつつ、自然な姿へと戻っていた。
彼もまた、余計な騒動から離れ、端の席へと帰還する。飲み続ける女性。溜息。
「人の気も知らないで。本当に酔わないのか?」
「んー、と。ねぇ。」
おかわりを所望。迅速な対応。満足な顔。掲げられる杯。
「よってるーーーーーーー!!!!!」
盛大かつ仰向けに、だらしなく無防備に、杯を離さずぶっ倒れた。
「お客様ーーーーーーー!!?!?」
「馬っ鹿野郎ーーーーーーーー!!!!!」
本当に、このまま放っておいてやろうか。




