12.
彼女は高名な薬師ではなかった。
歳の割には腕が立つ。その程度の評判だった。
街から外れて、森にすぐ踏み込める程度の立地。
居を構えたのは、そんな場所。薬草がほど近く、人から離れた分だけ研究を進められ、それでも街中には踏み込もうと思えば行ける程度の距離。
彼女にとって、好都合な条件は整っていた。薬師として、充分な生活を送るのに不足はなかった。
より多くの人を救いたい。苦しみから遠ざけたい。そんな子供じみた願いを叶える為に、彼女なりに手を尽くそうとしていたのだ。
才能だけで言えば、中の上というくらいのもの。
軽い体調不良であれば、原因を看破し静養を勧め。
流行り病の類であれは、薬師の間で認知されている特効薬の調合に勤しむ。
未見の疾病に対しては無力であったが、少しでも苦痛を和らげる為に尽力していた。
人と向き合う彼女の姿勢は、故に高く評価されていた。少しでもできる事を増やそうとする勤勉な彼女は、人当たりの良さもあって、次第に良い噂を集めていった。
ただ。
足りない、のである。
人に認められる事が、ではない。金銭的な問題、でもない。
知識が。経験が。結果が。何もかもが足りていない。未知の病魔に、致死の怪我に、彼女の腕では対応できない。
取り落とした命があった。苦悶に満ちた顔が焼き付いた。
どうして救えなかったのか。自責に苛まれ、ただ毎日の中で、それは少しずつ彼女の中に淀んでいった。
知識を欲した。技術を欲した。
あらゆる書本、記録の隙間。ただの御伽話だろうと、その全てを拾い上げ、少しずつ自身の力にしようとしていた。
誰もが鼻で笑うような奇跡にさえ縋っていた。怪しいまじないにも手をかけていた。
その上で、努力は確かに実っていたのだ。結果に直結する程の成果は、すぐには出ない物だけど。
そして、日々を重ねる内に、彼女はひとつ違和感を覚える。
いつもの事だ。
これは助からない。ひと目でわかった。持って二ヶ月。そういう病だ。
肌の表面に白斑が浮かび、全身の抵抗力が弱まっている。軽い傷でさえ致命に至る特殊な病。呼吸の度に寿命が縮まる病。安静にしても、ただ死期を遠ざけるだけだろう。
最早見慣れた、不治の病。
それを正直に告げようと、口を開こうとした瞬間。病人の前で、僅かに固まり。
一晩ください、とだけ応え、彼女は薬剤の調合に取り掛かった。
凄まじい事が起こっていた。
服薬の翌朝には、患者の白斑は全て消えていたのだ。
不治の病であろうと、結果を出せてしまった。
何をしたわけではない。ただの閃きである。しかしそれは、過去に例のない大きな結果を残す事に成功していた。
誰もが、こんな奇跡が起きるなどとは思っていなかった。たった一人を除いては。
彼女は優秀な薬師だった。
如何なる病にも答えを出す。それは万人にとっての希望だった。
やがて、彼女はとある事に気付く。
自分の未来。薬剤の調合。あらゆる過程を無視し、その結果だけを感じ取れる事に。
強く念じれば、その結果だけを、自分の手元に連れてこれる事に。
もしかしたら、と期待した。ずっと生きていれば、ずっと変わらなければ、この力を人の為に活かせるのではないかと。子供のように、夢想した。
不老は確かに叶った。もしかしたら、自分の技術でそんな未来を得る過程があったのかもしれない。
ただ不死だけは、不可能だった。いつになっても期限付き。
寿命が遥か未来に定まった。その結果だけが、残された。
それでも、普通の人間よりは遥かに生きられる未来が確定したのだ。
喜々として研究を続け、人の為に在ろうと尽力し、彼女は生きる時間の大半を他者のために費やし続けた。
ある年の暮れの事。
未知で、強力な流行り病が、彼女の住んでいた地域を襲う。
肌が溶け、肉が腐り、まだそれでも死に至らない。
激痛のあまりのたうち回るが、誰もその腐肉に近寄れない。その体液に少しでも触れれば、そこから腐っていくのを誰もが知っていたからだ。
病はゆっくりと広がっていた。触れずとも感染するのか、或いは地に落ちたそれが健常者にも届いていたのか、今となっては定かではないが。
彼女は、ただ全力だった。
持てる知識の全てを、持てる権能の全てを、ただその病の根絶の為に費やした。
結果なんて、わかりきっていた。
現代の人間には、不可避の病だった。
どれだけ結果を手繰り寄せようとしても、その事実は揺るがなかった。
それを解決するのは、二百年も先の事だったのだ。
その薬師は偽りに塗れていたのだ、と。
独り歩きしていた評判は、一夜の内に反転した。
ただ悲鳴と、絶望と、悲嘆だけが溢れる中。
縋り付く手を振り払うように、遂に、一人の薬師が姿を消した。
「魔女」が歴史に現れたのは、それからしばらくの事である。




