終話 受け止めて
▽カナリ
もうずいぶん前から苦しかった。
苦しくてたまらなかった。自分の気持ちに、名前を付ける勇気がない。
巻き込んで――。どうしようもなく巻き込んでしまった、罪の意識なのか。私を真っ直ぐに見つめる目を、失うことが惜しいのか。
流れ込んでくる存在力の、あまりの甘さに酔ったのか。
子犬が尻尾をビタンビタンと、精一杯振るような様子を、微笑ましく思っていた。つい絆されて側に置くうちに、心の中にちゃっかり居場所を作って居座った。
声変わりに驚き、際限なく伸びてゆく身長に目を瞠り、気がつけば骨格が変わっていた。
ついこの間までは、確かに少年だったのに。背中の広さにドキリと胸が鳴る。
ああ、大人になってしまった。
もう、子供の戯言だとはぐらかすことは出来ない。
それでも。私は繋いだ手を振りほどくことも、抱き合うことも選べなかった。
スーツを着た真剣なプロポーズを断ったのは、私の最後の虚勢だ。
辛いことがあるたびに、シュウのポケットに潜り込んで泣いた。あの微かに流れてくる暖かな存在力がなかったら、私はとうに潰れてしまっただろう。
シュウが制服を脱いだ頃には、もう気が気ではなかった。彼の魅力に誰かが気づいてしまったらどうしよう。若く、なんのしがらみもない華やかな女の子が、大学にはたくさんいた。
私の大きさでは、手を繋いで歩くことすらできない。
シュウが、小さくなる道を選んでしまうのが怖い。
彼の人生を、私に都合のいい方向に誘導してしまうのが怖い。
そして何よりも――。
彼の目の前で、衰えていく自分に傷付く日が、たまらなく怖かった。私は六歳の歳の差を、些細なものだとはどうしても思えなかった。
二年前、エクーが使節団の準備のためにカルマイナへ戻ると聞いた時、一も二もなく着いていくことを決めた。
私はシュウから逃げたのだ。
二年もあれば、きっと彼は恋人を作る。普通の大きさの、若くて可愛い女の子と恋をする。
それで、私はシュウの『お姉さん』に戻ろうと思った。
初めての宇宙の旅に、思い悩んでいる暇なんてあるはずがない。そして、小さな人ばかりのガルーラ旅団は、私にとって気楽でいられる場所だった。
カルマイナのガルーラ乗りたちは、みんな私に興味津々だった。どうやら『伝説の始祖の再来』と見られていたようだ。
私に近づくガルーラ乗りの中には、とても魅力的な男性も何人かいた。ところが。ふとした拍子にクロマルから、シュウの存在力の匂いがする。
夢の中で私を呼ぶ声がする。
『お姉さん』という声変わり前の少年の声と『カナリさん』という、低く甘い声が重なって聞こえる。
なんてこった! 同年代のイケメンのガルーラ乗りたちに囲まれて、モテモテのより取り見取りだっていうのに!
銀河を隔てて、遠い宇宙の彼方まで逃げて来た。逃げることに関して、私はなかなかのエキスパートだ。
その私の達人としての本能が『もはやこれまで』と白旗を挙げた。
これはもう、逃げきれない。
それならば……引き受けてやろうじゃないか。背負ってやろうじゃないか。美しい初恋の思い出などに、なってやるものか。
シュウは――、シュウの人生は、私のものだ。
小さく、小さくなってゆく私を見つけて、寄り添おうとしてくれた、ただひとりの人。
あの無垢で暖かい手は私のものだ。
後悔なんかさせない。私が幸せにしてみせる。
完敗だ! 私の負けだよシュウ! もうとっくに、私がシュウに恋していた。
あと、クロマルにこっそり教えてもらったんだけど……。
ガルーラは、重力と反重力を操って空や宇宙を駆ける。つまり重力による加齢現象から、遠ざかる可能性が高い。
「まだそんなこと気にしてるの? シュウはシワシワになっても、カナちゃんが大好きだと思うけどなぁ」
もう! クロマルはデリカシーがないなぁ。私にとっては大問題だ。
「そのへんの女性の不安を、取り除いてやれないのは、シュウの未熟さだな!」
でもねエクー、そこがかわいいの。あ、笑ってる! 早く行けって?
うん。行きます! 佐伯カナリ、一世一代のジャンプ。
シュウ、受け止めて!!
▽シュウ
「シュウーーー!!」
落下傘を着けて落ちる人のように、両手を広げて真っ直ぐに落ちてくる。色とりどりの帯が長く棚引いて、青い空に踊る。
まるで砂漠の国の民族衣装みたいだ。極彩色が空を彩る。
「受け止めて!」
真っ直ぐに落ちてくる、僕の大切な人。
クロマルの背で、補助棒を握っている時そのままの、痛々しいまでに真剣な表情で、僕めがけて落ちてくる。
いくら軽くて小さくても、十メートルの高さから落ちて来たら、衝撃で怪我するかも知れない。そう思ってなるべく高いところで受け止めた。
勢いを殺してしゃがみ込み、そっと手のひらを広げて無事を確認する。まったく、こんな無茶をして!
感動の再会が台無しになったら、どうしてくれるんだ!
カナリさんは、僕が文句を言う暇もくれずに、シャツをガシガシと這い登り、小さな小さな手で、僕の胸ぐらを掴んで言った。
「シュウ、共に生きて、共に死のう!」
突拍子もない行動と、情熱的な言葉にクラクラと目眩がする。天を仰いで深呼吸してみる。
ああ、空が。嘘みたいに青い。
旅の間に何かあったのか? 余りに急な申し出に、かえって心配になる。
でも……。
僕の胸に、自分から飛び込んで来たんだから、もう遠慮しなくていいよな?
小さな小さなその身体を、自分の胸に押し付ける。『ムギュウ』って声が聞こえたけれど、離してやらない。
僕の恋心が、十年目にしてようやく受け取ってもらえたのだから。
「うん。共に生きて、共に死のう」
“ガルーラとマスターのように”
そんな覚悟はとうの昔、十四の年に済ませてある。なんせ僕はキミのために、宇宙怪獣と戦う決心をした男だ。
「お帰りカナ。会いたかった」
わざと名前を呼んで言ったら、首まで真っ赤になってへにょっと笑った。初めて逢った時から少しも変わらない、大好きなゆるゆるの笑い顔。やっと真っ直ぐに、僕だけに向いた。
黙ったまま、自分の唇をトントンと指で叩く。うん、そう。
十年も待ったんだから、少しのご褒美くらい望んでもバチは当たらないはずだ。
小さな僕の恋人が、照れながらそっと寄せてくれた唇は、小さすぎてよくわからなかった。
僕の恋人は13.8センチ。
残念ながら、抱き合うのはまだまだ先になりそうだ。
おしまい
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。これにて完結です。少しでも楽しんで頂けたなら、幸いに存じます。
はなまる