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「あ~、もしかして君が“粉奈無双”クンか~?」
「そ、そうですが……」
「わはっ~。いつもホコリタケたちから君の話を聞いていたからわかりましたぞ~。いつもぽふぽふしてくれてありがとうですぞ~」
なぜ俺の名前を知っているんだろう……と疑問に思ったが、まぶたを閉じたまま柔やかに笑うコスプレっ子さんを見て正直どうでもよくなってしまう。彼女が可愛らしく笑う姿は、その場にほんわかした雰囲気が漂った。コスプレっ子さんの口から覗く八重歯が彼女の可愛らしさをより引き立てる。
それにしても、間近でよく見れば見るほどよく出来たコスプレだ。あまりにもよく出来ていて、つい見とれてしまう。
髪は毛先に向かって褐色から白のグラデーションで、なんだかとげとげしい突起物が無数についている。髪の毛の色合いといい、飛び出た突起物具合といい、まるでホコリタケを思わせるかのようであった。
スカートの部分はホコリタケをそのまま象ったデザインになっていた。上半身はホコリタケを象ったスカートから胞子が吹き出す様を現しているように、へその辺りと首の辺り、そして大きな二つの膨らみの辺りに黄褐色のファーを身に付けている。
そして、極め付けと言わんばかりに頭に積もる大量の埃であった。彼女が少し動く度に、その埃はほろりほろりと舞っていくのだ。
さすがにコスプレも度か過ぎると嫌悪感を抱くかも知れない。たが、彼女に至っては嫌悪感を抱くこともなく、むしろ俺にとって最高のコスプレなのではないかと思った。
「かっ、可愛い……っ! ここまで愛情を感じるコスプレを見たことがない!」
心の中で叫ぼうと思っていた声が外に漏れてしていた。
「可愛いだなんて嬉しいですぞ~。お礼は煎茶くらいしか出せませぬが、どうぞ召し上がってくだされ~」
そんなことを言うと、コスプレっ子はどこからともなく急須を出し、湯呑みに茶を注いで俺に手渡してくれる。
「あ、どうも」
「やっぱり、芝生の上で煎茶に限りますぞ~」
彼女がずずずとお茶を美味しそうに飲むので、ついつられて俺も飲んでみた。だがこの煎茶、決して美味しくなかった。ただのお湯を飲んでいるとしか思えないほど味が薄かったのだ。
「……味が薄い」
俺はつい、本音をポロリと口走ってしまう。しまった! とも思ったが時にはもう遅かった。
「なぬぬ~?! もう薄くなってしまったのか~。申し訳ない~、今すぐ新しい煎茶を用意しますぞ~」
コスプレっ子さんは申し訳なさそうに言うと、スカートの部分から使い古した茶袋を取り出した。
俺は彼女のその姿を見て確信する。 “キツネノチャブクロ”と言う名のとおり、頭にはキツネのような耳。そして、この茶袋。…………間違いない、この子はモノホンの“キノコ女子”に違いない!
俺はそう思うと急に嬉しくなり、お茶を用意してくれようとしていた彼女の肩をがっちりと掴む。
「君の名前はっ?!」
「ほよ~? 埃原茶狐と申しまする~」
「ちゃ、茶狐ちゃん……! もも、もしよろしかったら、おおおお俺とつつ――」
そう言い掛けると、どこからともなく、どん! と大きな音が聞こえてくる。びっくりした俺は彼女から手を離し、そちらの方向を見る。すると、吉田さんが窓際でこちらを睨みつけているのだ。俺がきょとんと見ているとまるで、「早くそいつをどうにかしろ」と言わんばかりの仕草をしてからまた窓ガラスをどんどんと叩いてくるのだ。
……早くどうにかしないと、茶狐ちゃんが吉田さんのボディプレスを食らわしそうだ。
その姿に恐怖を覚えた俺は、早急に茶狐ちゃんをこの庭から連れ出すことを考えた。
「ちゃ、茶狐ちゃん、どうして君はこのお家の庭に居るの?」
「どうして、ですと? う~ん。通り掛けにいい芝生があったから、ついつい煎茶を飲みたくなったから。なのですぞ~」
「いい芝生があったから、ついつい煎茶を飲みたくなった……だって? いやいやいや、普通はそんな考えしないでしょう?」
「普通~? いやいやぁ~、ホコリタケにとってはそれが普通ですぞ~? おかしなことを言いますな~、無双クンは~」
そう茶狐ちゃんが言うと、煎茶を淹れた湯呑みにを俺に差し出してくる。そこからはいいお茶の香りが漂ってきたのだ。
だが、俺は首を傾げた。
よく考えてみろ。「ホコリタケにとっては普通」だと? この子はコスプレでは飽き足らず、ホコリタケそのものになりきっているのだろうか?
いや、待てよ。そもそも俺はいつ茶狐ちゃんに名乗ったんだろう? 初対面なはずなのにどうして俺の名前を知っていたんだ?
俺は茶狐ちゃんの言動に終始混乱していると、痺れを切らした吉田さんが窓を開けて大声を上げた。
「いい加減にしなさいよ、あんた達っ! 嫌がらせにも程があるんじゃないかしらっ!」
鬼の形相で向かってくる吉田さんの姿を見ると、混乱していたのに一気に冷静になる。どうしよう。このご様子じゃあ、茶狐ちゃんはボディプレスは確定かも知れない。
そう思うと俺は覚悟を決めて茶狐ちゃんを守ろうと吉田さんの前に立ちはだかった。……が、ことごとく虫を叩くように退けられた。
だが俺だって男だ。女の吉田さんに負けるわけがない。
そう思ってまた吉田さんの前に立ちはだかるが、彼女は次に猫の首を摘まむように俺を持ち上げた。
「ちゃ、茶狐……! 逃げろ!」
やはり吉田さんにかなわないと悟った俺は、慌てて茶狐にそう言った。
「ほよよ~」
だが、茶狐ちゃんは微動だにもせずに吉田さんを見上げているではないか。
「私の芝生ちゃんの上で許可なく茶なんか飲んで、とうなるかわかってるでしょうね?」
俺は吉田さんの強烈な一言にもう駄目だと諦め掛けたその時だった。
「むむむ~っ! 今までアナタに弊害だと言われ続けた、私達ホコリタケの恨み。今ここで晴らさしていたたきますぞ~! ホコリタケ奥義・メツブシ乱舞~っっ!」
急に茶狐ちゃんがそう叫ぶと、ヴィジュアル系のノリ並に頭を振り出すではないか。すると頭にどっさりと乗っかっていた埃が、もわんもわんと吉田さん(俺含む)の所に飛んでくるてはないか。
俺はそれを見た瞬間に目を瞑り、息を止めた。
「いっ、いぎゃーっ! 目が……耳がっ!」
突如、吉田さんはそう叫ぶ。すると、体がほんの一瞬だが宙に浮いている感覚がしたかと思えば、次に尻の辺りににズンと激痛が走った。
「いてーっ」
その衝撃に耐えかねて目を開く。すると、もわんもわんと埃が立ち込める辺りに体を渦くめて必死にもがいている吉田さんと、それを黙って見つめている茶狐ちゃんが居たのだ。
これはチャンスと思った俺は、茶狐ちゃんの手を取った。
「逃げるぞ!」
「ほよ~?? どうして逃げなきゃいけないのですか~?」
「吉田さんは恐ろしい人だからだよ!」
「むむ~、でもこの芝生……名残惜しいですぞ~」
「いいから早く!」
俺はうだうだ言う茶狐ちゃんを無理矢理立たせる。その瞬間、俺は信じられない光景を目の当たりにした。
茶狐ちゃんの座っていた辺りの芝生が、ものの見事に枯死していくのだ。
目を疑った。この感じ、まさしくフェアリーリング病なのだ。
それを見た俺は、埃原茶狐と言う人物が叶の言っていた〈キノコの娘〉であるかも知れないと思った。
だが、しかしながらこの場で会話をするのは何かと危険を伴う。だから俺は茶狐ちゃんの手を引き、俺の家へと逃げ帰ったのであった。