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何の気なしに自己紹介なんてしてしまったが、はたして良かったのかと疑問に思っていた。だって、「自分はキノコです」とか言う女の子を心底信用できるはずがないじゃないか。
だが本人を目の前にそんなことを言えるはずもなく、俺は叶と名乗る女の子にお茶を差し出してしまった。
叶はちゃぶ台を挟んで俺の目の前に座ると、満面の笑みを浮かべながらこちらを見つめていた。
よくよく彼女を見ていると、瞳の色が七色だというのに気が付く。普通の人間ならこんな色の瞳を持っているわけがない。やはり、彼女の言うことは本当なのか、と思いなから叶を見つめていた。
「で、無双さんの願いはなんですか?」
「……願い?」
「はい。…………ああ、やはり人間にはニジイロタケの存在がまだ認識されていないようですね」
そう言うと彼女は少し嬉しそうに、かつ意思悪そうに笑って見せた。
「もしかして、今さっき君が『願いを叶えるキノコ』って言っていたけど、君はそう言うキノコなのか?」
「……はい。誰かの願いを一度だけ叶えるキノコです」
“誰かの願いを一度だけ叶えるキノコ”。それを聞いた瞬間、俺の欲が疼く。
「誰かのって……、俺の願いを叶えられるってことか?」
「はい。たった一度だけ、ですが」
残念そうに言う叶であったが、俺にはその言葉ははっきり聞こえていなかった。いや、聞こえていなかったと言うより、都合よく聞こえていなかっただけかも知れないが。
「もも、もしかして『金持ちになりたい』とか……『ハーレム作りたい』とか、はたまた『世界征服』なんて願も叶うのか?!」
「『世界征服』という願いは叶えたことがないのでどうなるかもわかりませんが、叶えることは出来ますよ」
最後のは冗談交じりに言ったつもりだったが、そう受け止めなかったのか、または本当に何でも願いを叶えられるのか、叶は真顔でそう言った。
「…………えっ、『世界征服』は冗談のつもりだったんだけど。もしかして、願いには制限ないの?」
「はい、どんな願いでも叶えることが可能です」
その言葉に、俺の心は舞い上がりそうになる。
「どどど、どんな願いでも?! えっ、えっと、じゃあ『キノコ好きを増やして欲しい』とか、『キノコ仲間が欲しい』とか、『キノコ好きの彼女が欲しい』とか、『この世界をキノコで埋め尽くしたい』とか……あとは、ええっと」
「無双さん、聞いてました? この願いはたった一度、たった一つの願いしか叶えることが出来ません。ですから、複数は諦めてください」
「えっ?! あー……じゃあこれがいいな。『願いを増やしてください』」
「冗談はやめてください」
俺は至って真面目に言ったのだが、叶にはそう聞こえなかったようで呆れ顔で言葉を返された。
「冗談じゃねぇよ! 至って真面目に言った願いだ」
「そこは察してください。そんな願いを叶えられるわけないでしょう」
「いや、『世界征服』だなんて願いが叶えられるくらいなら、回数を一、二回増やしたところで問題ないだろ」
「一、二回? 軽く言わないでください。出来ないものは出来ません」
断固としてそう言い張る叶に腹が立った俺は、頬を膨らましてから叶に突っ掛かった。
「一回や二回くらいいいだろう? このドケチ!」
「ドケチじゃないですよ! これは……そう、そうです。ラノベ特有の『ご都合主義』なのでこればっかりは仕方がありません!」
「なんだかメタい発言だな、それ。そんな風に言われると夢がない」
「夢がないことを先に言ったのは無双さんの方でしょう? 願いを増やすなんて汚い大人のやり口です!」
……なんだか叶と話していると疲れてくる。
俺は何を言っても無駄なのだと悟り、「わかったわかった」と言って叶を宥めた。
「まあ、わかればいいんです」
勝ち誇ったようにドヤ顔を決める叶。結構ムカつきます。
たが俺は二十五歳だ。きっとこいつよりは大人だ。ここは大人の対応とやらを見せつけなければならない。
俺は苛立ちをぐっと抑えて普通を装った。
「で、願いが一つしか叶えられないとして、だ。うむむ、何を願おうか」
「別に『すぐお願いを言わなきゃ、叶えてあげません!』なんて言いませんから、ゆっくり考えてください。その方が私にとって嬉しいので」
叶は案外嬉しそうにそう言う。
俺にとってそれは都合のいいことなのだが、あまりにもうまい話なので少し疑問に思った。
「どうしてそんなに嬉しそうなんだ?」
「人間に抜かれたなんて前代未聞ですから、人間社会の見学が出来ると思いまして。ずっと体験したかったんです、人間世界の文化を」
叶はそう話すと屈託なく笑う。頬を赤く染めて、それは楽しそうに笑っていたのだ。
その表情から察するに、叶は嘘などついていないことがわかる。だが、その話を聞いて俺は首をかしげた。
「『人間に抜かれたなんて前代未聞』だと? 他にどんなやつの願いを叶えるんだ? 犬とか猫か? それとも……」
「キノコですよ」
平然とそう言う叶に、俺はぎょっとする。
キノコがキノコを抜く? そんな摩訶不思議な事が起こると言うのだろうか?
それより、そもそもどうやってキノコがキノコを抜くのだろう?
俺はその疑問を叶にぶつけた。
「キノコ……? キノコが願いを叶えるために、キノコであるお前を抜くってか? おかしい話だろ、それ。キノコには手足がないからお前を抜けるわけないだろう?」
「そうですね。普通のキノコじゃ私を抜く事なんて不可能です。ですから〈キノコの娘〉達が私を抜くんです」
叶はそう言うとずずずと茶をすする。それを見て、つられるように俺も茶をずずずとすすった。
「〈キノコの娘〉……。お前が言ってた擬人化したキノコってやつか?」
「はい。〈キノコの娘〉……――もしかしたら、キノコの擬人化よりキノコの妖精と言った方がわかりやすかったかも知れませんね。『虹の雫がゲートに満ちたとき、願いを叶えるキノコが虹色の衣を纏い現れん』。……ニジイロタケの存在は、〈キノコの娘〉が住む世界に伝説として知られています。ですが、ニジイロタケはゲート……つまり、人間世界でフェアリーリングと呼ばれているものの中でしか生えません。ですから、人間の姿をした〈キノコの娘〉がゲートを通り、人間世界で自らの願いを叶えようとニジイロタケを探すのです」
「ほう。だから先ほど『私は虹が出た時、フェアリーリングの真ん中にしか生えれません』……とか言ってたのか」
俺がそう言うと、叶は何回も頷いてみせる。
「そうなのです! 私を見つけるのは宝くじが当たるよりも、異世界に勇者として召喚されるよりも、無双さんに彼女が出来る確率よりも低いんですよ!」
「そうなのか……。って、最後のはうるせぇ!」
俺は叶の言葉に怒りを覚え、頬でも思いっきり抓ってやろうとしたが、「きゃーこわいー」と叶が黄色い声をあげた。
ただでさえ頭に血が上ったというのに、その黄色い声が俺の怒りを倍増させる。
だ、たが、俺の方が大人だ。拳を握り締めながら少し深呼吸をし、俺の心を落ち着かせた。
「でも無双さんは私のことを知らないから、私を机の上に放置プレイでしたし……。ですから、私はこうしてあなたとお喋りするために擬人化した、と言うことですよ」
「……まあ、無類のキノコ好きな俺でもわからなかったからな。それにあんな色合いのキノコ、誰でも毒キノコだと思って採らないだろうしな」
「いえいえ、ベニテングタケと同じくイボテン酸を多く含んでいるので美味しいですよ!」
「味はどうであれ、実は猛毒でした。じゃ、シャレになんねぇんだよっ!」
誇らしげに話す叶に正論をぶつける俺。すると、叶の頬が見る見る膨らんだ。
「美味しいのにー」
「死んだら生き返してくれんのかよ!」
「きっと出来ると思いますが、ゾンビになっても知りませんよ?」
「それじゃ意味ねぇだろ!」
俺は息を切らしながら叶に突っ込みを入れる。
……と、言うか。かれこれ起きて叶と話し始めて一時間かそこら話しているのだろうか?
一日が始まったばかりだというのに、どっと疲れが押し寄せる。
きっと、ツッコんだりボケたりし過ぎたせいだろう。
俺は深く溜め息を吐いてから、ちゃぶ台に顔を伏せた。
「どうしたんですか?」
心配そうな声で叶が聞いてくる。
「お前とのやりとりが疲れただけだ」
「……すいません。久しぶりに話せたから、つい」
急にしょげた声で叶はそう言う。その反応が予想外だった俺は顔を上げると、親に叱られた子供のようにしょげた顔をしている叶が居た。
「ゆっくりでいいんです。あなたの叶えたい願い、考えておいてくださいね」
叶はそう言うと、寂しそうな笑顔を見せる。
こういうとき、どう対処したらいいのかがわからないから、俺はたじろいでしまった。
「お、おう」
「ですから……ですからっ! 無双さんが願いを決めるまで、この家でお世話になりますね!」
だが、叶はすぐに今までの笑顔に戻ると楽しそうにそう言った。
女心は秋の空、と言うが、こんなにもころころと変わってしまうと俺もどうしたらいいのかわからない。
「お、おう」
俺は咄嗟にそう言ってしまうと、叶はにやりと笑う。
「宜しくお願いしますね、無双さん」
こうして、俺と〈キノコの娘〉と名乗る叶との生活が始まった。
――その出会いは、新たなる〈キノコの娘〉を招くことになるとは、その時の俺には予想も出来なかった。
next;ホコリタケ~埃原茶狐~