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赤い金魚の話

 私たちはある世界にきていた。青白い空には無数の、焼いたパンのような雲が散らばっている。芝生の上では羊や牛がのっそりと動きながら、それを食べている。

 そしてその近くに、赤い屋根の家が一つ。もくもくと立ち込める煙が煙突から吐き出されている。空に浮かんでいる雲たちは、すべてこの家から吐き出されたものなのだろうかと思うほどに、この世界にはこの家以外見当たらなかった。


 やはりここも地球にとても似た世界なのだろうか。風景だとか、生き物だとか、空だとか。私もここに似たような箱庭で暮らしていたんだろうけれど、全く思い出せない。

 ある世界で、ある人が教えてくれた。地球という世界では、“純人間”が何人も蠢きながら暮らしていると。

 世界はこんなに広いのに、何故あんな狭いところに暮らすのか理解できないねぇ、というある人の言葉が私の脳裏に焼き付いていた。

 私はその世界で暮らしていて、蠢動する人々とまみえながら暮らしていたはずなのに。

 なのに、なぜ、私は思い出せないの。


 私とシーヴァはその家の前へ行き、扉をノックする。「はぁい」という優しい声がすると、すぐに女の人が出てくれた。


「すみません、よければ三日ほど泊めて頂けませんか」


 そう私が訊くと、女の人は笑顔で了承してくれた。

 私も笑顔で感謝の言葉を述べると、上から足音が。

 私とシーヴァはそっちを見る。見えたのは、まだ十にもなっていないような幼い少女だった。

 私たちに気づくや否や少女は目を見開き、元いた方へ戻っていってしまった。


「すみません、あの子恥ずかしがり屋なものでして……」


 少女の母親はそう言って笑顔を見せると咳き込んだ。

 私も笑い続けた。シーヴァは……わかんない。


 夜。ベッドを貸してくれるという母親の言葉をなんとか振り切って屋根裏部屋を借りることができた。泊めてくれるだけでも十分にありがたいのに、ベッドまで貸してもらっちゃうだなんて、申し訳なさすぎる。この家には男の人がいないみたいだし……つまり、きっと父親は……

 ああ、もうやめよう! つまり農作業もあるだろうし、それなのにベッドを借りちゃうだなんて、本当に悪いと思ったから必死に振り切っただけ!

 これじゃあ昨日の夜の堂々巡りだ。私にもお父さんとか、お母さんだとかがいたんだって、また思い出してしまう。

 そして、なぜ二人は私を見つけてくれないのと考えてしまう。

 その問いに私の心臓は毎回驚かせられてばかりで、心臓がどくんと跳ねるのがいつも明確に分かる。

 そんなことを考え俯いている私に、ふとシーヴァが声をかける。


「気分でも悪いのか。人間が嘔吐寸前に見せる行動と類義したものが見てとれる」

「お……おうと?」

「吐く、ということだ」


 シーヴァは胸元にごつい手を置き、俯き身体をびくんびくんと痙攣させてみせた。彼に口なんかないし、目もないし、眉や皺さえないので、その動きが吐いているという仕草を表しているようには到底見えなくて、滑稽で。

 おかしさのあまりにぷっと吹き出し、笑ってしまう。

 シーヴァは俯くのをやめ、胸元の手を離す。そして“きょとん”として、こちらを見る。


「何がおかしい」

「いやっ、なにも、おかしくない!」


 じゃあ何故、と聞くと、私が余計に笑ってしまうことを知っている彼は、それ以上追求してこない。私を物不思議そうな感じで見つめてくるだけだ。

 ああ、そうか。私、そんな感じだった? ヘンだったよね、滑稽だったよね、バカだったよね。笑っちゃうよね……。

 私、シーヴァから見たらおかしいのかな。ヘラヘラ笑いながら自分の手を見る。

 確かに人間の手だった。

 暫く、お父さんとか、お母さんのことを考えるのはやめようと思った。


 二日目。下へ降りると、母親が背を向け、ぐつぐつと動く鍋とにらめっこをしている最中だった。

 初めに私たちに気づいたのは、行儀よく朝食を待っていた少女だった。びくっと身体を震わせると、瞬時にテーブルの下に身を潜めた。

 その音で振り返る母親が、私たちに気づき、その後少女に気づいた。「こら、少女」と軽く叱ると、少女は嫌々顔を出し、椅子に座る。

 しばらくして、パン、搾りたてのミルク、野菜のスープ、羊の肉をご馳走になった。私と母親が笑談する中、少女は怪訝そうな表情で食事をとりながら、食べる必要のないシーヴァとずっとにらめっこをしていた。


 食事を終えると、母親は早速身支度をし、農具を身につけ農作業へと向かう。私はシーヴァを叩いて、手伝いしたら? と提案した。母親は嬉しそうにシーヴァに農具を持たせると、早速羊の毛刈りを始めた。

 そんなのどかな時間を感じながら、私と少女は木にもたれながら、それを見ていた。

 一日目と全く同じような天気だ。雲は私たちのように空をたゆたう。揺らめく草花も、蠢く家畜も、それを世話する二人も、全く同じ速度に感じる。

 地上も空も同じ速さで流れていることを感じながら、陽炎に揺らめく身体を何となしに見ていると、少女が不安そうにこちらを見てきたのに気づく。

 あの表情だった。食事でシーヴァを睨んでいるときに、一瞬だけ見せる表情。俯いた時だとかに見せるくもった表情。

 ――私はなんとなく、少女に問いかけた。


「シーヴァが怖いの?」

「えっ……」


 少女のは感嘆の声をあげると俯き、「うん」と小さく返事した。


「見たことが……無かったから……宇宙人」

「そうだね。私も初めてシーヴァを見た時はびっくりしたなぁ」


 そう言って私は笑う。少女の乾いた笑みには、違った不安がくぐもっていた気がした。


***


 二日目の夜。シーヴァと二人で屋根裏部屋にいると、少女がやってきた。階段をあがってくると、手すりに隠れるようにして、私に手招きをする。

 きょとんとしているであろうシーヴァに私は「シーヴァが怖いんだって」と言い、少女の元へ行く。


「お姉ちゃん、こっち」


「お姉ちゃん……」

「なぁに」

「お姉ちゃんは、純人間なの?」

「……違うよ。お姉ちゃんは、クローンだよ」

「そっか。よかった、お姉ちゃん」



「やっと、お母さんを楽にしてあげられる」
























 あっという間のことだった。狂気的な笑みを浮かべる少女が異様に大きく見えたことと、その少女の手の先になる凶器に気づいたことは。



 “ナイフ”そう私が唇を動かす間も無かった。



 そして、その少女が、劈かれたことも。






 錆びた鉄の匂いがすぐに私の鼻孔に入ってきて、仕事をしない脳みそに釘を打つ。

 合わせたくない。合わせたくない。見たくない。そう願っても視界は晴れ、残景がはっきりと見えてくる。

 


 ち……血? 分からない。多分、血だ。そして横たわるあれは、少女? さっきまで一緒に喋っていた、少女?

 そしてあの少女が流したのが……あれ?



 緑の、血?




 錯乱するあまり、また視界がぼやけてくる。頭が重くて、ぐるぐる唸ってる。

 ずしり、という足音がして、思わず振り向く。


「シーヴァ……」

「梔子」


 私の、私の名前を呼んでくるそれは宇宙人。人殺しの、宇宙人。


「梔子……」


 立ち上がる。足が子鹿みたいに震える。でも、歩かなきゃいけない気がした。今あいつに触れなきゃいけない気がした。

 あいつの冷たい身体に触れることで、私は生きているということを実感したかった。

 一歩進んでは床に手をつけた。大きいシーヴァが、今日はもっと大きく見えるよ。


 あいつを抱きしめる。近代的な無機質の塊。その冷酷さは、私の心臓を冷やすようだった。


「ありがとう、ありがとうシーヴァ」


 なんであの子を殺したの、そんなことを言うのは愚か極まりない行為な気がした。シーヴァが殺してくれたんだ。私の代わりに殺してくれた。そう思うのが正解だと思った。でも、それって最高に狂ってるとも思った。きっと純人間だったら、シーヴァを恐れるはずだ。仲間を殺したシーヴァを恐れるはずだ。恐れるはずなのに。

 ああ、やっぱり狂ってるんだ、クローンは。私はどんな病名なんだろう。お人好し、かな。そんなことをぼんやり反芻しながら、私はシーヴァを抱きしめる手に力を入れる。

 無機質なものが落ちる音がした。緑の血がついたナイフの音だ。きっと落ちたナイフは床にレタス模様を作っているんだろう。震えている私に、それを確認する余裕は無かった。

 背中に冷たいのを感じる。シーヴァも私を抱きしめ返してくれてるんだ。さっきまでナイフを持っていた手が私を支えてくれている。シーヴァは私にナイフを突き刺さないでくれている。それが嬉しくて嬉しくて、堪らなかった。


「行こう、別の世界へ」

「……うん」


 泣きそうな声で、私はそう言って目を閉じる。



***











「私の娘を……ああ……リリー……」


 緑の血に埋もれる小さな亡骸を抱き、母親は崩れ落ち泣き喚いた。

 白いエプロンに血が滲むのも気にせずに、母親は強く娘を抱きしめる。

 母親は家畜と夜空と、延々と広がる草花の世界の中で泣いた。その声は言語を操ることのできる純人間やクローンの誰ひとりに届くことなく、夜空の星に吸い込まれていく。

 毒々しい緑の体液はどくどくと、今尚床を侵食していく。

 娘がだんだん軽くなっていく度に、母親の慟哭は強くなっていく。

 母親の泣き顔は哀れで、すっかり年老いた老婆のような顔だった。

 母親の冷たい足音のあと、冷たい音がしたかと思うと、次第に泣き声は消えた。

 





 まるで鐘が鳴るように、私の視界が揺れる。身体が動かない。頭がぼんやりして、ああ、だんだん目が見えるようになってきた。

 あ……あれは……お母……さん? 目を瞑ってる……じゃあ、私は寝てたの?

 でもおかしいな……すごく寒いや。まるで風邪を引いたみたいになっちゃった。でもそんなはずないよね。だって、私はあのお姉ちゃんを殺そうとしてたんだもん。

 あれ、じゃあ……私、逆に殺されちゃったのか。あれ、でもおかしいな。なんで……お母さんも……目を瞑ってるの?

 お母さん、疲れて寝ちゃったの? ごめんね、お父さんが逃げちゃったから、私その分一生懸命生きなきゃいけないはずなのに、ごめんね。お母さんに苦労ばっかさせてごめん。わがままばっか言ってごめん。農作業もろくにできなくてごめん。足手まといでごめん。

 死んじゃって、ごめん。

 ごめんね。死ぬつもりでいたのにさ、起きちゃった。ごめんね。お母さんを置いて死んじゃうつもりでいたから、罰があたったんだね。

 置いてこうとしてごめんね。お母さんも、痛かったよね。私も今、すごく痛いんだ。だるくて、身体が重くて……。

 あれ、でもおかしいな……トマトジュース……溢れてる……あはは……ドジだなぁ、お母さん……。死ぬ前に飲みたいものがトマトジュースなんて、ヘンなの……。






 ――ああ、思い出した。

 




 あれは、金魚なんかじゃない。

 金魚なんかじゃなくて、ああ、そうだ。

 あれは、






「おか……あぁ……あぁあぁ……さ……ん」




***


「うわぁ、なんだこの気味の悪い場所は」

「うわ、くっせー」


 こら君君、そんなことを言うな。仮にも人様の家だぞ。おまけに無断であがっているというのに、なんという口の聞き方だ。助手として不合格だな。そうアルビノの少女が発言した直後に、蟲人の「痛ッッ!」という呻き声が聞こえた。


「わざと踏んだだろ」

「僕がわざと踏まなかったことってあるかい」

「クソが」


「ああ、なんだかこれ、正夢な気がするぞ」

「あン?」

「僕、最近夢を見たんだよ。うーん、巨大な水槽に、一匹だけ小さな金魚がいるんだ。でもその水槽を、僕が誤って倒れさせてしまったもんだから、無論水槽は粉々に砕けるんだ。水浸しになったところで一匹の金魚がびちゃびちゃと跳ねているんだけど、当然硝子が身体を傷つけてね、血まみれになるわけだ」


 ほうら、この状況、夢にそっくりじゃないか? 床を埋め尽くす血に、顔を埋める二人のクローンを指さし、アルビノの少女が言う。


「ああ、でも夢とちょっと違うね。金魚が二匹に増えてる」

「あー……確かに。っていうかお前キショイよ。ろくでなしだからそんな夢見るんだろ」


 二人は家を容赦なく足あとで荒らしていく。


「……で、だ。お前はどんな風にそれを見てたんだ?」

「あー……最高に馬鹿馬鹿しいって感じたのは確かかな」

「それだけじゃすまねーだろ、お前の場合」


 金色の雄の双眸が、アルビノの少女を見据えた。少女は赤の雌の双眸で、蟲人を見上げる。

 そして彼女は少女的な笑みを向けた。どきっとした蟲人の心を見透かすように、アルビノの少女はにたにたと笑う。そして問う。


「じゃあ問題。僕はどんな行動をとったでしょーか!」

「あー…………」


 さいっこうに蔑んだ目で死体を見下しながら蹴りあげた、棒読みで蟲人がアンサーを告げると、アルビノの少女は笑顔で答え合わせをする。


「せいっかい!」

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