第五話 氷の結晶片
アトロポス様は手を二回叩いて仕切り直した。
「はい、これで契約は終わったね。じゃあ次! リューク、早く水晶をお出し。芹奈の魂の状態を見てやろうじゃないか」
アトロポス様は腕組みをして、にやりと微笑んだ。
隣にいたリュークが指を鳴らすと、急に大きな水晶が現れた。風魔法でゆっくりと水晶をテーブルの上に置いた。
「さあ、芹奈。手をかざしてごらん。お前さんの魂を覗いてみよう」
私は、唾を呑み込んでテーブルに近寄ると、恐る恐る水晶に両手をかざした。すると、眩い白銀と光の粒子が混ざり合い、スノーボールのように流動的な動きをみせた。しかし、それを邪魔するように、青黒い傷が細かくたくさんついていた。
アトロポス様は珍しそうに水晶玉を覗き込んでいる。
「ほう、光と氷の属性か。珍しいね。へ~ぇ、しかし魂は見事に綺麗なもんだね。こんなに魂に傷があれば、もっと濁りそうなものを」
「この青い傷は『孤独』で出来た傷なんだ。傷にも種類があるんだよ」
リュークが私に説明をしてくれた。
シルフも近寄って、水晶に映る魂を見つめる。
「あれ? これに氷の精霊の結晶片みたいなものがある。ほら、ここに塊みたいなものがあるでしょ」
シルフは水晶片を指でさした。
「うわぁ、本当だ~。白くて見えづらいが、確かにある。嘘だろ!!」
リュークがまじまじと水晶玉を覗き込んで、目を丸くした。ヘルメス様の魔法のペンは宙に浮かびながらも、活発に手帳に書き記していた。
アトロポス様は、魂を見ながら興奮した。
「これは……、あんた、前世が、氷の大精霊の血縁者だね? はははっ、子供を産んだのは、氷の大精霊だけだからねぇ~!!」
「あの……」
「あんた、どんなにきつい環境でも、闇落ちせずに自我を保つことができたんじゃないか? たとえ傷ついても、自分なりの良心というか、正義の軸があるから、魂は濁らない。氷の性質は高潔だからね」
アトロポス様は、私の思考が追いつけないのも、かまわずにしゃべり倒す。
「炎は情熱、水は柔和、雷はひらめき、風は知性と行動、土は努力、光は慈愛、闇は安らぎと休息。それぞれ、性質が異なるのさ」
アトロポス様がひとしきり喋り終わると、膝を叩き重い腰を上げた。私たちに何も言わず、黙って奥の部屋へ行ってしまった。アトロポス様がクロートー様を大声で呼ぶと、慌ててクロートー様が奥の部屋へ行ってしまった。
「ふふふっ、なんだかごめんなさいね。忙しない姉で。お紅茶覚めちゃう前に、みなさん召し上がれ。どうぞ」
リュークとヘルメス様は遠慮なく長椅子に座り、ラケシス様が用意したクッキーを食べ始めた。
「芹奈ちゃんも遠慮しないで、ここにおいでよ」
しぶしぶと、私はヘルメス様の隣に座った。高そうなソファーだけあって、ふかふかだ。
「ねぇ、芹奈ちゃんは、前世はどんなふうに過ごしていたの?」
「こら、ヘルメス! 人間のプライバシーに首を突っ込むんじゃない!!」
リュークが真面目な顔でヘルメスを止めた。
「いいですよ。どうせ終わった人生です。手短にお話します」
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「えっと、私は、父方の祖母に赤ちゃんの頃から六歳まで育てられてきました。祖父は他界して、祖母と私の二人暮らしだったんです。あの頃はとても楽しかったし、普通の子供とあまり変わらなかった。でも、年明けのある朝、おばあちゃんが寒い台所で倒れて、そのまま帰らぬ人になってしまったの」
両手をしっかり握りしめた。
「祖母のお葬式の日、疎遠だった長男の和弘が真由美を連れてやってきた。和弘と真由美は実の両親で、赤ん坊の私を育児放棄して、祖母に押し付けたそうです。その時、見たことない両親に戸惑ったことは今でも覚えている。その両親が私を育てると言って、引き取りに来たんです。それが地獄の始まりでした」
リュークが前のめりになって質問してきた。
「地獄って、一体なにがあったの?」
「祖母の家から離れた知らない町で私は、和弘と真由美の使用人になったの」
リュークが目を開いた。
「使用人ってどういうことだい? 実のご両親なんだろ?」
「私が、小学校に入学したと同時に、家事労働をすることになったの。その頃マンションには山本さんという、家政婦さんが働いていた。私は、山本さんに家事の全てを教わったの。でも、山本さんは三年目の春に腰を痛めて、辞めてしまったけど。その後は全部家事は一人で……」
「芹奈が住んでいたところは日本と聞いたのに、そんな豊かな国でもこんな風に子供を働かせるのね」
ケラシス様は不快感を露わにした。
「はい。まさに、使用人です。だから、一度もお母さん、お父さんと呼びませんでした」
「それで? それからどうなったの?」
ヘルメス様が話を進める。
「真由美は私に難癖をつけて、暴力を毎日振るわれました」
珍しくリュークがしかめ面をした。
「和弘は、お金だけ渡して、私になにも関心を寄せませんでした。和弘から受け取る一か月の生活費を、小学三年生のうちから管理をさせられていました。決して多くないそのお金から、食費や日用雑貨に使い、余ったわずかなお金を自分の衣服代や雑費に充てていた」
「大変な小学生時代を送ったんだね」
ヘルメス様が、優雅に紅茶をすする。リュークのように同情している様子も見えない。少しやな感じがした。
しばらくしてシルフが話に割り込んできた。
「だったら、学校生活はどうだったんだよ?」
「……小学生の時は私に近寄ってくる人なんて、一人もいなかった」
シルフは、興味を示したのか、私に近寄ってきた。
「なんで、どうしてなんだ?」
「……それは、私が『貧乏神』ってあだ名がついているから。私に近寄ると、貧乏がうつるとか、よくのけ者にされていたの」
「でもさ、夢見枕で会いにいった子は君の事が好きだったんだろ?」
リュークは、夢見枕で私の涙を見たから、そう思ったのだろう。私は静かに頷いた。
「高橋君とちゃんと話ができたのは、中学校からかな。偏差値の高い進学校に合格して、小学校のいじめっ子から離れることができたけど、高橋君が急に私のことを揶揄ってきて、近づいてきたの。彼は顔がいいし、モテるから、高橋君が好きな女子全員から標的にされて……」
「なんでそいつは、好きなくせにお前をからかったんだ? そのせいで、女子にやっかみくらったんだろ? その男、最悪な奴じゃん」
シルフが言うと、私は首を横に振った。
「でもね。結果的には、女子達のいじめから私を助けてくれたし、はじめて外に出て私と遊んでくれたの。高橋君は、はじめての友達だった。それに私が死んで泣いてくれたのは彼だけだと思うし。そう考えれば、人生全部嫌なことばかりでもないかな」
ヘルメス様は紅茶を飲み干した。つかさず、ケラシスがおかわりの紅茶をゆっくりと注ぐ。
私は太ももをさすりながら、思い返していた。
「私、毎日が家や学校がつらかったけど、一日のなかで自転車を走らせている時だけが一番好きだったの。外の空気を吸って、風を感じて、ペダルを無心に漕ぐのがストレス発散になっていたの」
「その自転車で亡くなってしまったけどね」
ヘルメス様の余計な一言で場の空気が重くなった。




