第三十六話 暴食の悪魔ベルゼブブ
「――深淵の唾」
大きな体の水龍めがけて、どこからか攻撃を仕掛けてきた。
《ぐわあぁぁぁ……なんだ!? この不快な物質は!!》
水龍の様子がおかしい。尾の方から黒く濁っている。透明度の高い綺麗な水龍の体が黒い液体に侵されているのが遠くからでも分かるぐらいだ。
よっぽど苦痛なのか、水龍はあちらこちらに奇声を上げて暴れ回っている。暴れると余計に汚染の速度が速くなる。
(フルーラン!! どうにかできないの?)
思念を飛ばすが、フルーランも動揺している。
以前、水龍召喚の時に、フルーランから聞いた話をふと思い出した。
『たとえ、体が半分になったとしても、あの魔核さえ無事なら何度でも再生して復活できるの――』
「フルーラン、汚染された水が体中に充満する前に、切り離して強制送還して!!」
私は叫ぶと、フルーランは巨大な大太刀を手にした。
「水龍様ごめんなさい!! 水圧一閃」
フルーランが、《ズバーーン!!!》と汚染された下半身を切り落とした。全体の3分の2は切っただろうか。残りの3分の1の上半身は無事だ。
切り離された瞬間、汚染されていない上半身が素早く飛び回ると、フルーランは詠唱した。
「傷ついた水龍よ。故郷の泉へ養生せよ。瞬時帰還」
何もない空中から、チョポン! と二つの小さな水の塊が現れた。それからどんどん大きな水の塊になっていって、中からブクブクと現れたのは、直径五メートルほどの巨大な魔法円陣だった。まるで呼吸でもするかのように、アクアブルーに輝きだした。
二つの巨大魔法円陣は、水龍を囲い込むように夜空を旋回し、激しく動き回る水龍の上半身を捉えようと光速で追いかけた。
やがて水龍は、魔法円陣と魔法円陣の間に挟まれた。
挟まれた次の瞬間、水龍は一気に強烈なコバルトブルーの光に呑み込まれた。その光は夜の世界を明るく照らすほどだった。
私は眩しくて一瞬目を閉じたが、再び見てみると、水龍の姿はまるで海の中で漂っているように大人しくなっていた。
水龍が申し訳なさそうに私に思念を送る。
《最後はみっともない所を見せて世話をかけたな。すまん。後は頼んだぞ》
水が天に上るように、さらりと水龍の姿が消えると、二つの魔法円陣も静かに消えていった。残された黒く濁った下半身は形を崩すと、地面に叩きつけるように大量の水が飛沫を上げた。
《バシャーーーーン!!!》
気が付けば、牧場は辺り一面、おびただしい数の魔物の死骸でぐちゃぐちゃになって、足の踏み場もないぐらいになっていた。
「水龍様、帰っちゃったね」
「もう、そろそろヘルメス様も帰ったらどうですか?」
「まだ、ボス戦も始まってないのにですか? テレビ的にそれはありえませんよ」
セレーナの悪意の超直感が働いた。
「深淵の唾」
私が動く前に、瞬時にヘルメスが私を抱いて瞬間移動をした。
気が付くと、足元には黒い謎の液体が飛び散っている。これは、水龍に仕掛けたのと同じものだ。しかし、光の聖域の上に立っていたため、その黒い液体はすぐに消え去った。
「あぁ~、めんどくさい。本物の光の結界か。どおりで効かないはずだ。しかし、なんで天界の連中がこんなところにいるんだ。煩わしい……」
声の方向に目を向けると、上空に一軒家ぐらいの巨大な大岩が空中に静止していた。その上に男性らしい人が足を組んで座っている。
今まで、気配を消していたことへの驚きと、この異様な光景に衝撃が走った。
少し離れたところで、お父さんの大声が聞こえた。
「おい。お前が、邪神が放った悪魔なのか?」
「はっ、その通り。人間にしてはなかなか賢い奴もいるもんだ」
「なんで、あんな事件を起こしたんだ。なにが目的だ!!」
「我が名はベルゼブブ。魔界一の美食家だ。今回邪神様に命じられて、この星の美味しいものを食べつくしてもよいとご命令されてな。まずは、手始めに私の大好物の子牛の脳みそと目玉を美味しく頂いた」
(こいつが、倒さなければならない悪魔!!)
体の芯から震えが止まらない。初めて悪魔と対峙したが、黒い軍服と黒いマントを羽織り、まるでカラスの様だ。よく見ると、薄紫の肌に金髪の長い髪を一つに束ねている。人間とは違う異質なもの。不敵な笑みを浮かべている様子は残忍さを隠し持っているような気がした。
「それなら、牧場主と交渉して子牛を買うなりすればいい話だろ? どうして、勝手に子牛を殺したりするんだ」
「まあ、人間に悪魔の本質を教えてもどうにもならないが、他の者が丹精込めた子牛を奪って食べることが美味しさの秘訣なんだ」
ベルゼブブは口角からひとすじの涎を垂らすと、長い舌で涎をべろりと舐めた。その様子は本当に気味が悪い!!
「いいかい坊や。悪魔は基本、悪なんだ。悪とは何か? それは己の欲望を満たすこと。奪うことは刺激的なスパイス。そして苦痛な表情を見るのは、甘い、甘い砂糖のように。さらに絶望の顔は極上の蕩けるソースのようなもんさ」
ベルゼブブが恍惚な表情で、唇をペロリと舐めた。とても気色が悪い。
「さて、あの光の結界がどこまで丈夫か試してみよう」
ベルゼブブが立ち上がる。私はその動作を注意深く凝視する。
上空にある大岩が薄紫に光ると、ベルゼブブは人差し指をこちらに向けた。
動きと同時に判断。
「フルーラン!! あの岩に――」
私が命令を言う前に、彼女は閃光の如く飛び出した。
「水神天斬」フルーランは叫んだ。
《キィィィィ…………ン》
豪速で飛んできた巨大岩を見事に真っ二つに切り落とすと、軌道を逸した二つの大岩は、轟音を立てて家畜小屋を挟んで両側へと激突した。
《ドゴォォォォ――――ン!!!!》
まるで隕石が落ちたかのような衝撃が大地を轟かせた。土煙が空高く舞い上がり、威力の凄さを物語っている。牧場内には、半分に割れた大岩が深く牧草地にめり込んでいる。
上空にいるベルゼブブが両手を前に突き出した。
(次はなに?!)
ベルゼブブの両手から漆黒の孔のようなものが見える。
「我はベルゼブブ、この世に食べられないものはない。この世の全てが空虚の孔へ吸い込まれるがいい」
ベルゼブブから、ゴォーーと吸引の音が聞こえる。両手にある【空虚の孔】は吸引力で風を起こし、二つの竜巻を作り出した。二つの竜巻は瞬く間に大きくなり、第二共同牧場をパニックに陥れた。
――抵抗を許さぬ圧倒的な勢いで渦を巻き【空虚の孔】に飲み込まれていく。
あらゆるものがどんどん吸い込まれていく。草を巻き上げ、重い木をなぎ倒し、更にはその木を軽々と吹き飛ばし、渦の中へ消えていく。二つの竜巻はやがて一つに合体し、絶望的なほど巨大な竜巻へと変貌した。
私は暴風に煽られながらも、必死に聖域の壁にしがみつくが、虚しく空へ投げ出されてしまった。無抵抗のまま、渦の中へ巻き込まれていく。
「きゃーーー!!! シルフリード、助けて!!」
「セレーナ、待ってろ、すぐそっちへ行く!!」
シルフリードが風を操り、回転しながら、短い両手両足をじたばたさせている私のお腹を腕で包み、助けてくれた。私をしっかり引き寄せると、吸い込まれそうになるのを【無風の壁】でそれを防いでくれた。
地面に深くめり込んでいた二つの大岩が、轟音とともに浮かび上がると、勢いよく下から上へ飛んできた。
「危ない!! 避けて、シルフリード!!!」
シルフリードは体勢を変えて、ギリギリのところで二つの大岩を避けると、二つの大岩は竜巻の中で回転しながら、空虚の孔へ容易に吸い込まれた。鳥や大木や牧場を張り巡らされていた木の囲いまで回転しながら呑み込んでいく。自警団と村人たちが空に投げ出され、悲鳴をあげて助けを叫んだ。
ベルゼブブは、にやりと不敵に嗤うと、指をパチンと鳴らした。
巨大な竜巻が急に消滅し、ほんのわずか一時停止した。空へ舞い上がったあらゆるものが、今度は地面へ転落していく。
「「うわあぁああぁぁーーーーー!!!」」
自警団と村人が上空から真っ逆さまに落ちていくのを、シルフリードの繊細な【風操作】で一人一人に柔らかな風に包むと、地面になんとか衝突せずに、無事全員を助けることが出来た。
自警団と村人が集まり、無事を確認した。中には腰が抜けて動けない者もいた。あの治癒師も動けないのか、自警団に運ばれ、光の聖域に入っていった。
あんな巨大な竜巻があったのにも関わらず、光の聖域の守りは鉄壁で、びくともしなかったことにみんな驚いている様子だった。
高みの見物をしていた、ベルゼブブが大いに笑った。
「みっともない蟻どもが、慌てふためく様は実に面白かったぞ。いい余興になった」
ベルゼブブはヘルメスに目を向けた。
「それにしてもだ。――おい、そこのおかっぱ野郎。お前らがなんでこんなところまで来ているんだ?」
ベルゼブブはクロートー、ヘルメス、リュークのカメラ部隊を睨みつけた。
「いやいや、こちらは単なるビジネスですよ。小さな勇気ある幼児が悪魔に立ち向かうなんて、気になって。天界のみなさんこぞってモニター見ちゃうでしょ? これも商売ですよ」
(この戦いも天界では娯楽扱いか)
私は奥歯を噛みしめながら、ヘルメスを睨んだ。
「もちろん、あなた方が大好きなあの方も見てらっしゃると思いますよ」
ベルゼブブの表情が固まった。
「……おい、本当にあのお方が見ているというんだな」
唸るような低い声でヘルメスを睨みつける。
「そうですよ。天界の隅々までネット中継していますから。あの方がモニターを持っていなければ、話は別ですが」
ヘルメスは得意の冷たい笑顔で意地悪そうな口角を上げた。
「ふふふ、ここで我の力を見せつけ、あの方に褒めて頂かなければ……」
(ばかヘルメス。向こうのやる気を引き出してどうするの!)
「しかし、あっけなく簡単に終わる戦いも面白くない。だから、もっと凄惨に盛り上げるために、我は良いゲストをここに連れてきた」
私は、やな予感がした。




