第三十一話 悪魔の館(ネイコス視点)
ガーロン山よりさらに奥地に分け入ったところにスーガン樹海というところがある。
その森は、主にもみの木や杉の木が自生していて、一度この森に入ると、方向感覚が分からなくなり、戻って帰るのが困難だという。この森は不思議なことに方位磁石が使えないらしい。
この空が見えない鬱蒼とした森をひたすら歩く。
目の前にあるもみの木に俺は手を触れた。すると、そこから結界が波打つように歪み、しばらくすると、つる草でおおわれた屋敷が一軒現れた。奴は幻影結界の小道具を持っている。
「ここが奴の隠れ家か」
この屋敷は魔界から転移してきたもので、一人で住むには広すぎるぐらいの立派な屋敷だ。奴にはもったいない。
門扉を開き、鼻歌交じりで庭へ侵入すると、見張りの蠅どもが二体近寄ってきた。
何も触れずにデコピンをすると、バシャン、バシャンと、水風船が破裂したかのようにあっけなく魔物は消え去った。その飛び散った赤紫の血が気色悪い。
「あ~あ、きたねぇな。せっかくの新しい服が台無しだ……」
服をはらうと、古めかしい扉を押し開けた。
魔族らしく、薄暗く、屋敷の中は埃とカビの匂いがする。
綺麗好きな俺にとって居心地が悪い所だ。
一階の奥の部屋にはダイニングルームがあった。
扉を開くと、そこに暴食の悪魔ベルゼブブが子牛の脳みそのムニエルを食べている最中だった。
「勝手にお邪魔するよ」
声をかけると、ベルゼブブはガタンと席を立って、最敬礼をした。
奴の向こうには、邪神様から賜わった『魔喰の剣』が壁にかけられている。
(こいつにソレを使いこなすことができるのか)
暴食の悪魔ベルゼブブ。見た目は、大柄でガタイがいい。暴食と聞いて、デブだと思ったが、予想を裏切ってかなり筋肉質だ。まるで軍人のような黒い軍服を着て見た目だけはきっちりとしている。
「なんだか、美味そうな物を喰っているな」
「はっ、申し訳ございません。ネイコス様」
「まぁいい、いきなり来たんだしな。まぁ、お前も座れや」
俺は、ベルゼブブの斜め向かいのイスに腰を掛けた。
「ところで、子牛の脳みそはうまいか?」
「はい、とても美味です。ネイコス様もいかがですか? 下の者に調理させますが?」
ベルゼブブは、控えている蠅の魔物に目配せをする。
「いらね~よ。そんな汚ねぇ蠅どもが作ったものなど、俺に食わせる気か」
すると、ベルゼブブは慌ててイスから立ち上がり、90度に頭を下げる。
「大変失礼いたしま――」
「そんなことより、邪神様からお前にありがたい薬を下さった」
俺は話を遮り、小さな袋の中から、直径三センチ程の黒い玉を一粒取り出した。
「これを飲めば、邪神様の加護が得られる」
それを見て、ベルゼブブは驚愕した。
「あんな、蟻どもを潰すだけなのに、邪神様の加護を受けるなんて、そんな勿体ないこと……」
《ズゴォォォォ……ン》
一瞬にして辺りは破壊の埃が漂い、ダイニングの床に大きな穴が空く。ベルゼブブはその下でうつ伏せに倒れた。後頭部には鮮血が爆発したように飛び散っている。
「――馬鹿か、お前は」
俺は吐き捨てるように言い放つ。
「邪神様の言葉は絶対だ。お前なんぞに拒否権はないと思え。誰がお前を作ったと思っているんだ?」
「そ、それは、もちろん、邪――」
「三秒以内に立て。一、ニ、三」
ベルゼブブが埃を払いながら、三秒以内に立ち上がると、何も言わずに両手を添えて、恭しくその黒い玉を受け取った。
「今すぐ、それを飲みこめ。早く!!」
「はっ、はい。畏まりました」
俺はまどろっこしいのが嫌いだ。時間の無駄になるからだ。早く、ここから出て自宅の風呂に入りたい。
ごくんと黒い玉を呑み込む音が聞こえた。
ベルゼブブは膝をつくと、喉を両手で押さえて、苦悶の表情に変化した。
「ガハッ!! くっ、ぐるしい……助けてくれ……ギャァァァァ……!!!!!」
ベルゼブブがうずくまると、背中から黒いオーラが暴走したかのようにまがまがしく現れた。それはまさに闇深く美しい悪の業火だ。
「これは、邪神様の愛だ。ちゃんと噛みしめてろ」
ベルゼブブが黒いオーラに包まれ、苦しみ叫ぶなか、俺は異空間収納から一つの雑誌を取り出した。ヘルメスの『月刊天界文集』だ。
「どういうわけか、天界の奴らにこの地に悪魔が来ることが、バレているみたいなんだ」
しかし、ベルゼブブは阿鼻叫喚中である。なので、雑誌のページをめくりながら、気にせず独り言のように話す。
「ここの村には、氷の大精霊の孫が住んでいるらしい。まだ三つになったガキだ。そいつがお前を倒すそうだぞ。そのガキが天界ではちょっとした人気者になっているらしい。なめられたもんだな」
雑誌を壊れたテーブルの上に投げ捨てた。
「問題はどうしてここに魔物じゃなくて、悪魔が来ると分かったかだ。予測だが、【予言書】を持った神の仕業か。それだと、そいつが邪魔だな。毎回予言されると、不意打ちができなくなる」
俺はしばらく黙って考える。
すると、ベルゼブブの周りの黒いオーラが少し落ち着いてきた。
「ネイコス様。予言書なんてどうでもいいじゃありませんか。我は邪神様の言う通り、人間を破壊するだけです。たかが三つのガキに何ができるというんですか?」
「さあな、未知数だからこそ、邪神様はお前に加護を与えたのだろう。お前には『空虚の孔』がある。暴食の名にはじぬよう満月の夜はしっかりと働け」
「お前が働いている間は、俺は……、そうだな。暇だから、人間狩りでもしてお前に人間の頭部でも餞別にくれてやるわ」
(わざと美味しくなさそうなものから選んでやろう)
「早く村を殲滅し、子供の脳みそをじっくり味わいたいです。そうだ、女の太ももは柔らかくて、生で食べると甘いらしいです」
ベルゼブブは想像を膨らませて、口角からよだれを垂らした。あごまで流れるよだれを、長い舌でベロリと舐める。
「きたねぇ〜な。俺は綺麗好きなんだよ。勘弁してくれよ」
俺はため息をついて、立ち上がった。
「それじゃ、計画通りにやれよ」
俺は自宅へ空間移動することにした。
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《ヘルメス視点》
私とリュークはガーロン山を越えて、スーガン樹海の真上に立っていた。
「あれ見てよ。分かりやすい結界なんか張っちゃってさ。バレバレなんだよ」
「なあ、ヘルメス。悪魔のアジトを見つけたんだから、俺らでソイツを殺しに行こうよ」
「だめだ、むやみに人間界へ加担しないの。それが天界のルールでしょ?」
「でも、俺ら、セレーナちゃんの人生を鑑賞しているのに、力を貸してあげられないなんて……」
「私たちがせいぜいできることは、これをエルフ領へ届けることでしょ」
セレーナが書いた手紙をリュークにちらつかせる。
「ここからは、人間と悪魔の戦いなんだ。私たちは見守るだけ」
「とか言って、また儲けるつもりだろ? このあいだ天界に機材を――」
俺はリュークの口を手で塞いだ。顔を引き寄せて、わざと耳元で囁く。
「お前は、私に助けられた恩があるだろ? 私が助けてやらなかったら、お前はふる〇んで、三日三晩、木に吊るされるところだったんだ。お前が言ったんだぞ。お礼になんでも言ってくれと」
リュークの顔が真っ赤になった。眉間に皺をよせてその表情が愛らしい。
「ほれ、さっさと行くぞ。この、可愛いワンコヤローめ」
私はリュークの脇腹をぎゅっと掴んだ。
「だっ、だから、俺をワンコヤローって言うな!!」
セレーナの手紙を届けるべく、急いで北の空へと向かった。




