ボス
シンプルな構造で、細いハンドルの隙間から覗ける2つのメーターと、隣に並んだよく分からないレバーがついてる。
シフトレバーの持ち手の掴みやすさに拘っただの、シートは特注で取り寄せただの、兎男ことロックが煙草を吸いながら語りやがる。
こいつ、どんだけ吸ってんだ……真ん中の灰皿が溢れてかえって蓋が閉まらなくなってんぞ。
「そうそう、本部はさすがに町のセンター街にあるんでな、人通りが多い時間帯は近づけやしない。本来なら宝石をぱっと取ってきて待ち合わせ場所に持ってく予定だったのさ。もうちょい真っ直ぐ、湖沿いに進んで589番道路に繋がる境目に建ってるガソリンスタンドに行ってくれ」
もう使われてない廃墟のガソリンスタンドだけがポツンと建ってる道路沿いか……。
「なんで寂れた所にボスが?」
「呪いの宝石は本来の仕事より重要な案件なのさ」
どんなボスなんだ。
大学を卒業してニール印刷に就き、20年以上ひたすら働いてきたサラリーマンには、想像し難い世界だ。ホントに免許を持ってるのか疑いたくなるロックに代わって運転し、道案内に従いながら車を走らせると、長く暮らしていた町がどんどん離れていく。
緑と湖が嫌でも入り込んでくる景色が徐々に、地面剥き出しの荒野に変わった。
「よぉし、ここだ、好きなところに停めてくれ」
砂埃で霞んだ看板がぶら下がった廃墟のガソリンスタンドに寄せると、薄汚れた白いバンが敷地内に突っ込んで停車しているのが見えた。
「高級車じゃないんだな」
「そんなバレやすい真似しないさ。さぁ行こう」
ロックだと分かると、運転席と助手席からブラックスーツを着た男が降りてきた。
サングラスをかけた厳つい体型で、グローブもシューズも真っ黒といった怪しい風貌だ。
バンの後ろ扉を掴んで、入るように招く。俺を見ても興味ない様子で全く反応しない。
開いた扉から入ると、真っ先に飛び込んできたのは青年。
青みがかった黒のマッシュヘアに童顔で細身で、正直想像していたボスと全然違う、若造。
後部座席は向かい合うようにできていて、俺の背中を窓側へ押し込んだロックは、手前の席に脚を組んで座り込む。
「よぉアル坊」
「無事だったんだねロック」
甘めの声で迎え入れる例のボス。
次に俺を見た薄青い瞳に、どういうわけかたじろいでしまった。
青年は眉尻を少し下げてから、ロックに目線を戻す。
「一般人を巻き込んだの?」
「人生はいろいろさ、変わった奴らがそこら中にいる。フリト・ランゲもそのひとりってわけだ」
「はぁ、毎回報告を『人生いろいろ』で済ますのやめてほしいんだけどね。見て分かるのはフリトさんが女神像の手に乗っていた呪いの宝石に触れて、獣人になってしまった」
「ご名答。これから相棒として活躍してくれることになったんだよ、な?」
「相棒になった覚えなんかねぇよ、宝石を取り返して借金をマルセルに返す、それだけだ」
「だそうだよ。事情は大体分かったけど、ロックの言う通りフリトさんを見捨てることはできない。申し訳ないけどしばらくは僕達に協力してもらえますか? フリトさん」
大人しい印象も受けるが、彼の眼差しは恐れ知らずの自信に満ち足りている――たじろいでしまった原因だろう――が、過信と無知も少々。若造らしい野心だ。
「あ、あぁ」
「申し遅れましたが、僕はアル・バトラーと申します。父から譲り受けた法人事務所の理事長をしつつ、少し副業を、しています。よろしくお願いしますね」
毛深く、爪も鋭い大きな手との握手にも物怖じしない――。
――さて、と、詳細を聞いたアルが一呼吸おく。
「あまりマルセル・ファミリーに絡んでほしくないんだけどね」
「呪いの宝石を狙ってるなら多少は牽制しとかないとな。なぁに、アル坊の会社に影響なんかしない。最近よそのギャングが町に入ってきてるだろ? そいつらのせいにしちまえばいい。商売敵も消えて万々歳さ」
「だといいけど……一般人のフリトさんも連れていくの?」
「もちろん、呪いを受けると人間の時より身体能力が上がってるのさ、だからフリトみたいな素人でも問題ない」
身体能力が上がってる? 見た目以外変わった感じしないな。
「さて、ボスの許可も貰ったわけだ。今夜マルセルの拠点に挨拶しようじゃないか」
「俺は何すりゃ……」
「簡単簡単、運搬仕事さ。終わったらディナーをご馳走するぜ。好物を考えといてくれ」
もっと細かいことを教えやがれっての……ホントに大丈夫なのか心配になってきた――。