ⅸ
「お出ででしたか」
疲れゆえか、温厚を絵に描いたようなバララトの目つきも、いつもよりは鋭い。
「夫人を引き渡せとは、どのようなお心積もりなのか。我が主君を明らかに害した結果があってのこと。返答次第では、従いかねます」
中にいたアクセルから聞いたのだろう。穏和なバララトをしてこうも強硬な台詞を言わしめるというのは、セルシア騎士たちは、主君に対する一部貴族の無礼について、相当溜めていると見ていいな、とハーシェルは嘆息した。クレイセスは、今王都で起きている事態をうっすらとではあるが把握している。先程の彼はわずかな躊躇いを見せたものの、己の出自による立場が、この情勢には芳しくないことを理解しているためか、言及は控えた。だが、何も知らされていない彼らには、納得のいかない事態であることもわかる。
「説明する」
言えば、バララトとアクセルはひりついた空気を纏ったまま、ハーシェルに向き直った。
「フィルセインはセルシアとの聖婚を目論んでいる、という噂が、各地で広がっている。それを恐れた複数の貴族から、そうなる前に王との婚姻をという声が上がった」
「は……ではサクラ様を、妃の一人としてお迎えに?」
「いいや。妃はユリゼラだけと決めている。それに、サクラにはそう出来ない事情もあるようだしな。その事情に関しては、詳細が明かされていないのでなんとも言いようがないのだが」
「本当に、ご存知ではないのか」
「ない。俺が知っているのはサクラがレア・ミネルウァと約束したことは二つあり、ひとつはフィルセインを止めること、もうひとつはこの世界にいては出来ないこと、としか。即位式の前日、サクラはそのふたつめを果たすため、ひとつめの約束が成ったときには譲位を認めるよう、俺に約束を迫った。サクラは、いずれこの世界を出て行く」