宴のあと
魔族軍、いやグワラニー軍の完璧な勝利で終わったマンジューク防衛戦。
完璧な勝利。
これがこの戦いの名を高めている要因であることは疑いない。
なにしろ、アリターナ軍は渓谷やその周辺に展開していた兵力の約三分の一と魔術師のすべて、フランベーニュ軍にいたっては最終的に渓谷とその入り口の配置していた将兵の九割とすべての魔術師を失ったうえに渓谷内から完全に排除された。
それに対し、渓谷を「解放」した魔族軍はグワラニーの作戦開始からその終了までの戦死者はゼロ。
しかも、これが敵味方あわせて二十万人以上の兵がぶつかった地上戦の結果であることを考えれば奇跡的とさえさえいえるものであるのだから。
もちろん驚くべきは結果だけではない。
というよりも、驚くべき過程があっての結果なのだから、こちらの方がより重要ともいえるのだが。
この戦いにおいて、魔族軍は二か国と同時に戦っていた。
今回魔族はその二か国をかみ合わせ、アリターナ軍をほぼ無力化したところで現れ、フランベーニュ軍を一方的に叩くことによって、完勝を収めた。
これが概要となるわけなのが、実際は言葉に言うほど実行するのは簡単なことではない。
まず、その数。
フランベーニュ軍はアリターナとの戦闘開始時時点でも九万、さらに増援が到着後は計十三万、アリターナも六万人が参加したのに対し、魔族軍は二万人の剣士、千人の魔術師が参加しただけだった。
十九対二。
この比率だけを見て圧倒的少数である魔族が圧勝することを予想できる者はそうはいないだろう。
さらにいえば、魔族軍はアリターナ軍とフランベーニュ軍とは別の戦場で戦っていた。
グワラニーは大幅に後退し、敵を一か所に集めた。
一見すると、分散していた自軍を集中して運用できるように思えるが、それは敵にとっても同じである。
それがたとえ反目しあうアリターナとフランベーニュであったとしても。
さらにそれまで戦っていたのは、「数の有利が活かせない場所」という自らにとって好条件の戦場だったのだが、そこを放棄し、あらたな戦場として設定したのは同じ渓谷でも十分な広さがある場所。
どれもこれも少数が多数を戦うときの鉄則、または理を完全に無視したものとなっている。
せっかくだから、こことは別の世界に存在する有名なランチェスターの法則を使って、実際に「狩場」でおこなわれた魔族二万人とフランベーニュ十万人の戦いを見てみよう。
魔族の戦士ひとりを倒すのに要する人間側の被害を、人間側の主張に合わせて三人として計算式に当てはめれば、第一法則では、魔族軍は全滅したとき、人間側は一万三千人が、第二法則では人間側は五万四千が残る結果となる。
魔族軍が豪語するキルレシオを一対五にした場合でも、第一法則ではほぼ同時に全滅で引き分けとなるものの、第二法則では魔族軍が全滅したときにも四万人を残したフランベーニュの勝利という計算になる。
ついでにいっておけば、これまでの渓谷内の戦闘は、お互いに防御魔法を盛大に張り巡らすことによって攻撃魔法の無効化がなされたうえ、数の有利さは完全に消され、魔族軍兵士の能力の高さだけが活かせる特殊な環境下でおこなわれていた。
つまり、典型的な一騎打ち的戦い。
ランチェスターの第一法則に順じた結果が生まれていた。
だが、グワラニーが新たに設定した広い場所での戦闘となれば、当然数の差は大きく影響する一対複数という戦いが可能となるため、採用されるのは言うまでもなく第二法則の結果となる。
そして、このランチェスターの法則は、実際の彼我の損害を算出するシミュレーションにおこなうのに有効とされているため、本来であれば今回の戦いもそれに近い数字出るはずで、少なくても魔族軍の圧勝などという結果は起こらないはずである。
それにもかかわらず、実際はいえば、フランベーニュはほぼ壊滅。
一方の魔族は一兵も失わないという結果。
計算方法に間違えがなければ、あとは本来そこに加えるべき要素を入れていないということになる。
ランチェスターの法則に当てはめるのなら、最低でも二百五十対一、正確を期すならその百倍以上の差をつける武器性能にあたるものがあるはずである。
そして……。
弓矢という飛び道具と攻撃魔法。
それがその武器性能にあたるものとなる。
特に攻撃魔法は掃討戦において驚くべき戦果を挙げたことからわかるとおり、その効果は圧倒的である。
弓矢もその戦果こそ大幅に劣るものの、それに見合うだけの効果はあったといえるだろう。
なにしろ、相手からは攻撃されず、圧倒的多数の相手を一方的に袋叩きにするという魔族の兵士たちが夢にまで見たことを実現できたのだから。
だが、後者に関してはこれまでは防御魔法によって封じられていたという経緯を忘れてはいけない。
そう。
結局のところ、アリターナとフランベーニュの魔術師が壊滅し、防御魔法を失っていた時点で勝負はついていたのである。
もちろん、それに関してはおぼろげながらもアリターナ、フランベーニュ両軍の指揮官も気づき、戦いのなかでそれに関する注意喚起を何度もおこなっていた。
それにもかかわらず、戦場へ引きずり出された。
いや。
誘い込まれたといってもいいかもしれない。
実は、それこそがグワラニーの策の肝となるところといえるのかもしれない。
魔術師を失った段階で撤退すべきだった。
当然ながら多数の兵を失ったアリターナとフランベーニュはその敗戦の分析をおこなった過程でこのような意見が多数出された。
特にフランベーニュにおいては。
もっとも、フランベーニュにはこの直後、三大厄災のひとつがやってきたのに続き、査問会など後回しにしなければならないくらいの一大事が目の前に迫っていたため、その査問会はかなり遅れておこなわれることになるのだが。