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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第九章 マンジューク防衛戦 Ⅱ
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バルクマン・コーナーから狩場へ Ⅱ

 むろん、フランベーニュ側の突撃はマンジュークへ向かう兵たちの邪魔にならぬようフランベーニュ側から続く道に陣を敷いていたアリターナ軍も気づく。


「メレガーリ殿。フランベーニュが来たようです」

「そのようだな。魔族を打ち破ってきたのか……」

「または、向こうも撤退をしたのかもしれません。ですが、どちらにしても、こちらの方が少し早かった。彼らにとっては残念な結果です」

「まったくだ」

 

 その中心でメレガーリとエジーデイオは冗談を口にしながら、走り寄るフランベーニュ軍を眺めていた。

 だが……。


「ん?」


 まず異常に気付いたのはエジーデイオだった。


「あの陣形と勢いは戦闘態勢。国旗を掲げ我々が誰かを鮮明にしているにもかかわらず、気づかないとはなんと愚かな……」


「いや。あれは我々がアリターナ軍を知ってのものだ」


 エジーデイオは、隣にいるメレガーリに声をかける。


「メレガーリ殿は念のために後方にお下がりください」


 だが、どちらかといえば軍内の事務を担っていたため、そのようなものに疎いメレガーリはその異変に気付かない。

 それどころか、エジーデイオがいまだ冗談を言っているものと勘違いをする。


「いやいや、そうはいかぬ。あれを止めるのが私の役目であろう」


 前に出ようと一歩踏み出す。

 眉間に皺を寄せ、心の中でそう呟いたエジーデイオは後方に控えるふたりの兵に視線を送る。


「コルヴィーノ、スコフィーラ。メレガーリ殿を後方へお連れしろ」


 自らの従卒に命じ、メレガーリを引きずるように後方へ押し込むと、エジーデイオは剣を抜く。


「敵襲だ。コッパーロ。フランベーニュ軍に攻撃を受けているとペトロイオ様に報告に行け。他の者は中央に固まって陣形を整えろ」


 その気配を察知してから接敵までの短時間にこれだけの態勢を整えられたのはエジーデイオの優秀さの証しであろう。


 エジーデイオは開戦を避けるための最後の儀式をおこなうために口を開く。


「私はアリターナ軍准将軍バルディ・エジーデイオである。我々アリターナ軍はマンジューク銀山の接収に向かっているところ。つまり、ここから先にフランベーニュ軍の行き場はない。つまり、これ以上進むのは協定違反。剣を引き自陣に戻られたし」


 剣を前に突き出しながら言っているのだからエジーデイオの警告も穏便とはとても言えないだが、それでもわざわざフランベーニュ語で話しているのだから十分に相手に配慮したものといえるだろう。

 だが、返ってきたのは怒号と大剣だった。


「貴様らアリターナは魔族と手を組んだ裏切り者だ。ひとり残らず葬ってやる。まずは貴様からだ」


 その言葉とともに赤い甲冑を身に着けた大男がエジーデイオめがけて剣を振り下ろす。

 エジーデイオはアリターナ軍の中でも剣の腕は上位に入る。

 そして、相手の殺気にも十分な注意はしていた。

 だが、警告をおこなった者に対して返答代わりに剣が振り下ろされるところまでは予想していなかった。

 ほんの一瞬だけ反応が遅れた。

 だが、このような場面ではその一瞬が生死の境をわける。

 生と死。

 そして、彼の場合は後者となる。

 バルディ・エジーデイオ。

 彼がこの戦いにおけるアリターナ側最初の戦死者となる。


「協定違反だ。欲に目が眩んで騙し討ちをした卑怯者のフランベーニュ人に死を」

「魔族と手を結んだ裏切り者アリターナ人は皆殺しだ」


 お互いに相手を罵りながら始まった戦い。

 アリターナの指揮官を討ち取り、勢いに乗ったフランベーニュ軍がすぐに優位に立つかと思われたが、実はそうはならなかった。

 エジーデイオが置き土産のように指示をした兵を中央に固めた陣形。

 これが功を奏したのである。

 アリターナを包囲しようとしたフランベーニュの兵たちが次々に深みにはまったのだ。

 重い甲冑のままそのような状態になれば、彼らに待ち受けるのは死のみ。

 亡き上官の無念を晴らすようにエジーデイオの部下たちは命乞いをするフランベーニュ兵の首を落としていくのだがその中に将軍首がひとつ混ざる。

 ブリアック・オービュッソン。

 最初に将軍の戦死を記録したのは攻撃を仕掛けたフランベーニュ軍だった。


 だが、一方は最初から殺す気満々、もう一方は何が起こったのかはわからぬまま戦闘に突入したためその気構えがまったく違う。

 さらに一方は最前線に戦闘を指揮する者がいない烏合の衆。

 徐々にフランベーニュ軍が優勢になっていく。


 ここで最初の転機が訪れる。

 指揮官を失いながらも懸命に戦っていたエジーデイオ隊と付近にいて巻き込まれるように戦闘に加わっていたアリターナ兵に援軍がやってくる。

 そう。

 欲しかった指揮官が到着したのである。

 偶然後方に下がっていたピッコラ。

 言動のすべては軽薄でその中身は見た目以上に軽薄なこの男はいざ戦いとなると人が変わるのは兵たちには有名なことであり、さらにいえば普段のその男からはまったく想像できないのだが、意外にも戦術家である。


 味方をかき分け前線に現れたピッコラが下した最初の命令。

 それは……。

 急速な後退だった。


「ピッコラ様。これまで頑張ってきたのに、ここで下がるのは……」

「しかも、そんなことをしてしまっては我が軍は分断されます」


 部下たちから恐る恐るやってきた進言に、ピッコラはニヤリと笑う。


「心配するな。相手が魔族なら多少の小細工を弄しても勝ち目はないが、こいつらは同じ人間。十分に勝算がある。とにかく俺の言うとおり下がれ。面白いものを見せてやる」


 不安がる兵士たちをやや強引に下げ始めたピッコラ。

 当然フランベーニュは勢いのまま押し続ける。

 そうして、分岐点になるところで、ピッコラが剣を振り上げて叫ぶ。


「左右に分かれてさらに後退しろ。ただし、我が隊は前進しろ。押し出せ」


 直営部隊を突出させて、後退する部隊を掩護するという見事な手腕を見せると、そのまま「バルクマンコーナー」を超えていなかった後衛部隊の大部分一万八千人を完全掌握する。


「ピッコラ様。前は?」


「心配するな。向こうは将軍が六人もいるのだ。心配はいらない」

「そのとおり。心配はいらない。まあ、こっちはもっと心配いらないが」


 兵のひとりからの問いに答えたピッコラの言葉を引き取ったのは、自らの直属部隊を使ってピッコラ隊の後退を掩護していたこちらに残ったもうひとりの将軍アドルモ・トロイーヤだった。


 その言葉にピッコラはニヤリと笑う。


「トロイーヤ。おまえと一緒に戦うのは久々だな」


 兵たちを鼓舞するために必要以上大声となるピッコラに負けないというように相手の男はさらに大声でこう応じる。


「そうだな。ついでに言っておけば、俺とおまえが組んで負け戦になったことはない」


「つまり、今回も勝ち戦。馬鹿なフランベーニュは勝った気でいるがそうはいかないということだ」

「ああ。そのとおり……」


 ……それに、いざとなればこちらは逃げ場がある。だが……。


 ……向こうは逃げる先にいるのは魔族。

 ……厳しいな。


 ピッコラは心の中で呟いた。


 アリターナ軍が分岐点を境に前後二つに分断され、いや意図的に分かれたことにより、戦闘は二か所でおこなわれることになった。


 その一方である後方集団。

 アリターナ軍後衛一万八千人に対し、アルノー・ユゼルシュ将軍率いるフランベーニュ軍三万人で始まった戦いは、意外にも弱兵揃いとして有名なアリターナ軍が戦力差を感じさせない戦いをおこなっていた。


 もちろんアリターナ軍の前線にふたりの指揮官がいたうえ、そのふたりが揃って実践経験豊富で能力が高かったこと。

 それに対して、フランベーニュ軍の指揮官ユゼルシュ将軍が凡庸なうえ、このような場面をあまり経験していなかったこともその理由である。


 さらに、協定違反の相手が突然襲ってきたという義憤もアリターナ兵のやる気の源であった。


 だが、もっとも大きな理由は意外なところにあった。

 実はフランベーニュ軍がやってきた道には両端の深い溝がなかった。

 一方のアリターナ側には甲冑を着けたまま落ちれば、即戦闘不能になるような深い溝があった。

 もちろん溝の存在を知っているアリターナ軍は敢えて中央に固まる。

 それを頭に入っていないフランベーニュ軍はそれを見ればこれ幸いとばかりにアリターナを包囲しようと道の端を進むわけだが、それこそがアリターナの思う壺。

 少しの圧力で次々と深みに落ちていく。

 そして、動けなくなったフランベーニュの兵たちは狩られていく。

 まさに緒戦の失敗を再び繰り返していたのである。


 とりあえず、ピッコラの言葉どおり善戦以上の戦いをしていた後方集団と対象的だったのは、突然前線になったアリターナの中衛部隊だった。


 遭遇戦のため準備整っていなかったことや、指揮をとるべき将軍が隊の先頭にいたこともあり、大混乱のまま勢いのついたフランベーニュ軍に刈り取られるように数を減らしていく。

 勢いに押されて後退する味方をかき分けて、モンタウトと、途中合流組のひとりアブラーモ・ディターロが前線に到着したときには、中衛部隊に後衛部隊の残りを加えた二万以上いたはずの兵はほんの僅かの間に一万七千にまで減っていた。


「とりあえず戦況を報告しろ」


 混乱で情報が錯そうしていたため、モンタウトとしては正しい情報を手に入れたいと思うのは当然なのだが、そう問われた前線を支えていた准将軍ベネデッド・ヴォギエーラがまず口にしたのは訃報だった。


「部下からの報告だけで私自身確認したわけではないのですが、どうやらアルジェンタ将軍は戦死した模様」

「アルジェンタが死んだ?」

「突然の戦線崩壊に巻き込まれたところを討たれたと……」


 戦線崩壊。

 実を言えば、これはピッコラの指示による急速後退だった。

 つまり、事実だけをいえば、将軍アレッシオ・アルジェンタの戦死はピッコラが原因ということになる。

 もちろん、この時点でピッコラがその事実を知るはずもないのだが、もし、そうなる可能性がわかったとしても、自らにとっての最善手であるそれをピッコラが放棄したのかといえば、そうはならなかったことだろう。

 それに関連してグワラニーがこのような言葉を残している。


「味方にひとりの戦死者を出さずに勝利を収めることが理想である。だが、それは理想であって現実的ではない。では、勝利を収めることと、戦死者を出さないことのどちらを優先すべきなのか?様々な意見があるのだろうが、正解は前者であると私は信じる。目の前にいる者を助けるために捨てた勝利によって、結局救った命よりも多くの者を失うことになるのが戦争というものなのだから」


 アレッシオ・アルジェンタの戦死。

 もちろん同僚の死を悼む気持ちはある。

 特にアルジェンタと親しかったモンタウトは。

 だが、モンタウトが実際に口にした言葉は死せるアルジェンタについてではなく、まだこの世に留まっている者に関するものだった。


「後衛にはピッコラとトロイーヤもいただろう。奴らはどうした?」

「私が確認したのはピッコラ将軍だけです。将軍は後衛部隊を率いて分岐点からベンティーユ方面に後退していきました」

「つまり、その時点で我々は二隊に分断されたわけか」

「そうなります」


「まあ、後ろはピッコラたちがなんとかするだろう」

「そうだな。そして、他人のことよりまずは自分の持ち場を立て直さなければならないな。このままでは全軍が一気に崩壊する」


 ディターロの言葉に応じてモンタウトはそうは言ったものの、これがなかなか困難だった。


 勢いで勝るフランベーニュに押されてアリターナ兵は後退し続けているのだが、約三十ジェバ、つまり三十数センチとはいえ水の中での後退だけでも大きな負担があるところに、背を向けられない、さらに重い甲冑を着込んでいるという悪条件が加わる。

 当然転倒者が続出するわけなのだが、言うまでもなく、そうなれば死はまぬがれない。

 一方のフランベーニュ軍は同じ条件に立っているとはいえ前進。

 はるかにバランスがとりやすい。

 そう。

 これが数の差が影響しにくい戦場で同性能の武器で戦っているにもかかわらずアリターナ側がフランベーニュの四倍の戦死者が出ている理由である。


 そして、後退から転倒、さらなる後退という負の連鎖はふたりの将軍のもとにもやってくる。


 前にいた兵士ふたりの転倒に巻き込まれ活躍の機会がないまま不本意な戦死を遂げたディターロに続き、もうひとりの将軍モンタウトにも死の影が近づく。

 複数の敵を一度に相手にしていたモンタウトの腹部に激痛が走る。

 死角から腹に刺さった剣を持つ腕を薙ぎ払った瞬間、さらなる一撃となる剣が一閃する。

 盛大な血しぶきを上げて絶命し倒れこむモンタウトはそのまま波のように進むフランベーニュの隊列の中に消え、無残に踏みつけられていく。

 まるで雑兵のもののように。


 これがこの戦いの特徴のひとつ。

 アリターナ、フランベーニュ双方で将軍とそれに準ずる高位の軍人が数えきれないくらい戦死した。

 それにもかかわらず、その死について大部分は詳細がわからず、当然死体が自軍に回収された者はほとんどいない。

 それどころか将軍の数人と大部分の兵については結局戦死したかすらわからないままとなり、公式記録は不明とされることになるのだ。


 フランベーニュ軍の第二陣となるポアティアたち四万人が分岐点付近に到着したのはちょうどこの頃となる。

 戦いは二か所に分かれておこなわれていた。

 もちろんそれはアリターナの将ピッコラが意図的におこなった結果だったのだが、長い隊列の中間地点に噛みつき、ことが優位に進めばこのような形になるため、その状況だけを見たポアティアとシャッスイヌが状況は我が方有利と思うのは当然である。


 そして、これぞ軍人の性。

 いざ戦場に近づき、敵味方が入り乱れる様を見た瞬間、体中が高揚感で満たされていく。

 そして、戦場に到着した頃には、ポアティアはもちろん、アリターナと魔族が手を結んだという話に大いなる疑問を抱いていたシャッスイヌの思考にも戦闘を止める策を考える余地は残されていなかった。


 久々の大いくさで出会えて舌なめずりするようにふたつの戦場を見比べるふたり。

 そして、かなり押し込んでいる北側の戦場に比べて、東側の戦場はうまくいっていないことにすぐに気づく。


「どちらに行くべきだと思う?ポアティア」

「そうだな……」


 すぐに手柄を立てたいのであれば東側の戦場と口に出かかったポアティアの耳に入ってきたのは、ここを守備する将軍アルスチド・ルルージェの声だった。


「アンジュレス将軍より、ふたりが率いる軍は到着次第マンジューク攻略に向かっている自らの軍に合流せよという言葉を預かっている」

「……ですが、東側の戦場はあまり風向きがよろしくないようですが……」

「アルノー・ユゼルシュ将軍は歴戦の名将。若造の心配などいらぬ。それにいざとなれば私もいる。ふたりはアンジュレス将軍の指示通り進軍されよ」


 ふたりは聞こえぬように舌打ちする。

 どちらに加勢すべきかもわからぬこの老人の鈍さを。


 だが、結局ふたりは命に従う。

 より大きな武功に引かれて。



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