バルクマン・コーナーから狩場へ Ⅰ
次の客人として魔族軍に誘い込まれたとは知らず、いや、罠はあるだろうとは思ったが、逆にそれを利用してやろうと思いながら進軍していたフランベーニュ軍ももうすぐ「バルクマン・コーナー」に到着するところでそれは起こる。
副官マルマンドからの「北進しているアリターナ軍発見」の報。
進軍を一時停止させたアンジュレスはその場所まで走る。
そして、岩陰から睨みつける。
その光景を。
「……あり得ない」
短い言葉を漏らしたアンジュレスだが、すぐさまその対応策を考えねばならなかった。
「ありがたいことに視界が開けているので、ある程度アリターナの兵力は推測できます」
斥候隊指揮官シブリアン・クートラの言葉にアリターナ軍を睨みつけながらアンジュレスが応じる。
「そうだな。分岐点を超えたのは三万から四万というところだ」
「そして、アリターナが渓谷内の全軍で進軍しているとしたら後続はあと数万というところでしょうか」
渓谷内にいるアリターナ軍は六万ほど。
それに対し、アンジュレスの手元には九万。
十分に勝算はある。
「アンジュレス様。我が国がアリターナと結んだ協定を覚えていらっしゃいますか?」
心の中で捕らぬ狸の皮算用的計算をおこなっていたアンジュレスの思考に割り込んできたその声。
声の主マルマンドから問いの形をしてやってきたその言葉は、もちろんアンジュレスに対する諫言である。
一瞬だけマルマンドに目をやったアンジュレスだったがマルマンドの顔から視線を外してから口を開く。
「この山岳地帯では手に入れた者が総取りし、どのような条件であろうとも、分配するということはない」
「そうです。ですが、それとは別にもうひとつあります。とても重要なことが」
アンジュレスの顔が歪む。
「忘れたかったが、残念ながら覚えていた」
そう前置きをしたアンジュレスの口が動く。
「どちらかが手をつけている戦場に割り込むことは認められない。だったか」
「そのとおりです。そして、この状況はまさにそれに該当します。もちろん例外条件として協力要請がなされたときというものがあります。ですが、今回は当然そのようなものもありません。つまり、ここで行軍中のアリターナ軍の隊列に割り込むことは協定違反になります。もちろん攻撃をするなどということになれば……」
司令官を斬首しその首を相手に差し出さなければならない。
もちろんマルマンドに念を押されなくてもアンジュレスにだってわかっている。
わかっているが……。
「おまえは撤退しろというのか」
「残念ではありますが、この状況では如何ともし難いでしょう。国同士の取り決めた協定、しかも、今回の協定は我が国がアリターナに持ちかけたものであり、我々が破るわけにはいきません」
「いや」
ふたりの背後からやってきた自らの言葉を否定する声の主ラシャルテをマルマンドは睨みつける。
そう。
マルマンドはわかっていたのだ。
この男がこれから何を話すかを。
そして、ラシャルテが口にしたことは、マルマンドの予想通りのものだった。
「先ほど魔族はこう言った。自分たちはアリターナの手を結んだと。つまり、敵である魔族と手を結んだ現在のアリターナは我々の敵。つまり、あのくだらない協定などには縛られない」
「……たしかにそうだな」
「お言葉ですが、これは魔族の罠の可能性が高いと判断したのですから、アリターナも魔族に誘引されている可能性があるわけで……」
「腰抜け」
ラシャルテの提案に乗りかかったアリターナを抑えようとするマルマンドの言葉を遮ったのはそこにやってきたもうひとりの将軍ブリアック・オービュッソンだった。
「貴様。この状況を見てもまだそんな戯言を言っているのか」
マルマンドを一蹴したオービュッソンがアンジュレスに視線を向ける。
「ここは攻めるべき。というか、ここを逃せば、マンジュークの銀はすべてアリターナのものになる。たしかに罠の可能性がないわけではないが、万が一にも魔族とアリターナの停戦が事実であったら、取り返しのつかないことになる」
「一時の汚名を甘受してでも、ここでアリターナを叩くべきということか」
探していたアリターナ攻撃の口実を手に入れた喜びが滲み出るアンジュレスの言葉にオービュッソンは頷き、最後のひと押しといわんばかりにさらに言葉を加える。
「そういうことだ。そして、実際にマンジュークを手に入れてしまえば、それこそ少々のことが帳消しになるくらいの功となる。アンジュレス将軍。ここで示す賢明な判断によって、将軍がフランベーニュの歴史に名を残す人物になるところを我らに見せていただきたい」
「それに、今ならアリターナを簡単に分断できますぞ。将軍」
「わかった」
まず、マルマンドを眺め、それから彼とは正反対の意見を口にしたふたりの将軍の顔を見たアンジュレスが口を開く。
「我が軍はアリターナを撃つ」
「信じられないことではあるが、アリターナは魔族と停戦し、その対価として魔族がアリターナにこの山岳地帯の鉱山をすべて譲り渡したことが判明した。すなわち、今やアリターナは魔族の同盟者であり、我々の敵となった。遠慮はいらん。アリターナ人を皆殺しにせよ」
発言の機会を求め手を挙げたのは多くの戦いで先陣を務める、将軍のすぐ下の地位となる准将軍の地位となるドナルド・メネステロルとドナシアン・ブルグナフだった。
「ですが……」
「……我が軍には魔術師が同行していない。その対策は……」
「心配はいらない」
「アリターナ軍の隊列を注意深く観察したが、魔術師はいなかった。速度の速い進軍に魔術師は同行できなかったのだろう。まあ、理由はともかく我々に不利になる条件は消えている。つまり、心配することは何もない」
「まず、私の部隊が先頭に立ち全力で突入し、分岐路に居座るアリターナの裏切り者を粉砕し、そのままマンジューク方面に向かう」
「それでは敵の後続部隊に背後を取られるのでは?」
「我らの攻撃で分断されたアリターナ兵の討伐と、ついでに渓谷地帯を逆進してベンティーユを落とす役をアルノー・ユゼルシュ将軍。貴殿に任せる。三万の兵を率いてくれ」
「承知」
「これから後詰としてやってくるポアティアとシャッスイヌにはどのような役を?」
「裏切り者を殲滅したあとには魔族との戦いもある。マンジュークに進んでもらおう。それから、ルルージェ将軍。貴殿はあの分岐点の警護をお願する。つまらぬ役ではあるが、功績と報酬は前線で戦った者と同じとすることを約束するので受けてもらいたい」
「お任せを」
「では、陣容は決まった」
そして……。
「裏切り者のアリターナに正義の鉄槌を加える。全軍突撃せよ」