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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第九章 クペル平原会戦

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破滅へ進む決断 Ⅰ

 心が大きく揺れ動いたものの、最終的にそれを使用するという最終決断をグワラニーが下した同じ頃。


「申しわけございません。ボナール様」


 魔族側の予想外の申し出に大混乱した挙句、ボナールの返答を約束させられてしまったロカルヌはクペル城にやって来ると、すぐに平謝りするものの、ボナールはさほど気にする様子は見せなかった。


 もちろん彼自身も驚いていた。


 魔族からの申し出を。

 それから、彼らが自身の存在を知っていたことも。


 さらに言うのなら、貴族連合軍に対する狼煙によってクペル城にボナールがいるとグワラニーは予想していたのだが、転移魔法で移動したロカルヌの痕跡からボナールが物見櫓にいることまで判明していた。

 むろんそこまで注意力が働かなかったフランベーニュ側は魔族側が監視していたことに気づかなかったのだが。


「……ところで魔族の将は降伏勧告にあたり、どのような条件を出してきたのだ?」

「それが、なんとも言いようがないもので……」


 ボナールからやってきた問いに対して、歯切れが悪い前置きしたロカルヌはため息をひとつすると、それを吐き出す。


「……クペル城駐留部隊を含めて、この周辺に展開する我が軍将兵の身の安全の保証。そして、降伏後捕虜になることを望まぬ者には安全に撤退することも保証する。それに加えてクペル城に住むフランベーニュの民の避難時にも攻撃しないことの約束。その際に避難民に対しては放棄する財産の一部として全員にフランベーニュ金貨千枚と同等のものを支給する。また、クペル城内にいる負傷兵のうち移動が困難な者に関しては魔族側で十分な治療を施したうえ、別途帰国させる。それに対する魔族が手に入れる対価ですが、クペル城から半径一アケトの土地のみ。それ以外の領地、金銭の要求はしない。最後に、我が方がその条件を承諾した場合、魔族軍の司令官の名を記したフランベーニュ語による証書の発行し、約束を確実に履行する証拠とするというものです」


「……我が国が他国に出す開城勧告よりも条件がいいな」


 ロカルヌの言葉に冗談交じりではあるものの好意的な評価で応じたボナールは目を瞑り思考の森に分け入る。


 アグリニオンの商人の情報には、魔族は契約にうるさく、一度結んだ契約は律儀に守るというものがあった。

 その魔族が証書の発行をわざわざ加えてきたことは本気。

 つまり、敵はこの条件で我々を降伏させたいと本当に考えている。


「……読めた」


 ボナールの思考が辿り着いた先。

 それはまさにグラワニーが心の中で呟いたもの。


 ……奴らが描いているクペル城攻略の絵図がこうだ。


 ……本来、渓谷内での戦果を脅しのネタにしてクペル城を開城させるつもりであったのだが、予定外の増援がやってきた。

 ……クペル城を手に入れるためにはもう一度戦わなければならない状況になったものの、奇術のタネはもうない。

 ……そこで、本来の策を少し手直しして繰り出してきた。


 ……大軍相手にわずか二万で草原に姿を現わすのだ。当然それ相応の策を用意してくる。

 ……そう思わせる。

 ……だが、それこそが奴らの策。


 ……つまり、手札の持ち合わせがないにもかかわらず、何かあるかのように見せるハッタリ。

 ……だが、これは命がけの戦い。そこでそれをおこなうとは、究極のハッタリ。いや。命がけのいかさま。

 ……それだけのことを堂々とやってのけるとはこの魔族の将はたいした度胸の持ち主。

 ……そして、それにつきあう部下がこれだけいるということはその将には相当な人望と信頼もあるのだろう。

 ……だが、ひとつだけ見誤ったことがある。


 ……それは、私の器量。


 ……私がこの軍の指揮官と知っていながら、その策をおこなうということは当然指揮官が私であっても通じると思った。いや、私だからこそ深読みして成功すると思ったのだろうが読みが甘かったようだな。


 ……もちろん返答は拒否なのだが……。


 ……ここにもう一つ加えてやろう。


「ロカルヌ。奴らに返す答えが決まったぞ」

「伺いましょう」


「むろん降伏勧告は拒否する」

「当然でしょうね」

「ただし……」


「続きがある」


 それから、ほんのすこしだけ時間が進んでクペル城前の草原地帯。

 魔族軍を包囲したフランベーニュ軍からひとりの男が進み出る。

 それに応えるように魔族軍からも先ほどの将が前に出る。


 見えない壁である結界を挟んだフランベーニュ軍と魔族軍の中間まで歩を進めたところで男が口を開く。


「フランベーニュ軍総司令官アポロン・ボナールの代理フレデリック・ロカルヌが魔族軍将軍アゴスティーノ・プライーヤからの降伏勧告に対する、総司令官からの返答を伝える」

「聞こう」

「降伏勧告は拒否する」

「……承知した」


 もちろんここまでは敵味方双方の想定通りであった。

 だが、ボナールの返答はこれで終わりではなかった。


「なお、ボナール総司令官から魔族軍の将兵に言葉がある」


 この言葉に両軍の兵たちがざわめく。

 だが、その言葉の受け取り手であるプライーヤは薄い笑みを浮かべ、「やはり来たか」と呟くだけで取り立てて動揺する様子は見られない。

 そして、双方の兵士たちのざわめきが収まったところで、プライーヤが口を開く。


「聞かせてもらおうか」

「よろしい」


 プライーヤの言葉にそう応じると、大きく息を吸ってから、ロカルヌはその言葉を吐き出す。


「渓谷内で我が軍を殲滅した見事な手腕。そして、圧倒的大軍を前にして堂々と姿を現し戦おうとする姿勢。それらは賞賛に値するものである。すでに勝敗を行方がわかっている戦いにおいて無駄な血を流すことが本望ではないのはこちらも同じ。そこで提案する。もし、ここで降伏するのであれば、この私アポロン・ボナールが責任をもってここにいる魔族軍全将兵の命を保証し、かつ通常の捕虜と同等の扱いをすることを約束する。さらに、希望するのであれば、我が軍に加わることも許す。熟慮のうえ返答せよ」


 一瞬の沈黙の後に、起こったのは歓声と罵声だったのだが、驚くことに罵声は多くは提案したフランベーニュ軍側からのものだったのだが、これは当然といえば、当然である。

 なにしろ、魔族とはこの世界に存在してはならぬ邪悪なものであり、どのような事情があろうともすべてを殺す。

 それはたとえ女子供であっても。

 これがフランベーニュ軍、そして、全人類の「暗黙の了解」的方針であったのだから。


 そうなれば、拍手と歓声は魔族軍側から起こったものということになるわけなのだが、こちらはどちらかといえば、相手の反応に合わせたものということになる。

 敵が怒るということは、こちらにとって悪いものではないという。


 ロカルヌはその様子を眺めながら苦笑いする。


 ……ボナール様によれば、これは戦いをおこなううえでの儀礼のようなもの。

 ……お互いに降伏を勧告し、それを拒否したところで戦いを始めるという。


 ……形のうえでの返礼もこれで済ませたわけなのだが、まさかここで魔族が戦いの舞台から下りるなどということにはならないだろうな。

 ……そうなってはこちらが困る。


 もちろんロカルヌが心配するようなことは起こるはずもなく、当然のようにその言葉はやってくるわけなのだが、ロカルヌを驚かせたのはその返答までの時間だった。


「返答までに時間を指定する。今から……」

「いや。不要だ。この場で返答しよう」


 ロカルヌの言葉をそう遮ったプライーヤは続いてそれの対となる言葉を口にする。


「我が軍への過分な評価。そして、そこから来るまことにありがたい申し出であるが、我々はすでに勝利を手にしている身。ここで戦いから下りる必要性はまったくない」

「……つまり、拒否か」

「そうなるな。それから繰り返しになるが、この戦いは我らの完全な勝利は確定している。そこで、勝者の度量を示すため、そちらの一撃を開戦の鐘とすることを約束する。攻撃はしないから、親しいものと最後の盃を交してから戦いを始めるのがよかろう」

「言ってくれるな。魔族」


「では、そうさせてもらおうか。ただし、その盃は勝利の前祝いである。さて、話はここまでだ。剣を交えることを楽しみしているぞ。魔族の将軍」


 ふたりの会話はそこで終わる。

 だが、魔族の将の言葉はそれで終わらなかった。

 相手には絶対に届かぬ声で背中越しにプライーヤはロカルヌにこう言ったのだ。


「……さらばだ。フランベーニュの将」


「……残念ながら剣を交えるのは私があの世に行ってからということなる。そのときまで向こうで研さんに励め」

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