そして、その朝がやってくる
フランベーニュの英雄と、この後すぐに魔族の民から救世主と呼ばれることになる男の運命を分けることになる一日。
その決戦場となるクペル城前の草原地帯の朝は非常に穏やかだった。
もちろんそれはあくまで表面上のことであるのだが。
そして、前日までの戦場だった山岳地帯を挟んでその反対側の草原地帯につくられたグラワニー部隊のキャンプ地はさらに穏やか、いや、賑やかだった。
むろん、前日戦いに大勝利したこともある。
だが、それ以上に大きいのは、やはりテーブルに並ぶ陣中食の範疇を遥かに超えたその豪華な朝食ということになるだろう。
将軍級の幹部たちが並ぶテーブル。
恒例となった後方支援をおこなう者たちへの感謝の儀式を終えて始まった食事。
それが半ばまで差し掛かったところで、フォークを置いたグワラニーが口を開く。
「さて、諸君」
「すでに全員の耳にも届いていることだと思うのだが、フランベーニュは自軍の切り札ともいえる英雄アポロン・ボナール将軍を送り込んできた。まあ、彼自身はまだ姿を現わしてはいないようなので、送り込んできたのではなく、送り込むようだと言ってほうが正しいのだが……」
「そして、彼の来訪についてもうひとつ重要なことがある。それは表面だけを見れば、この地域の危機に慌ててやってきたように見えるのだが、諸々の状況を考えれば、これは単なる偶然であり、彼がここにやって来ることは、我々の勝利とは無関係に以前から予定されていたということだ。そして、それは彼の目的がクペル城の救援などではなくマンジュークの奪取。その前提となる渓谷内への再突入であることを意味している」
「当然、こちらはそれを阻止しなければならないわけなのだが相手は強敵。他の部隊では勝つのが難しい。つまり……」
「英雄アポロン・ボナールと彼の部隊を叩くことができるのは我々だけである」
どよめき。
それから、熱気が沸き起こる。
それを満足そうに眺めたグワラニーの言葉はさらに続く。
「だが、先ほども言ったとおり、相手の将はアポロン・ボナール。漫然と戦いを挑んでは勝てない」
「彼は手に入れた情報から、我々の魔術師が相当の手練れだと認識しているはず。そうなれば、ボナールが採る策はひとつ。渓谷内で全滅した自軍と同じ目に遭わないように配下の魔術師を総動員して防御魔法を張り巡らし彼ら自身を守ることだ。ついでに言っておけば、ボナール配下の魔術師のうちの数人はフランベーニュ内で上位に位置するものらしい。これによって絶対に避けなければならない魔法による先制攻撃は防ぎ切れるとボナールは判断しているはず。だが、それは彼ら自身も魔法を使った攻撃をおこなう術を失ったことを示す」
「ということは、剣と剣の戦いということか」
「いいだろう。それはこちらだって望むところだ」
「グワラニー殿。その戦いの先鋒を任せていただきたい。このバルサス、ボナールの首を上げてご覧に入れますので」
「そうはいかん。その役はアライランジアが承る」
「いやいや……」
前日の戦いからグワラニー軍に加わったデニウソン・バルサス、ジルベルト・アライランジア、クレベール・ナチヴィダデの新参の三人はグワラニー軍の攻撃魔法は前日の掃討戦での披露したものがそのすべてと誤解した。
もちろん、ペペスやプライーヤのようにクアムートでの凄まじい破壊力を持った攻撃魔法を自らの目で見ていないのだからそう考えるのもやむを得ないところであろうが。
やってきた言葉に薄い笑みで応じたグワラニーが口を開く。
「三人の意気込みはありがたい。その申し出については留意しておこう」
「さて、そのボナール将軍であるが彼は草原で戦いのケリをつけるつもりではない」
「ボナール将軍はマンジュークまで落とすのが目的だと先ほど私は言った。だが、草原で我々を粉砕し、続いてキドプーラを力攻めで落としても、そこから続く渓谷内ではこれまでの三年間と同じことが繰り返されるだけとなる。つまり、果てしなく続く膠着状態」
「そして、それは将軍が時間をかけて鍛えた兵たちがすり潰されていくことを意味する。被害のわりに戦果が乏しい戦い。将軍としてはそうなることは避けたいだろう。だが、そうかといって渓谷内に踏み込んでしまったら、簡単には撤退はできない」
「では、そうなることを避けるためにボナール将軍はどうしたらよいか?わかるかな?アライランジア将軍」
「いや」
「では、ナチヴィダデ将軍とバルサス将軍はどうか?」
「想像もつかん」
「私も」
「……なるほど」
答えに窮した三人の顔を眺め終わったグワラニーが続いて視線を動かしたのは末席に座る女性だった。
「アリシア・タルファ。あなたが昨晩示したこの難題の解決策をここでもう一度披露してくれ」
「はい」
グワラニーが指名したその女性は立ち上がる。
「……我が軍を草原地帯に呼び込んだうえで半包囲して叩きます。ここで重要なのは半包囲という部分です。一兵も逃さずその場ですべてを狩るつもりならば完全包囲なのは言うまでもないことです。ですが、ここでおこなうのは半包囲。理由は半壊した我々を退却に追い込み、それを追撃し、敵味方入り乱れた状態で渓谷内に突入し、そのままマンジュークに到達するため」
「この策の利点は?」
「こちらの最大の武器である一撃で相手を殲滅するような魔法が使わせないことです。さらに言えば、敵に背を向けて敗走し始めたらそう簡単に止まれない。それどころか迎撃するはずの味方まで飲み込むその波は大きくなる一方。この策が成功すればフランベーニュ軍は目的の場所まで難なく辿り着くことができるでしょう」
もちろんここまで説明されれば、その策がいかに有効かは三人にだってわかる。
だが、グワラニーの言葉どおりであれば、この女性は自分たちがここでようやく理解したものを誰よりも先に気づいていたということになる。
「タルファ夫……タルファ夫人にひとつお尋ねしたい」
ナチヴィダデが、思わず出かかった魔族語から共通語に変更し、絞り出すような声で尋ねる。
「あなたはタルファ将軍とともにノルディアからやってきたということだが、ノルディアでは軍務に就いていたのか?」
「いいえ」
「では、その知識は将軍から教授されたものなのか?」
「いいえ」
もちろんアリシアの言葉を信用しなかったわけではない。
だが、三人の視線は無意識に彼女とは別の人物へと動く。
それに応えるようにその人物が口を開く。
「それについては、彼女の言葉は嘘ではないことを保証する。この国もそうだが、ノルディアでも女性が軍務に就くことがないどころか、護身用の短剣以外の武器を持つことだってない。ついでにいえば……」
「私自身も最近知って驚いているのだが、アリシアの、戦場ではなく戦い全体を俯瞰する目は私を遥かに上回る……悔しいが事実だ」
「では……」
「それについては私が説明しよう」
迷宮に入り込みそうなナチヴィダデに救いの手を差し伸べたのはグワラニーだった。
「彼女の洞察力は特別なものだ」
「だから、目の前にある状況から相手がおこなおうとしていることが推測できる。そこに彼我の戦力や相手の為人という知識を加えてやれば敵がこれから何をおこなおうとしているのかを完全に読み切れる」
「な、なるほど……」
滲み出す三人の表情から彼らが心の中で何を考えているのかはあきらかだった。
薄い笑みを浮かべたペパスが口を開く。
「一応言っておくが、夫人の洞察力はタルファ殿だけではなくここにいる武辺の者全員を凌駕している。だから、部外者の女ごときに上を行かれたなどとつまらぬ悲観はするなよ。絶対に」
あまり慰めにはなっていないペペスのその言葉に続くのは魔術師長の声だった。
「まあ、グワラニー殿はノルディアにとんでもない大金を支払って夫人の身柄を譲り受けたのだ。そう驚くことではないのだろうが」
「なんと……」
ナチヴィダデの問いに老魔術師は明確に答えたものの、もちろん事実はそうではない。
たとえ冗談であっても修正すべきところは修正すべき。
そう考えた者がすぐに現れる。
「魔術師長。その大金はタルファ将軍を手に入れるためのもの。それにその大金も支払ったのではなく、受取金を割り引いただけです」
バイアからやってきたその言葉。
だが、グワラニーの側近のひとりでもあるアンガス・コルペリーアだってその程度のことは指摘されなくてもわかっている。
つまり、それがわかっていて敢えて口にした。
それを示すように、老魔術師は最高級の威厳に満ちた顔をつくりこう言う。
「バイア殿。後者はともかく前者については違うだろう。バイア殿の言葉はあくまで表面上の話で大金の対価は実質的には夫人の身柄だ。なにしろ将軍が我が軍に貢献したのは今回の戦いだけだが、夫人はそれの数千倍は我が軍に貢献している。少なくても私の腹に貢献しているのは夫人であって将軍ではない」
「……ですが、将軍が夫人と結婚していなかったら、グワラニー殿は夫人に出会わなかったのですぞ。魔術師長」
「うむ。それについてはたしかにプライーヤ将軍の言うとおりだ。では、そこだけは加点することにするか」
「ということは、私が評価されるのはアリシアと結婚したこと。それだけなのですか?」
「まあ、そうなるな。だが、それはそれで十分過ぎる貢献ともいえるのだからガッカリすることはないぞ。タルファ将軍」
むろんそれに続くのは大爆笑。
厳しい戦いの前とは思えぬその宴が一段落したところでグワラニーはチラリとその言葉の主に目をやってから、言葉を続ける。
「では、続きを話そう」
「ボナール将軍が渓谷内に突入する手段として、混戦状態に持ち込むことを意図しているということまでわかっているのなら、こちらは動かず防御に徹する。これがボナール将軍の策に対する最も良い対抗策となるわけなのだが、今回は敢えてボナール将軍の策に乗る。これが基本となる」
「では、具体的にどのような戦いになるのか?最初に現れるのは我々に対するエサの役割をする者たち。当然我が軍はそれに食いつく」
「だが、その直後、ボナール将軍率いる本隊が我々の背後に姿を現わす。しかし、エサに食いついてしまっている我々はそう簡単に離れられない。つまり、美味しい獲物に食いついたはずが逆に両脇腹を食いつかれるというとんでもない状況に陥る」
「次の段階。側面から攻撃を受けて圧倒的な不利になった我が軍に幸運のときが訪れる。一瞬だけ敵の攻撃が止んだのだ。この一瞬を逃すまいとキドプーラへ退却する我が軍。だが、当然ながらこの攻撃の手が緩んだのはボナール将軍の策の一環。つまり、彼は我々のこの動きを待っていたわけだ。もちろんそれを逃すわけもなくフランベーニュ軍は追撃する。ただし完全に食い尽くすことはしない。というよりも、殺すというよりも敗走する兵の尻を叩き、加速するよう促す。そして、最終段階……」
「そのままなだれ込むようにキドプーラから渓谷内に突入し、マンジュークまで進む」
「これがボナール将軍の計画だろう。まあ、勇者一行のような特別な才がない者が狭い渓谷を短期間で攻略するにはこれ以外の手はない」
「グワラニー様。ひとつ質問してもいいでしょうか?」
そこまで話が進んだところで、声を上げたのはグワラニーの背後に立つ男だった。
「なんだ?コリチーバ」
「グワラニー様は、乱戦に持ち込んだまま渓谷内に突入することが渓谷を突破する唯一の策だとおっしゃいましたが……」
「そうなると、ボナール将軍はこの策を携えてここにやってきたということになります。ですが、彼は救援ではなくマンジュークを手に入れるためにやってきたことと、今の話は若干整合性が取れないように思うのですが、いかがでしょうか?」
「なるほど」
「つまり、コリチーバは、その手はフランベーニュが渓谷から追い出された今だから使えると言いたいのだな」
「そのとおりです」
「一理ある」
自ら示した策の穴、その核心部分を突いたように思えるコリチーバの指摘だったが、グワラニーは薄い笑みで応じる。
「だが……」
「実際のところ、渓谷内での膠着を通常戦力で乗り切るにはそれしか方法はない」
「おそらく、ボナール将軍は草原での戦いの前段階として渓谷内での撤退をおこなうつもりだった。もちろんただの撤退ではない。我が軍を草原まで誘引するような敗走を装ったものだ。だが、これにはある大きな問題が含まれる」
「我々がキドプーラで停止する可能性が高いことだ。そして、そうなればフランベーニュ軍の三年間の努力がただ無駄になるだけ。つまり、大きな利益を手に入れるためとはいえ、ボナール将軍は勝ち目が低い賭けをおこなわなければならなかったわけだ」
「ということは、フランベーニュ軍の惨敗をボナールは喜んでいると?」
「顔には出さないだろうが、心の中ではそう思っていることだろうな」
「まあ、名将と呼ばれるアポロン・ボナールなら、別の策を用意していたかもしれないが……」
「だが、彼がどのような策を用意してようと勝者として最終的に戦場に立っているのは我々だ。では、我々はどのようにして勝つのか?そして、その結末がどのようなものなのかを話そう。それは……」
そこから始まった相手の策に乗ったうえで、その相手を完膚なきまでに叩くというその策。
だが、グワラニーが語った、そのすべてを聞き終えた後、その場には高揚感とは全く違う、どちらかと言えば、その対極にあるような淀んだ空気が漂う。
そこにキドプーラからの情報を持った伝令兵がやってくる。
息を切らせてやってきた少年は一瞬来てはいけない場所に来たかのように錯覚するが、自身の職務を思い出すと気を取り直し背を伸ばす。
「キドプーラを守備しているアドリアノ・バンデラッタ様より報告」
「敵十万が出現。現在草原に布陣中」
その声が途切れたところで、バイアが問いの言葉を口にする。
「軍旗は確認したか?」
「はい」
「軍旗はアポロン・ボナールのものではないとのことです」
「所属はわからぬものの確認できたものだけでも十八種類の軍旗があり、そのすべては盾が描かれており、ふたつについてはバラの花が三つ描かれているとあります」
「王冠が描かれた旗は?」
そこまで話を聞いたところで、バイアと少年の会話に割り込むように言葉を差し込んだのはグワラニーだった。
それが予想していなかったものだったらしく、少年は頭の隅から隅までその言葉を探し回ってからその結果を口にする。
「それについては何も承っておりません」
「……なるほど」
報告を受けたグワラニーはニヤリと笑うと、言葉を待っている者たちに目をやる。
「大海賊ワイバーンを通じて手に入れたフランベーニュ軍の軍旗認識表を参考にすれば、フランベーニュの軍旗に盾を描けるのは貴族が率いる部隊のみ。そして、その中でもバラをあしらった意匠は十大貴族のみ使用が許されている。バラの花三つとなれば、当然公爵。つまり、公爵がふたりやってきたということになる。ちなみに、王冠は王族のみに許されているものだ」
「それから……あっ」
グワラニーの言葉が一段落したところで、少年が遠慮気味に言葉を口にしたものの、すぐに止まる。
これは当然といえば、当然である。
忘れぬうちにすべてを話したいという気持ちから出たものではあったものの、見た目上、軍司令官の言葉を遮ったような形になるのだから。
グワラニーは少年に目をやり、それとともに右手で促すような仕草を送ると、少年は安心したように一礼した後、肝心な部分に言葉にする。
「……バンデラッタ様によればその布陣は秩序がなく、戦いに慣れていないように見えるそうです」
「……つまり、数は多いが戦いには不慣れな貴族軍。なるほどエサとしてこれほどふさわしいものはないな」
グワラニーの呟き。
その場にいる者は皆頷くものの、腑に落ちない点がある。
それを口にしたのは、貴族がその国においてどのような地位にあるかをよく知っている男アーネスト・タルファだった。
「もちろん彼らの私兵など数は多いがそれ以外は正規軍に比べてすべての点で劣る。エサとして申し分ないのはわかります。ですが、彼らは特権階級。そのようなことは……」
つまり、あり得ない。
タルファは言外にそう言ったわけなのだが、事実はそれを否定している。
一瞬後、グワラニーが口を開く。
「まあ、普段なら絶対にありえないことだ。そして、今回もそうだろう。だから……」
「自分たちがエサ役を演じているなどとは貴族たちは思っていまい。おそらく、エサ役であることを伏せたままボナール将軍が先陣の栄誉をくれてやるとでも言ったのだろう」
「ということは、ボナールが貴族を騙した?」
「結果的には。だが、貴族にそのような役を押しつけて戦場に引っ張り出すことはボナール将軍にはできない。おそらくこの件で糸を引いているのはフランベーニュの王だろう」
「国王が?」
「なぜ?」
タルファとペパスから続けざまにやってきた問い。
グワラニーはふたりを見やり、笑みのない顔でそれに答える。
「フランベーニュ国内の権力闘争以外に考えられないな」
「つまり、フランベーニュでは国王と大貴族が対立していると?」
「そうだ」
「だが、経緯はともかく、これでボナール将軍の直属部隊が丸々残ったことになる。つまり、正面の敵に対峙する我々の側面に現れるのはそれぞれ十万人ということですか?」
「そうなる。そして、我々が相手にするのは合計三十万ということだ」
「そういうことであれば、我々もただちに出陣しましょう。」
「そのとおり。たとえ敵の殲滅が目的でなくても、私が敵将なら相手の出鼻を狙います。そして、敵の混乱に乗じて渓谷内に突入します。これであれば先ほどグワラニー司令官が示したものと同じ効果が得られるでしょう」
ナチヴィダデはその言葉で口火を切ると、アライランジアもそこに加わるが、薄い笑みを浮かべたグワラニーは右手でそれを制す。
それからまったく慌てる様子もなく言葉を語り始める。
「いやいや、まだ食事の途中だ。それに食後の茶も飲んでいない。出かけるのはそれからだ」
今度は少しだけ黒味を帯びた表情でグワラニーは言葉を続ける。
「たとえば、その十万がキドプーラに攻めてきた、または現れたのがボナール将軍の直属部隊であればが、大急ぎで迎撃に向かわなければならないかもしれないのだが、そうではないのなら心配はいらない。フランベーニュ軍は渓谷から我々が出て来てから動くつもりだ。それどころか、こちらの気が変わらぬよう、我々が布陣するのに最高の場所を残しておくはず。だから、慌てることはない。それに……」
「すでにやってきている貴族たちはもちろんボナール将軍たちにとっても最後の食事になるのだ。彼らにはゆっくり味わってもらいたい」
「……最後の晩餐を。まあ、正しくは晩餐ではなく朝食なのだが……」
グワラニーはそう言ってもう一度笑った。




