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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第九章 マンジューク防衛戦 Ⅱ
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誘引の言葉

 そして、最後の転機。

 それはフランベーニュ軍と魔族軍が剣を交える最前線で起こった。


「貴様。我々を揶揄っているのか?」


 自らの耳に届いた言葉にアンジュレスは怒鳴り返す。

 だが、その声に黒い笑みを浮かべたアンブロージョ・ペパスと名乗った魔族の男はもう一度口を開く。

 そして、流暢とは言い難いものの、とりあえず十分に通じるフランベーニュ語で挑発するように言葉を吐き出す。


「だが、私の言ったことは事実だ。もし、どうしても信じられないのであれば、自らの目で確かめたらよかろう。ドミニク・アンジュレス将軍」


 ドミニク・アンジュレス。

 もちろんそれはアンジュレスの正しい名である。

 だが、その名を口にしたのは同じフランベーニュ人でないのはもちろん、人間ですらない。


「おい、魔族。貴様。なぜ私の名を知っている?」


 怒りと驚きに満ちたフランベーニュ人からのその問いに、その言葉の相手となる者は黒味がかった笑みを浮かべる。


「もちろん我が新しき友人から聞いたのだ。最前線で怒鳴り散らしている赤い甲冑の男はそのような名だと」

「……裏切り者のアリターナどものが……」


 もちろんペパスの言葉に含まれたその情報の入手先はアンジュレスをミスリードさせるための簡単なトリック。

 だが、突然自分の名を呼ばれてパンクした今のアンジュレスの頭ではそれを看破することはできない。

 その効果を十分に堪能したところで、魔族の男が再び口を開く。


「さて、アンジュレス将軍。そろそろ終幕の時間ようだ。では、さらば」


 その言葉とともに、最後のひとり、いや、隣には人間にも見える少女とその兄のような男、それに老人がいるので、正確には最後の四人となる、その魔族の男は消える。

 だが、相手には届かぬ声でその男はその続きとなるこのような言葉も口にしていた。


「……またすぐに会えることを楽しみにしているぞ。人間」


 とりあえず、それまであった見えない壁もなくなると、この戦いが始まって初めてのものとなる静寂の中、幕僚たちが指揮官のもとに集まる。

 そして、その中のひとりで素晴らしい装飾が施された甲冑を身に纏う男が口を開く。


「アンジュレス殿。これからどうする?まあ、この状況を見れば聞くまでもないのだが」


 現在アンジュレスの部隊に属する将軍のひとりであり猛将として名高いオーレイアン・ラシャルテからやってきたその問いは、あきらかに進軍を催促するものだった。

 どの世界でも同じなのだが、部下となる者から最初に積極策を提案されてしまうと、それがどれだけ危険であっても指揮官がそれを否定するのは難しい。

 特に猛将と自負している者にとっては。

 つまり、この瞬間、流れは決まったといってもいいだろう。


「もちろん前進だ」

「少々お待ちを」


「アンジュレス様。さすがに今の話は出来過ぎています。罠である可能性が十分あります」


 副官アドリアン・マルマンドのその言葉は負の要素を並べたもの。

 一見指揮官の決定を拒む、副官らしくないこの言葉だが、これこそがマルマンドの役目。

 常に暴走気味の上官を抑えるという。


 そして、もしこの前進案がアンジュレスから出たものであったのなら、このマルマンドの役割は成功したかもしれない。


 だが、今回はいわば同類ともいえるラシャルテが示されたもの。

 さらにそれは自分の勇ましさに期待する多くの兵たちの前。

 引き下がるわけにはいかない。

 たとえどちらの言葉が正しいのかわかっていても。


 アンジュレスがマルマンドを見やる。


「奴らの言葉が嘘臭いのはわかる。いや、まちがいなくこれは我々を罠に誘い込むための嘘。だが、そうであっても、今は距離を稼げる絶好の機会。これを逃す手はない。それに……」


「奴らの言ったことが本当かどうかを確かめる必要はあるだろう」

「それはそうなのですが……」


「というより、ここはロバウ総司令に報告し、指示を仰ぐべきでしょう……」


 新任の幕僚のひとりオーバン・サルバロンが自らの言葉を遮って口にした言葉に含まれていたロバウの名を聞いた瞬間、マルマンドは心の中で特大の舌打ちをする。


 三年前から指揮官の前でロバウの名を出すのは厳禁。

 それがこの軍に所属する者たちの暗黙の了解となっていた。


 マルマンドは口には出せない言葉で名ばかり貴族の男を罵るものの、出てしまったものは変えられない。


 当然のようにそれはやってくる。


「不要だ」


 自らの言葉が上官の激発の引き金になったことも気づかぬまま気圧されるサルバロンを睨みつけたアンジュレスがさらに五段階ほどギアを上げた怒号に乗せて次の言葉を吐き出す。


「敵が引き、我が部隊が前進する。これは前線指揮官である私の裁量の範囲内である。ロバウの指示を仰ぐ必要などない。違うか?」


 もう言葉を発することもできず完全に沈黙したサルバロン。

 愚かなサルバロンに代わって口を開いたのは有能な副官だった。


 その言葉を飲み込んだマルマンドが上官に進言する。


「……前進のための準備はただちにおこないます。ですが、ことの詳細を後方に伝えることは、前線指揮官としてやるべきだと思いますが……」

「お、おう」


 マルマンドにとってはこれであっても大いなる妥協である。

 だが、前線指揮官の義務という言葉は、ロバウなどに知らせず独断でことを進めたいと考えたアンジュレスも容易には拒めない。

 一瞬の百倍ほど使って抜け道を探したものの、遂に見つからず、ここは副官の進言に従う以外にないと観念する。

 もちろん渋々ではあるが。


「たしかに。マルマンドの言うとおりだな」


「我々は出発するが、ポアティアとシャッスイヌには一応知らせておけ。そうすれば、クペル城に居座っているロバウにも情報は届くだろう」


 こうして、マルマンドの機転によってどうにか後方へ詳細を伝えるために伝令を送ることになったが、直後、アンジュレスは行動を開始する。


「出発だ。これより逃げ出した魔族の腰抜けどもを追撃し、マンジュークを落とす。手柄を上げたい者は私に続け」


 アンジュレスのこの声とそれに続く地鳴りのような雄叫びの連鎖ともにフランベーニュ軍は動き出す。


 実はこの大部分は生きてこの場所に戻ってくることはなかったのだが、フランベーニュ軍を死地へと駆り立てるきっかけとなったペパスと名乗った魔族の男が口にした言葉。

 それがこれである。


「我々は、アリターナ王国の休戦条約を結び、その証としてマンジューク銀山を含むこの一帯の鉱山をすべて譲る決定をした。そして、アリターナ軍は現在マンジュークに向けて前進中である」


「つまり、フランベーニュ王国はこの地域の権利をいかなる手に入れることはできないのだから、速やかに撤退すべし。そして、我々もこの地域を放棄するのだから、これ以上フランベーニュ軍と戦う必要がなくなった。そういうことで我々はこれより撤退を開始するのだが、これはその通告、いや、小さな気配りである」

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