終わりの始まり
山岳地帯の麓。
突然現れた兵舎群のひとつで、ある事柄について報告を受けた若い魔族の男グラワニーは小さく声を上げた。
グワラニーの言葉は続く。
「明日、現場を確認に行く。と言っても、毎日見ているからわかっていたのだが……」
「あれが完成しなければ我々の仕事が始められない。だが、言い方を変えれば、あれが完成すれば、仕事の半分は終わったようなものだ」
「私からの要求を完璧に満たしただけではなく、予定された工事期間よりも早く終わらせるとはすばらしい働き。当然すべてが終わった後にはこの仕事にふさわしいもので報いることを約束しよう」
グワラニーが言葉を尽くしてその仕事を褒めたたえているのは、目の前にいる三人の人物ディオゴ・ビニェイロス、ベル・ジュルエナ、アペル・フロレスタに対してである。
彼らは戦闘工兵の長。
つまり、工事が完遂したのである。
グワラニーからの賛辞を受け終わった男たちの代表ビニェイロスが口を開く。
「もちろん明日の検査が済んでからということになりますが……」
「攻勢に出るのは明後日ということになるのでしょうか?」
「いや」
工事完成後、すぐにでも作戦を決行しそうな勢いだったグワラニーからの意外な言葉に三人はやや不満そうな表情を浮かべる。
「他の方々の準備が終わっていないと?」
「それとも、別の不都合が……」
ビニェイロスとジュルエナからやってきた負の香りが漂う声に、グワラニーは笑顔で応じる。
「いやいや、他の者たちも工事が終わることを今か今かと待っていたのだ。そのようなことは一切ない」
「では……」
「ここに来てから一日も休まず作業を続けていたのだ。明日の検査が終わったら一日の休養を戦闘工兵の諸君に与えようと思ったのだ。まあ、ここでは遊びに行くところもないが、しっかりと休み、第二の仕事に備えてくれ」
「……なるほど」
グワラニーの言葉に三人は目を合わせ、それから、代表であるビニェイロスが口を開く。
「そういうことであれば……」
「明日の検査後と明後日を使って狩りの練習をさせていただきたい」
グワラニーにとっては予想外のものとなるビニェイロスの言葉に、残りのふたりも続く。
「そうだ。最近は鶴嘴ばかりで、弓は夜に少し触っていただけだから腕が落ちているのは間違いない」
「他の部隊から下手くそだの、足を引っ張っただの、所詮鉱夫だのと陰口は言われたくない」
「……なるほど」
実をいえば、グワラニーは彼らの弓の腕前についてはアテにしていなかった。
とりあえず撃てればいい。
一万本も飛んでいけばいくらかの敵は倒せるだろうし、なによりも一万本の矢が一斉に飛んできたときの心理効果を期待していたのだ。
だが、彼らのこの言葉にグワラニーは考えを改める。
自らを戒めたグワラニーが口を開く。
「すでに諸君を自分たちの大事な仲間だと思っている他の部隊の兵たちがそのようなことを言うとは思えぬが、とりあえず諸君の意気込みは十分に理解した。そういうことであれば十分に練習をしてもらいたい。当日大いなる戦果を挙げることを期待する」
「……もちろん明日の検査が通ればということになるが……」
そう言ってグワラニーは笑った。
もちろんグワラニーも、彼の目の前に立つ三人も不合格になるなどこれっぽっちも考えていなかった。
そして、当然翌日の検査はパスし、戦闘工兵たちが「狩場」と名付けたその場所が正式に完成した。
そして……。
「さて、諸君」
それから翌日の夜。
「いよいよやってきた」
「長い時間をかけて準備してきた大仕事をおこなうときが」
主だった部下たちを集めたグワラニーはそう宣言する。
そこで一度言葉を切ったグワラニーは全員の顔を見まわす。
そして、全員の表情が硬いことに気づき、仕切り直しをするため咳払いをすると、もう一度口をひらく。
「そうは言っても、それほど緊張することではない。それこそ、そうならないためのこれまでの長い準備期間だ。訓練通りにおこなえば失敗することはない」
「だから、これはあくまで念のためだ」
そこで再び言葉を切ったグワラニーは左から右に全員の顔をもう一度眺める。
「歓迎する相手を間違えることはないように。ここは今後のために重要な部分だから十分に気を使ってもらいたい」
「もちろん自らの命が一番。危ないと思えば躊躇う必要などまったくないが」
「ひとつよろしいか」
それはアンガス・コルペリーアのものだった。
「明日の戦いには直接関係ないことだが、仕事もせずに毎日タダメシを食っている者たちとの話はついているのだろうな」
老魔術師の言葉に一同が大きく頷く。
長い時間かけてここまで準備してきたのだ。
肝心なところで部外者が功を焦って飛び入り参加した挙句、宴をぶち壊されたのではたまったものではない。
含み笑いとともにグワラニーが口を開く。
「それはもちろん大丈夫です」
老人からの問いに答えてからグワラニーはその笑みをさらに濃いものになる。
「言い忘れていたが、明日の戦いは予定どおり我々だけでおこなう。もちろん現在もアリターナ、フランベーニュ両軍と戦っている部隊がいるわけだが、それは順次我々の部隊に入れ替えていき、仕事が始まる頃には最前線にいる全員が我が部隊の者となっている」
「説明をしたときに手柄をひとり占めするのはけしからんという声は将軍たちから上がらなかったのですか?」
プライーヤからのこの問いにグワラニーは首を横に振る。
「ないな。ただし、前線を大幅に下げることに対しては反対の声は多数上がったが」
「狩りに参加したいという者は?」
「三人が名乗り出たが、丁重に断った。一応追撃戦には参加するように準備をしておくように話してはある」
「残りは?」
「概要を説明したこの時点でもまだ我々の策が失敗すると思っている。まあ、万が一にも相手に策を漏らされては困るので肝心な部分を抜いたので理解力のない奴らならそう思ったのも仕方がないことなのだが」
「それで、我々が仕事している間、奴らは何をしていると?」
「休暇だそうだ。ただし、戦線が大崩れしたときには助けにくるから安心してくれと言われた」
「……それは助かる」
「まったくだ」
「ちなみに、参加を申し出たのは?」
ペペスから上がったその問いに対して、表情を整えたグワラニーはこう答える。
「デニウソン・バルサスとジルベルト・アライランジア。それから、クレベール・ナチヴィダデ。このうち、アライランジアは明日アリターナ側の指揮官、ナチヴィダデはフランベーニュ側の指揮官をやっているので、この後ここに来るように呼んである。引き継ぎがうまくできるように」
「ほかに質問は?」
「私からもひとつお尋ねします」
優しく深みのある女性の声である。
「……グワラニー様の待ち人であるフランベーニュの将軍は前線にいるのでしょうか」
「それは確認済み。明日急病でもならないかぎり彼は遠くからでもよくわかる真っ赤な甲冑をつけて兵たちを怒鳴りつけていることでしょう」
そこまで言ったところで、グワラニーは用意された盃を掲げる。
他の者もそれにならう。
「勝利はすでに確定している」
「問題はそれが完璧なものになるかどうかだが……」
「まずはここで完璧な勝利を祝い、この盃に偽りがないよう諸君が明日一日完璧な仕事をしてくれることを期待する」
「乾杯」