招かざる客たち Ⅰ
「アルタミア様。北の入口付近の草原地帯に多数の兵士が転移してきたとの報告がきました」
「来たか。グワラニー。招かざる客よ」
魔族の国の南部となる山岳地帯。
その地域の守備隊を預かるクレメンテ・アルタミアは、副官であるアペル・マラニャンの報告を聞くと、毒気に満ちた言葉を吐き出す。
この世界の両側で使われる好意的要素がまったく含まれないその言葉どおり、彼はグワラニーの来訪を全く歓迎していない。
もちろんそれは彼の目の前にいる同僚でもある他の将軍たちも同じである。
「偶然挙げた僅かな武勲で人間種の元文官がなれるとは、我が軍の将軍の地位も随分と下がったものだな」
十分に過激ともいえるエンネスト・ケイマーダの言葉。
だが、さらにその上を行く言葉を口にした者がいた。
ベルネディーノ・ウルアラー。
ひとりの男に一瞬だけ視線を送ったあとにウルアラーが口を開く。
「……まあ、偶然が続いて将軍になった者はこれまでもいたのだから、とりあえずそれはいい。俺が我慢ならないのは……」
「将軍になったばかりのガキが俺たちを指揮するということだ」
「陛下の傍にはガスリン総司令官やコンシリア副司令官もいたのだろう。それなのになぜそのようなおかしなことがなったのだ」
「ウルアラーの言いたいことはわかる。だが……」
暴発した怒りが別方向に向きかけている同僚を窘めるようにそう言ったのはアディマール・ゴイアスだった。
「決まってしまったどころか、着いてしまった今頃になって騒いでも仕方がないだろう。そもそも司令官を決めるのは陛下であってガスリン司令官ではない。さらにいえば、我々には司令官を決める権限どころか、要望をいえることさえできない。だいたい我々がさっさと人間どもを渓谷から追い出していればこうならなかったのだから、すべての責任をあの男、まして総司令官に擦り付けるのはお角違いというものだ」
微妙なベクトルがついているものの、とりあえず正論ではある。
だが、正論だからすべての者に受け入れられるかといえば、そうではない。
というよりも、正論が受け入れられないことも多い。
そして、この時がまさにそれであった。
ゴイアスに対して注がれる複数の好意的ではない視線に続いてやってきたのは、ウルアラーの言葉だった。
「ご立派な意見だ。ゴイアス。ということは、おまえはあの人間種の言葉に唯々諾々と従うわけか」
「では、おまえは違うのかウルアラー」
「当然だ」
「……それはおもしろい」
売り言葉に買い言葉の見本の会話の行きついた先で待ち構えていたゴイアスは黒味を帯びた笑みを浮かべる。
「そこまで言ったのだから確実に実行してもらうぞ。ウルアラー。だが、グワラニーは懲罰権を持っている。しかも、それは我々に対しても行使できるものだ。つまり……」
「ウルアラーが指示に従わなければ、グワラニーは処罰できるわけか……」
「そのとおりだ」
呻くように口にしたケイマーダの言葉を肯定したゴイアスはさらに言葉を続ける。
「そして、噂によればグワラニーは軍規に非常に厳しいそうだ。たとえ同格だろうが、先任であろうが、指示に従わなければ躊躇うことなく処断するだろう。さらにいえば……」
「新任の司令官がおこなう最初の処分は常に厳しくなる」
「ああ。見せしめということもあるからな」
「ということは……」
「命令に一切従わないと宣言したウルアラーの斬首はこの時点で決まったようなものだ。安心しろ。斬首されカラスの餌になる貴様の首の前で酒を飲みながら心の籠らぬ悼みの言葉を口にしてやる」
「クソッ」
現実にはなにひとつ起こっていないこの段階で、すでに首を落とされた気になり頭を抱えるウルアラーの隣に座るアドン・オリンダが口を開く。
「では、このまま奴の言いなりにならなければならないのか?」
「まあ、おまえたちが何もしなければそうなるな」
オリンダの言葉にそう返したアルタミアの言葉はその場にいる者全員に希望を持たせるものだった。
「そういうことは、何か策があるのか?アルタミア」
だが、ケイマーダのその問いに答えるアルタミアの言葉は全員の落胆を誘うものとなる。
「ない。少なくても私は持ち合わせていないな」
「奴の顔を見ずに王都に戻ることができたポリティラ司令官が羨ましい」
「まったくだ」
「とりあえず我々は団結し、まずはグワラニーの出方を見ようではないか」
自らの言葉が引き金となって泣き言の行列ができ始めたことに気づいたアルタミアはそれを食い止めるように差しさわりのない言葉を口にした。
「それで、マラニャン」
将軍たちとの会話がどうにか軟着陸させたところで、アルタミアは振り返ると、自らの背後に立つ副官であるマラニャンに視線を送る。
「グワラニーはどれくらいの部下を連れてきたのだ?」
「およそ二万とのことです」
「……二万?」
「はい」
その瞬間あちらこちらからどよめきが起こる。
「それはまちがいではないのか?」
将軍たち全員の心の声を代表してアルタミアがマラニャンに問い直すと、相手は冷静そのものといえる言葉でそれを伝える。
「いいえ。もちろん正確な数やその構成はわかりませんが、報告はそれなりの経験を積んだ斥候からのものですし……実をいえば、私もその数字に疑いを持ち、再度斥候を出したところ……」
「正しかったわけか」
「というか、二万は確実に超えているとのこと」
「なんと……」
呻き声をあげたアルタミアはもちろん、他の将軍も、その数字に二重の意味で驚く。
「グワラニーの部隊は最大でも一万二千ほどだろう」
「ああ。しかも、そのうちの数千はクアムートの警備のために残さなければならない。 つまり、どんなに多くても八千から九千の間。千人といわれる魔術師を加えても一万人がせいぜいのはず」
「二万人は多すぎる」
「しかも、その二万人を一度に転移させてくるとは……」
「我々はその十分の一を転移させるのにだって苦労しているというのに」
「というか、一度に二万人もの兵を自前の魔術師だけで転移させられる部隊がまだ存在していたことに驚く」
彼らの常識ではひとりの魔術師が転移させられるのは十人がせいぜい。
さらに言えば、以前は最低基準だったその基準を満たす魔術師は、現在では高位の部類に属する。
グワラニーの部隊には有能な魔術師が多いという噂は聞いてはいるものの、それであっても彼らが持つ常識では、二十人近くを一度に転移させられる魔術師を千人がいることはない。
そもそも、そうなると総数二万人という数と整合性が取れなくなる。
彼らの常識と現実を照らし合わせた結果、導き出したもの。
それは……。
「……もしかして奴が抱える魔術師は千人ではなく、二千人近くいるということなのか?」
「というか、それでも二万は多すぎる。魔術師だけで一万はいるのではないのか」
「だが、今度は有能な魔術師が揃うという話とは噛み合わなくなる」
思考の大混乱。
そう。
グワラニーが口にした魔術師長の問いに対する答えでもある、彼の狙い。
それがこれである。
もちろん同じ魔族軍なのでこの後すぐにおこなわれることになる種明かしによって詳細はあきらかになるのだが、そうなると今度は所属する魔術師の圧倒的なレベルの違いという新しい衝撃を内なる敵に与えることになるという仕掛けである。
「言葉でいくら言っても理解できない輩にはそれを目で見える形で示してやるしかない」
「そして、それを見せつけてやれば、そのような輩もおとなしくなる。というよりも、力がすべてだと思っている者こそ静かになる」
「つまり、あれは序列をつけるための儀式のようなものだった」
のちにグワラニーはこのときのことをこう語っている。
さて、そのグワラニーの術中に嵌った形となったアルタミアであるが……。
「……まあ、いい。二万人の内訳は本人に聞けばわかる。それに、その二万人という予想以上の数はこちらの用意したもてなしにとってはかえって都合がいいではないか」
自らを納得させるように呟き、どうにか気を取り直すと、何事もなかったかのように取り繕い副官を眺め直す。
「それで、グワラニーとその子分どもがここに乗り込んでくるのはいつくらいになりそうなのだ?」
「それが……」
「どうした?」
「彼らは転移した場所を拠点にするようです」
「なんだと……」
予想もしなかったマラニャンの言葉にアルタミアは再び呻く。
実は山岳地帯である以上、居住に適した場所は非常に少ない。
そのわずかな場所はすでに元々駐屯していた部隊が占拠している。
というか、それでも足りず下級兵士は皆廃坑で夜露を凌いでいた。
そのような場所にグワラニーとその配下がやってきたらどうなるのか?
当然司令官である自分や側近のうち最低でも幹部クラスの者のために誰かを退去させなければならず、最終的にトコロテン式に廃坑へ押し出される者も出る。
さらに、同じ廃坑でも居住向きの場所も、そうでない場所もある。
自分の直属を廃坑の一等地に配置すれば、他の部隊の兵士から反感を買う。
そうかと言って、直属部隊の兵士を最下層に押し込めば信頼が揺らぐ。
そう。
これがアルタミアが口にしたもてなしの中身。
だが、部下だけではなくグワラニー本人まで麓に留まっては、せっかく用意した大イベントも開演しないまま終了してしまう。
軍全体が麓に駐屯してしまっては、せっかくの宴も無駄になる。
いや。
さすがに司令官であるグワラニーと配下の将軍たちくらいはここに居住場所を求めるだろう。
マラニャンからの報告を苦々しく聞きながら、大急ぎで再計算をしたアルタミアは自分の都合の良いように結論づけた。
最後に残ったアルタミアの淡い期待。
だが、それほど時間をおくことなく姿を現わしたグワラニーのこの言葉でそれは脆くも崩れる。
「まあ、ここが狭いのは昔から知っていたし、ここまで奮闘していた諸君の場所を奪ってまでここにいなければいけない理由はない」
本来であれば、それによって余計な波風が起きないのだからこれは喜ばしいことである。
だが、特大の波風が起きることを期待していたアルタミアにとってそれは不都合そのものといえるものだった。
「……ですが……」
「構わない。あそこはその気になれば歩いてもすぐに来られる場所だ」
そう言って親切を装ったアルタミアから送られてきた毒も染まった秋波を軽くいなしたグワラニーは表情を変えず、もうひとこと加える。
「まあ、ここには大規模な会議をおこなう場所もないようだから、そのときは諸将が麓に下りてきてもらうことになる。それについては我慢してもらうことになるのだが……」
「我々が麓に下りることは構いませんが、そのようなところは、下にだって……」
「ある」
やってきたグワラニーたちが草原に野宿する様子を思い浮かべて出かかったアルタミアの言葉をグワラニーが遮る。
「ある?」
疑わしさ満載という香り漂うアルタミアからやってきた問い。
それにグワラニーは無表情のままでこう答える。
「もちろん王都にあるガスリン総司令官の執務室並みとはいかないが、雨風を防ぐことはできるものだから心配はいらない」
「ですが、グワラニー殿は先ほど転移してきたばかり。そのようなものを建てる時間があるのなら兵隊の宿舎を用意したほうがよいと思いますが」
「そのとおりだな。だが……」
「もちろんそれはすでに用意してある。全員分の宿舎も」
「な、なんと」
「嘘だった思うのなら、この後麓まで下りてきて自らの目で確かめるといい」
「そのとおり。そして、こことは大違いであることを実感しろ。アルタミア」
アルタミアはグワラニーの誘いに続いてやってきたその言葉の主を睨みつける。
……ペパス。
……豪勇で鳴らしたこいつもすっかり骨抜きされたようだな。
……だが、この男がここまで言うのなら、嘘ではないということか。
「では、のちほどお邪魔させてもらいましょうか」
そして、それからそれほど時間が経っていないその場所で、アルタミアと同行した将軍たちは見た。
自分たちが寝泊まりしている隙間だらけの貧相なバラックとはまったく違うものを。
しかも、末端の兵士にもほぼ同様なものが用意されている。
驚きと羨望。
そのふたつで独占されていたアルタミアの視線にさらに信じられないものが入ってきた。
「グワラニー殿にお尋ねしたい」
「あそこにいる人間の女はなんだ?」
ひとりの女性を指さして問うアルタミアの表情は、ペパスによれば「狂い猿のそれ」、もう少し穏やかなものとなるグワラニーの表現によれば、「感情の高まりによって思考が衰えた者が見せる典型的な特徴」と表現できるものだった。
……夫人本人に相手をさせて格の違いを見せつけてやるのも一興だが、それでは恨みがすべて彼女のもとにいってしまう。
……やはり、私が遊んでやるしかないな。
一瞬だけ思い浮かんだ悪巧みをすぐさまゴミ箱に放り込んだグワラニーが口を開く。
「彼女は私の幕僚のひとり。非常に優秀です」
「幕僚?」
……まあ、貴様にはお似合いであるが、肩書はともかくおそらく愛人か商売女の類だろう。
……だが、そうであっても、そういうことは許されないのだよ。我が軍では。
心の中でそこまで呟くと、アルタミアはもう一度その女性を眺める。
グワラニーの言葉を勝手に解釈したうえ、その女性の値踏みやグワラニーの趣味まで含めてすべてを勝手に解釈したアルタミアは黒い笑みを浮かべる。
「なるほど。ところで、グワラニー殿……」
「我が軍のしきたりを知っていますか?」
アルタミアに同行し山を下りてきた者たちの多くは同じ言葉を心の中で叫ぶ。
勝ち誇る表情を同行した諸将たち。
一方のグワラニー側の者たちといえばやや哀れみの表情を浮かべながら、すでに確定している結果を見守る。
そして、その言葉に応じるようにグワラニーが口を開く。
「……しきたり?」
いかにもそれを初めて聞くかのようにとぼけるグワラニーの言葉にあしらわれたと感じかっとなったアルタミアだったが、さすがに相手は少年だと、一呼吸分の間を取り、もう一度口を開ける。
「我が軍では……いや。これは人間どもでも同じのようではありますが、女を戦いの場には連れて来ないということになっています」
「……ほう。それは初耳」
理由はまったく違うものの、とりあえず敵味方双方から上がるその心の声のとおり、どう考えてもさすがにその言葉は通用しない。
だが、そのようなことを堂々と口にした理由。
もちろんそれは相手を揶揄っているから。
それを堂々と示すようにこれから上官になる男は笑みを浮かべている。
その様子に怒りが頂点まで込みあげているが、それでもその怒りをどうにか抑え込んだアルタミアは追及の言葉を続ける。
「つまり、ここに女を連れてきたことは不適当。もちろんそれは人間の女かどうかに関係なくということで……」
「余計なお世話だな。それは」
グワラニーに自らの言葉を強制的に閉ざされたアルタミアの感情は抑制の限界に近づく。
「……今何と……」
「余計なお世話だと言ったのだ。アルタミア将軍」
「……理由をお伺いしましょうか?」
アルタミアが絞り出すようにようやく吐き出したそれは、以前ペパスやプライーヤが口にしたものとほぼ同じ。
それを知る者たちは当然その時と同じものが返ってくるものだと思った。
だが……。
「我が軍の軍規によれば、将軍は自ら幕僚を自由に指名し、同行させることができるとある。私はこの軍規に従って彼女を自らの幕僚として指名し、この場に同行させた。それを現在は私の配下にある一将軍でしかない者がしきたりなどという軍規のどこにも出てこない言葉によって掣肘しようしている。それに対して私がそう言うのは当然ではないのか」
あのときはおこなわなかった軍規をかざして上から押しつけるような物言い。
やり方は少々乱暴過ぎるものはあるが、たしかにグワラニーの言葉自体は間違っていない。
反論ができないほどに。
だが、それを言ってしまえば、駐屯部隊を指揮しているアルタミアたちとの関係は悪くなることはあっても良くなることはない。
つまり、彼らに喧嘩を売っている。
バイアは表情を変えぬまま、その意図を読み取る。
……まあ、喧嘩を売ってきたのは相手であるから、高く買ったというほうが正しいのだろうが。
……それに……。
……我々がおこなうことに彼らの存在は邪魔でしかないのは事実。
……ここで関係を断ち切ることも悪くはないということですか。