もう一人の訪問者
ふたりの魔族が身内である将軍たちを利用して自分たちだけに益となる企みをおこなうことを決めた頃、彼らのターゲットである勇者という肩書を持つ若者は生真面目な者たちでは絶対に考えつかない実に次元の低い問題に直面していた。
「おい、アリスト。こんなことをいつまで続けるのだ?」
転移魔法でサマカイからミュロンバの安宿に戻ってくると、身に着けていたピンク地にひまわりとコスモスらしき花が描かれたかわいらしい甲冑を若い男は大急ぎで脱ぎ捨てる。
そして、汚らわしいものを見るかのようにそれに侮蔑の眼差しを送りながらその言葉を吐き捨てると、同じく多数の血痕を纏わせた同じ柄の甲冑を脱いだふたりの男も彼の言葉に続く。
「まったくだ。これでは俺たちがどこかの貴族の馬鹿息子だと思われるではないか」
「いやいや、村祭りの際に道化師が笑い物になるためだけに身に着ける以外に使い道がないこの恥ずかしい柄の甲冑など馬鹿で自己顕示欲の塊であるあいつらだって遠慮するだろうよ」
そう言い終わった最年少の男が脱ぎ捨てたばかりの甲冑を力いっぱい蹴り飛ばすと、壁にぶつかったそれは軽い音を響かせ塗りたくった塗料が剥げおち、すぐに使い古しの安物とわかるその鎧のくすんだ色が露わになる。
「そうは言いますが……」
その兜を拾い上げた三人の若者の抗議の矛先に立つ年長の男は困り顔をする。
「あなたがたはあの日の朝、私にこう言いました。あれでは全然戦い足りない。だから、どんな条件でも飲むから、襲来する魔族と剣を振るって戦う機会を与えてくれ。違いますか?ファーブ、マロ、ブラン」
年長の男の説教じみた言葉はたしかに正しい。
だが、相手にだって当然言い分はある。
仲間に視線で指名されたファーブという名の若い男が気色ばみながら口を開く。
「たしかにそう言った。そうは言ったが、こんな恥ずかしい仮装をして戦うとまでは言っていない」
「ですが、仮装してまでは戦わないとも言っていません。それも含めて、何でもです」
「そうそう。それに本当に似合っていました。特に小さな子供だって嫌がるその恥ずかしい甲冑姿はそのなかでも最高だといえるでしょう。馬鹿なあなたたちにはピッタリです」
被害者と加害者との会話に割り込んできた嘲りに満ちた声。
被害者側の男たちが一斉に顔を顰めるその声の主は女性だった。
本来ならここは「黙れ」と怒鳴りつけたいところなのだが、それをせずファーブが顔を顰めただけだったのは、彼が勇者で相手が年長の女性だからということではなく単純にこのグループ内の力関係が一方的に彼女の側に傾いている、ただそれだけのことである。
「……好き勝手言いやがって」
絶対に届いてはいけない相手に届かぬようにこっそりとそう言ったものの、当然それだけでは収まりのつかないファーブが矛先を向けたのは連日のように自分に恥ずかしい仮装を強要している男だった。
「だいたい、アリストはフィーネにいつも甘い」
「まったくだ」
「同じく」
八つ当たり気味の彼の言葉に被害者であるふたりが賛同者として加わるが、だからと言って状況がよくなるかといえばそういうわけではない。
わざとらしく難しい表情をつくった相手の男の口が開く。
「何を言いますか。フィーネはあなたがたのわがままにつきあっているのですから、待遇の差ができるのは当然のことです。これをフィーネ風に言えば『自業自得』となります」
「うんうん。まったくそのとおりです」
ひとりだけが納得するそのひとことで三人の男を黙らせた年長者はさらに言葉を続ける。
「ついでにいつまで続けるのかというファーブの問いにも答えておきましょう。答えはもちろん勇者らしく初志貫徹。魔族に方々が被害に音を上げてこの策を中止するという目的が達成されるまであなたがたの仮装行列は続きます。もっとも、昨晩で私が考えついた仮装のネタがなくなりましたので、次回から二周目に入りますが」
「……ということは……まさか」
「そのとおり。派手好きな貴族が羨むよく映えるこの甲冑姿もそのうち魔族の方々に再び披露することになります」
「……他はともかくそれだけはなんとか……」
「なりません」
「……うっ」
一番聞きたくもない事実を聞かされ、これまで彼に打ち倒された魔族の戦士たちがそれを見たら、自分はこんなやつにやられたのかとあの世でもう一度悶絶死しそうな恥ずかしい姿で落ち込む勇者の横でもうひとりの若者が年長者にこう尋ねる。
「それでアリストはあとどれくらいやればいいと思っているのだ?」
「十日くらいはと言いたいのですが、今のところわからないというのが正しいところです。実を言えば、私が狩りたいと思っている一隊があるのでそれが終わるまでということになりますので」
冗談じゃないと心の中で叫んだ若者は年長の男を睨みつけ思いつく中で最高の皮肉を加えた言葉を口にする。
「アリストが魔族に知り合いがいるとは驚いた。誰だ?そいつは」
「ファーブ。私たちと対峙した敵の数はどれくらいですか?」
「少ないときは三十。多くても百はいなかった」
やって来た問いを新たな問いで返し、勇者という非公式だが敵味方隔てることなくよく知られるこの世界でもっとも有名な称号を持つ若い男の答えに頷くと、年長の男はさらに言葉を続ける。
「成功失敗は別にしても各地で同様の襲撃をおこなっている敵の大部分も同じです。では、その程度の少人数で襲撃をおこなう理由が何かはわかりますか?」
「もともと手元にそれしか兵がいなかったとも考えられるが、常識的に考えられるのはやはり同行する魔術師の不足。まあ、それは魔族だけではなく人間ら側でも同じだろうが」
「そうですね。さらに言えば、現在戦場に出ている魔術師の多くは一回で転移させられる人数は多くて十人とされています」
つまり、同行できる魔術師が少ないうえに有能な魔術師が少ない。
それが小規模の部隊になる理由というわけである。
師を囲んだ座学のような問答。
それはこのグループにとってそう珍しいことではない。
そして、ここでの師とは、この中での最年長者であり、名目上はともかく、すべての決定権を握るこのグループの本当のリーダーでもあるアリストである。
少しだけ時間をおき魔術師の口が再び開く。
「ですが、一連の襲撃を調べると一部隊だけ例外があります」
「例外?」
自らの言葉に即座にやってきた勇者からのその問いに魔術師の男はそれを詳しく説明するためにもう一度口を開く。
「もちろん最初の一撃を加えた襲撃グループのことです。このグループはそれなりの数を揃えていたうえにその編成も剣ではなく魔法に軸足を乗せた部隊だったようです。実際に自らの目で確認したわけではありませんが、同じ部隊と思われる三百人の兵が数日わたって何度も転移していることから間違いないと思われます」
「なるほど……」
「……つまり、その部隊を叩きたいということですね。ですが、その部隊は失敗できない第一撃を加えるためにあちらこちらから魔術師をかき集めた特別に誂えたものであり、その後元の部隊に魔術師を返したという可能性はないのですか?」
アリストの言葉に意見という形で異議を申し立てたのは「銀色の髪の魔女」というふたつ名でも呼ばれるフィーネという名の魔術と剣技ともに優れた女性だった。
そして、彼女の指摘には対する男の答えこそ彼が口にした「やっておきたいこと」と直接結びつくものだった。
フィーネの言葉に小さく頷いたアリストの口が開く。
「数日間にわたる最初の一撃後、彼らが姿を現さないことからその可能性は十分にあります。ですが、そうである確たる証拠がない以上、そうでなかった場合のことも考慮しなければなりません。そして、もうひとつ。それはこの部隊の指揮官です。彼の戦い方は目の前にいる敵を力で押し切る従来の魔族のものとまったく違い、硬軟多彩な策を織り交ぜる非常に緻密かつ合理的なものです。しかも、攻撃目標は実に正確です。これは入念に事前調査していた証左と言えるしょう。その後の粗雑な戦い方とは明らかに違います。実を言いますと、その精鋭部隊以上に私が潰しておきたいのはこの指揮官です」
「……一頭の羊に率いられた百頭の狼の群れは、一頭の狼に率いられた百頭の羊の群れに敗れる」
この世界には無縁なはずのある人物のものとされるそれを呟くように口にした銀髪の女性の言葉に年長の魔術師はその意味を吟味するようにたっぷりと時間をかけた間を取ってから頷き、それからこの日の話を締めくくるようにその言葉を口にする。
「初めて聞く格言ですが、まさにフィーネの言うとおり。そして、フィーネの格言を引用するならば、将来狼である彼が百頭の羊ではなく百頭の狼を率いて各地を暴れまわることがないように小さな芽のうちに私たちの手で摘んでおきたい。彼がどのような者かはわかりませんが、私たちが仮装行列を続けていれば、彼が率いる部隊が討伐に現れることは十分に考えられます。今のところそれ以外に彼を呼び出す手がない私たちにとってはそうなればこれ幸い。ということで、もうしばらく晒しものの役をお願いしますよ。ファーブ」