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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第七章 荒廃する世界
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望外のきわみ

 そして、迎えたその日。

 本来であれば、その手札を最初に開けるのはどちらかというところからその交渉の駆け引きが始まるのだが、この日に限りあっさりと先手が決まる。

 いや。

 自主的にそれを明かす。


 これまでとは一味違う特別な笑顔をつくったそのノルディア人の男の口が開く。


「……まずあなたがたも使用していた弓。我々が言うところの長弓と五十本の矢を一万人分とのことでしたが、これはすぐにでも揃えられます」


「さらに追加で必要であれば、五万人分くらいまでは即座に納められるとのこと」


「それから、ご希望があった特殊な弓もお持ちしました。今回持ってきたものは、我々が横弓と呼ぶ機械弓のうち、ひとりで扱える小型のものだけなのですが、これにはさらに複雑かつ丈夫につくられた大型のものもあり、複数の矢を一度に射かけられるものや、通常のものよりも遥かに大きな矢を遠くまで射かけられるものもあります。それから、短弓と呼ばれる小型のものはこちらの国では使用されていなかったとのことなので念のためお持ちしました」


 まるで盛大に売り込みをかける武器商人のようなホルムがそう言って取り出したのは二種類の弓だった。


「この小型の弓は引きが軽いため、素早く多くの弓が撃てる利点があります。まあ、小型なので威力は落ちますが。それから、こちらが先ほど話した横弓です」

「たしかに複雑な仕掛け。初めて見ます」

「そうでしょうね。では、これについての説明をいたします。まずこれは……」


 おそらく自身は使ったことがないだろうそれについて延々と喋るホルムの言葉を聞き流しながら、グワラニーが心の中で呟く。


 ……タルファの説明を聞いて想像はしていたが、やはりクロスボウか。

 ……私自身はもちろん使用したことがないが、タルファによれば素人同然の兵でも扱えるとか。

 ……実際のところすでにタルファの指導のもとにおこなわれた激しい訓練によって、それなりの腕になっている我々の部隊はともかく、弓になど触れたことのないマンジュークにいる他の部隊の兵士に弓を引かせてもこちらが怪我するだけで役にも立たない。そういうことなら、こちらを使用させるほうがまだよいだろう。

 ……そうだ。同行する鉱山労働者にもこれを持たせよう。これで完全な形での戦闘工兵となり、戦力は倍増どころか、一桁上がる。

 ……これを一万人……二万人分……五万人分用意させるか。


 ……それにしても……。

 ……プライーヤやペペスの話によれば、随分昔、鹵獲したものを参考に魔族もクロスボウをつくろうとしたがうまくいかず、結局果たせないうちに弓が廃れたという。

 ……だが、これを見ると、ノルディアではその後も開発を続けていたのだな。

 ……まあ、今回はそれが役立ったわけだ。両者にとって。


 ……タルファおすすめの遠距離攻撃用の特大クロスボウの現物が見られなかったのは残念だが、とりあえず他のものがこれだけの質であれば発注しても問題ないだろう。


 ……それに、今回の請求書は王へ行くことになったのだ。

 ……せっかくだから、盛大に買い物をさせてもらうとするか。


「では、ホルム殿。こちらが欲しいものをお伝えする……」


 それから少しだけ時間が経った同じ部屋。


「長弓一万人分。横弓五万人分。それから連射式横弓百台。それに特大横弓が五十台ですと……」


 唖然。

 その言葉はこれほど似合うものはないという表情のホルムは声を失う。


「長弓についてはすぐにでも。ですが、横弓は王都の武器庫を漁っても数万がいいところではないかと……」


 ……そうすると、戦闘工兵を武装する件は後回しに……。

 ……いや。信用できない他部隊の武装よりもまずは身内か。


「残りのふたつは?」

「そちらもその数をすぐにそろえるのは少々厳しいかと」

「なるほど。では、すぐに手に入るものをすべて購入するということにしましょう」

「それは、もちろん喜んで……ですが、よろしいのですか?その……」


 ホルムの心配。

 それはもちろん代金についてだ。

 だが、その相手となるグワラニーは動じない。

 なにしろ、自らの手札となる倉庫に詰まった小麦がどれくらいあるのかを知っているのだから。


「お聞きしていしていた単価から計算すれば、もしすべてが揃った場合予備の矢を含めて購入代金はノルディア金貨四十万枚。心配しているでしょうからまずハッキリさせておけば、我々が今回設定した基準では、ノルディア金貨一枚で購入できるのは小麦百セネジュ。もちろんこれはそちらの事情を考慮して我が国の市場に流しているものよりもかなり安く設定されたものです。そして、今回の代金をその単価で計算すれば、十セネジュ袋四百万相当となります。たしかに多い。ですが、もちろん問題ありません。すべて小麦で支払います」


 十セネジュ、百セネジュ。

 セネジュとは、もちろんこれはこの世界の重さの単位であり、十セネジュとは別の世界での百キログラム、百セネジュはその十倍となる。

 つまり、グワラニーの換算レートを使って説明すれば、今回の小麦の売り値は一トン一万円、一キロ十円となる。


「……あ、ありがたい」


 弓矢の代金の総額が十セネジュ袋四百万というとてつもない量の小麦になると聞いたホルムは素早く、それで救える自国民の数を産出し、声が漏れる。


 実を言えば、ホルムがここにやってくるまえに想定していた売り上げは、弓の売り上げはノルディア金貨五万枚。

 そして、金貨一枚で十セネジュ袋四袋分の小麦が購入できるよう交渉する。

 これは小麦が高騰する前にアグリオンの商人たちから仕入れていたときの価格とほぼ同じ。

 虫がいいのはわかっているが、現在のノルディアの状況を考慮しそれで勘弁してもらう。

 そして、これに成功すれば、二十万袋の小麦が購入できる。

 つまり二万人分の小麦を確保する。

 それがホルムの目算であり、これでも十分過ぎると思ったところが、その二十倍もの小麦がやってくるのだ。


 彼としてもノルディアとしてもこの商売は大成功といえる。


 これだけ救えるのだ。

 十分に子爵になる価値はある。


 ホルムはこっそりと、捕らぬ狸の皮算用を始める。

 だが、この日の戦果はこれだけではなかった。


「ホルム殿」


 もちろん声の主は目の前にいる若い魔族の男である。


「四百万袋の小麦はたしかに少ない量ではありません。ですが……」


「あなたがたノルディアが必要としている量はこの程度ではないでしょう?」


 やってきたその魔族の言。

 それは全くもって正しい。


 なぜなら……。

 もし、ノルディアが小麦の輸入が完全に出来なくなった場合に不足すると思われる小麦の量はこの十倍以上になるのだから。


 ホルムは苦々しい思いでその言葉を聞くものの、表情には出さず、それに答える。


「まあ、そのとおりです。残念ながら」


 残りも出してくれるというのなら喜んで話に乗るがそんなうまい話はないだろう。

 

 だが、ホルムが心の中でその言葉を吐き出した直後にやってくる。

 絶対にやってこないと思われたその言葉が。


「我が国の王は、さらに多くの小麦をノルディアに対して供出しても構わないと言っております。そして、その量とは……」


「ノルディアは救われるだけのもの」


 ホルムは唸る。


「……そ、それは本当のことなのでしょうか?」

「もちろん。ただし、すべてがあたらしい小麦というわけではありませんが。それから、我が国の王が口にしたのはもうひとつ……」


「ノルディアが必要としているのであれば、今後も継続してその量の小麦をノルディアに供給してもよい……」

「なんと……」


 それ以上はもう言葉が出ない。


 当然だろう。

 それは小麦の供与は今回かぎりではないという意味であり、つまり今後どのような事態になろうともノルディアは小麦不足を心配することはないということになるのだから。


「もちろん次回以降は少々色を付けたもの、具体的はこの倍の値に相当する対価もいただきますが」


「……何を?」


 本心を言えば、これにならば自分の命以外なら何を差し出してもよい。

 ホルムはそういう気分だった。

 そこにやってきたもの。

 それがこれである。


「ノルディアが各国に輸出している商品。小麦の代金に見合うだけのものを頂きたい。そして、我々はそれを海賊どもに売り現金化します」


 ……つまり、光石か。


「まあ、これはこの場で返事ができないことは承知しています。お持ち帰りのうえ、ノルディア王に判断を仰いでください。ただし、我々が差し出すもの。その量はまちがいなく用意できることはお約束できること。これは必ずお伝えしていただきたい」


 我々にとってこれよりも良い条件の取引はこの世のどこを探しても存在しない。


 ……もし、この申し出を陛下が拒むのであれば、この国は終わる。

 ……いや。終わるべきと言ってもいい暴挙。


 ……そして、そのような王を私は見限り、家族とともに亡命する。

 ……どこへ?

 ……いうまでもない。


 ……魔族の国だ。


 ホルムは見た目上の年少者に一度頭を下げ、それから口を開く。


「すべて承りました。それから、王都に帰ったら国王陛下に私のこの想いを是非お伝え願いたい」


「これは望外のきわみ。心より感謝しております」

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