魔都への帰還 Ⅰ
もともとはそのすべてを統治していた魔族が自らの国と同一であった世界そのものを指し示すものとして使用していたアグリニオンという言葉で呼ばれるその世界。
その西の端に位置するこの世界三番目の広さと世界最強を自負する軍を擁する大国ブリターニャ王国の都サイレンセスト。
その日、この王都にある王城にひとりの男が姿をあらわした。
アリスト・ブリターニャ。
対魔族連合から離脱しようとしているという噂があったノルディア国王にその真偽を確かめるため正式なものではあるものの、公式非公式さまざまな事情によりお忍びという形で王都ロフォーテンに出かけていたこの国の第一王子である。
……これはこの国の王子である私の義務である。
厳しい警備をほぼスルーですり抜け、王が待つ部屋の前に立ったアリストは自らに言い聞かせるようにその言葉を心の中で口にする。
だが、そうは言ったものの、やはり気が重い。
特権階級の頂点にあるこの国の第一王子とは思えぬことなのだが、実を言えば、いつも以上に言葉を心の中に留めておかねばならない王宮というこの場所をアリストはひどく嫌っていた。
だが、この世に生を受けた瞬間に決まる自分ではどうにもできない自らの立場をアリストは十分理解しているし、なによりも王に命じられた仕事をつつがなくこなすことによって見聞を広める旅と称しておこなっている魔族の王討伐を続ける軍資金を手にしている純然たる事実が横たわっている。
アリストは不必要に装飾が施された大きな扉を開く。
「待っていたぞ。アリスト」
父でもある国王の簡素ではあるがプラスの感情が十分に詰まった言葉に表情が緩む。
だが、それも一瞬のことだった。
「あれだけ遠方に行っていたにもかかわらず随分と早いお帰りだ。さすが魔術師」
「ファーガスよ。おまえと同じ思いをするとは思わなかったが、確かにそのとおり。まったく魔法とは便利なものだな。そういうものを自由に使えるとは羨ましいかぎりだ」
ふたり分の声にアリストは大きくため息をついた。
アリストの報告を聞くために集まったのは、中央のひときわ豪華な椅子に座る彼の父でもある王。
それから彼から見て右側のテーブルに並ぶ国政を担う重臣たち。
そして、左側に並ぶのは重臣たちに比べて圧倒的に若い六人の男。
先ほどの言葉はその左側からやってきたものだ。
アリストは表情を一気に厳しいものに変え、声をかけてきた者たちを眺める。
「親愛なる弟ダニエルとファーガス。久しぶりに君たちの顔をこうして眺めることができたことをうれしく思う。それから先ほどのありがたい言葉。これについては今後の参考にするので忘れずに覚えておくことにしようか」
彼らへの最高の脅し文句となるその言葉で弟たちを黙らせると、アリストは自らに用意された丈夫さだけが取り柄のような木製椅子に座る。
その言葉とともにチラリと目をやった瞬間、アリストの心の声が届いたかのように重臣たちが一斉に恐縮し、宰相の地位にあり彼の叔父でもある王族のひとりで公爵の爵位を持つアンタイル・カイルウスが代表して弁明するため口を開いた。
「それが第一王子の座るものにはふさわしくないものであることは承知しているが、王から指示があったものだと理解していただきたい」
すべてを心の中で完結したアリストが少しだけ笑みを浮かべて口を開く。
「今日の私はあくまで陛下の代理としておこなったノルディアでの聞き取り結果を報告する立場。当然のことだと思っています。まったく気にしておりませんのでお気遣いなく」
その言葉に安堵したように出てもいない汗を拭く重臣たちを憐れみの視線を送ったアリストがゆっくりと視線を動かしたのは左側に並ぶ弟たちだった。
その全員が嘲りの香りを漂わせた視線で兄と重臣たちのやりとりを眺めていたのだが、アリストの視線がやってきたのに気づくと慌ててあらぬ方向を見やる。
すべてが心の中のものであったが、アリストは再びため息をつく。
……王の座を目指す者があの程度の脅しで黙り込むとは情けない。
……この程度の者の中から大国ブリターニャの次の王を選ばねばならないとは跡継ぎを選ぶのも王の責務とはいえ、父上も大変ですね。
……もっとも、半分以上は私に原因があるわけなのですから、他人ごとのようなことは言えませんが。
弟たちを視線だけで威圧したアリストが心の中でそう呟いた。