奇手のきわみ Ⅰ
「さて……」
グワラニーは少しだけ黒味を帯びた笑みのまま口を開く。
「そういうことで我々の戦力が倍増したところで話を続けよう」
「改めて言う。我々の目的はあくまで本隊が城の入り口に辿り着けるように援護することだ。それを踏まえて、各々は遠慮なく自由に意見を述べてもらいたい」
前日、王からの命令を受けた直後から送り出していた魔術師とコンビを組んだ斥候たちが手に入れた情報も書き加えて自らが作成したクアムート周辺の地図を広げながら口にしたグワラニーの言葉で軍議が始まった。
新たに加わった経験豊富な将軍を含む全員の視線が注がれるその地図。
その中心に描かれた城塞都市クアムートの西部には湖が広がる。
その湖に沿って北西から延びる街道と南北からそれぞれ延びる街道はクアムートの町中で交わる。
それこそがクアムートが要衝といわれる所以である。
そして、クアムートからの三本の街道うちの一本であるクアムートから南へ延びる道の先に魔族の国の王都イペトスートがある。
当然イペトスートから陸路を使ってクアムートに向かえば、やってくるのはその方角からとなる。
現に最初の援軍も南から延びるこの街道を使ってクアムートに向かったわけだが、そこを見下ろす丘に居座っていたのがノルディアの対魔族軍の切り札である人狼軍だった。
そして、攻略軍の指揮官ベーシュ自ら率いる本隊の主力が母国へと繋がる北方の街道を抑え、本隊から分派された別動隊が本国への別ルートとなる森林地帯と湖に挟まれた西の街道を守備する。
それから、もちろんクアムートの城塞を何重にも囲む包囲軍。
それが地図に書き込まれたノルディア軍の配置となっていた。
「さて、南からクアムートに進むパラトゥード将軍率いる本隊が無事城に食料を届けることができるようにすることが使命である我々はこの地図のどこに布陣することが最良の選択なのか。来た早々で申しわけありませんが、まずペパス将軍の意見を伺いましょう」
「……私が指揮官ならここを選ぶ」
グワラニーに指名された将軍が一瞬ののちに示したのは、最初の援軍が転移魔法を利用して現れた場所と同じ人狼軍が布陣している場所よりさらに南にある平原だった。
「ここを選んだ根拠は?」
グワラニーの問いに彼の百倍以上の戦歴を誇る男が答える。
「物資を城へ搬入する者にとってもっとも目障りなのはもちろん南に陣を敷いている人狼どもだ。だが、奴らはその名のとおり獣同然。目と鼻の先に敵が現れれば、必ず動く。その隙にガラ空きになった街道を脇道から入ったパラトゥードが城に向かう。実に簡単な策だが、相手が人狼であることを考えれば手の込んだものを考えなくても十分に機能する」
冗談とも皮肉とも取れそうな表現で語った将軍のその案に疑問を提示したのは騎士長の男だった。
「ですが、それでは城を包囲している二万だけではなく、敵の本隊が丸々残ります。さらに、人狼軍のすべてがエサに釣られるとは限らないのではないでしょうか?」
他の軍ならコリチーバのこの発言は大きな問題となっていたことだろう。
なぜなら、将軍の意見に騎士長ごときが疑義を投げかけたのだから。
一瞬だけあった間は、それと同じ香りのする将軍の地位にあるペパスの戸惑いによるものだった。
だが、ペパスはすぐにそれが間違いであることに気づく。
そして、ペパスはまるで同僚の将軍に説明するような言葉で説明を始める。
「それはこの作戦が成功した場合に賞賛を独占するパラトゥードがなんとかすべき問題である。そもそもわずか二千の兵などでは一万の人狼に対する囮にはならないのは最初からわかっていることだ。だからたとえ街道に居座る人狼軍一万が五千になる程度の成果であっても我々にとって十分な成功といえるだろう」
グワラニーとバイアは律儀で古風なだけだとあまり期待していなかったペパスが度量と見識に加え、冷徹さまで兼ね備えていることに驚き、自身の評価を訂正した。
グワラニーが口を開く。
「ひとつお尋ねしてもいいですか。ペパス将軍」
「陣地を離れて我々を狩るためにやってきた狼どもに対して将軍はどのような策でお相手をするつもりなのですか?」
「もちろん逃げる」
「えっ?逃げる?戦わずに?」
その策の趣旨をすぐに理解したグワラニーと彼の側近のふたりは頷くものの、人狼たちと同じく目の前に敵がいれば戦うことを常としてきた三人の戦士にとってそれは驚くべきものだった。
思わず上げてしまった声に続き、当然のようにやってきた彼らからの問いにペパスはこう答える。
「我々の目的が目障りな人狼軍の壊滅ならもちろん全力で戦う。だが、与えられた兵が僅かで、さらに命じられたことが時間稼ぎである以上これも立派な策である。ついでに言えば、逃げると言っても諦めて自陣に戻ることがないよう奴らに捕らえることができると思わせる距離を保ち続けなければならないのだから口で言うほど簡単なことではない。だが、それがうまくいけば我々は囮の役目を果たせたという成功を手に王都に戻ることができるだろう」
先ほどは我々と心中するなどと言いながら、王都に戻ると堂々と口にするとはなかなかなものだと、ペパスに対する評価をもう一段階引き上げたグワラニーは思いがけず得をしたときのような表情を浮かべる。
「なるほど。十分に魅力的な策ですね。では、コリチーバ。今度はおまえの意見を聞こうか?」
将軍の説明が終わると、グワラニーが視線を移したのは騎士長の地位にある男だった。
「私は、南ではなく北の本隊近く、具体的には敵のさらに北に転移すべきだと考えます」
「私も同じ意見です」
「同じく。そうでなければ西の街道に転移します」
「つまり、三人ともクアムートの南ではなく北に布陣する案を提案するわけか。では、その利点を聞こうか」
グワラニーの言葉に頷き口を開いたのは提案者であるコリチーバだった。
「まず、相手をするのが同じ一万でも人狼でなく並みの人間であること」
「それで?」
「本隊を襲撃されれば、人狼軍は黙っていない。やってきた彼らとさらにもう一戦おこない人狼軍も削ることができるわけです」
それを聞き終えたグワラニーは隣の男をチラリと眺める。
その男はあきらかな嘲りのオーラを纏っている。
だが、そこでは何も言わず、グワラニーは別の人物へと視線を動かす。
「将軍。この案についての感想は?」
グワラニーの言葉に頷いたペパスは間を開けることなくさらに言葉を加えた。
「いくら人狼軍ではないと言っても五倍の敵を相手にすれば最初の戦闘で少なくても我々の半数は消える。その後に人狼軍と戦うのは相当厳しい。つまり、もっともやっかいな街道に居座る人狼軍の目減りは私が示したものより多いとは思えぬ。最悪の場合、奴らの大部分は陣を動かぬ。そうなれば、パラトゥードは城に近づけぬ。つまり、与えられた任務は失敗だ」
グワラニーが提案者を見やる。
「コリチーバ。将軍の意見について何か言うことはあるか?」
「ですが、我らの案では敵本隊の一万は確実に削れます。その分優れているのではないかと」
「たしかにその戦果は魅力的だ。だが、もし、この二つの案のうちのどちらかを採用するのなら、私は将軍のものを選ぶ」
「理由はなんでしょうか?」
……生き残るために軍に身を投じた私の体の中には作戦成功のために自分の命を差し出す精神など微塵も存在しないからだ。とは言えないな。さすがに。
グワラニーは自らが心の中で口にした言葉に苦笑いし、少しだけ言い方を変える。
「まず、本隊が南からやってくる以上、肝心の搬入作業が成功する確率は将軍のもののほうが高いと思われること。そして、コリチーバの案ではせっかく鍛えた兵たちを一度に失ってしまう。それでは次がなくなる」
「グワラニー様は成功するだけではなく生きて帰るつもりなのですか?」
いかにもという問いに、グワラニーが一瞬だけ沈黙したのは、思わず出かかった本音を心の中で押し込めるためである。
そして、それが終わると、グワラニーは口を開く。
「もちろんだ。兵を預かる者は常に勝ち、そして生きて帰るつもりで戦うものだ。結果として全滅するのならただの無能だが、どのような理由があろうとも全滅することを前提に策を講じるなど上に立つ資格すらない下の下だ。だが、どちらにしても、問題なのは人狼軍ということか。将軍にお尋ねします。あなたは何度もあれらとやり合っていると思うのですが、戦った中で人狼の弱点と思われているようなものはありませんでしたか?」
実を言うと、この時点でグワラニーの案はすでに出来上がっていた。
だから、グワラニーがつけ加えるようにして尋ねたそれによって自らの策を書き換えるつもりはまったくなかった。
つまり、そう問うたのはあくまで今後の参考のため。
それでも、直後ペパスが語ったものは、グワラニーにとっても、その場にいた他の者にとっても十分に参考になるものだったといってよいだろう。
「我々将軍たちは賞賛と嘲りを込めて奴らを『直線の狼』と評していた」
「直線の狼?」
まずそう語ったペパスの比喩の塊のような言葉に騎士の男が疑問を投げかける。
ペパスはそれに応じ、さらに説明の言葉を続ける。
「人狼はそれがどの国の者であっても例外なくまっすぐ当たる力はたしかに強い。その一方、受け身に回ると意外に脆いという特徴がある。さらに奴らは細工が利かない」
「つまり、各自が力任せに突進するだけ。組織的な戦いができないということですか?」
「そういうことだ」
「人間らしくもない」
「そうだな。だが、それはやらないのではなく、わかっていてもできないというのが真実だろう」
「と、言いますと?」
「どの国も戦場にいる人狼は登場以来増えることはない。その理由はわかるかな?」
問いに対するペパスの答えは、新たな問いだった。
だが、それは自らの問いに対する答えにもなっていることにコリチーバは気づく。
コリチーバは少しだけ考え、それから口を開く。
「おそらく損出分を補うのに手一杯で増員できない。それはつまり横の連携が不可欠である小細工をおこなうために絶対に必要な経験豊富な末端指揮官の不足と、日々の戦いに追われて細密な戦術を浸透させるための訓練ができていないことも意味している。ということでしょうか?」
コリチーバのその答えに将軍の地位にある男は大きく頷く。
「そういうことだ。優勢とはいえ、人間側も余裕があるわけではない。必然的に我々とほぼ対等に戦うことができる人狼は常に最前線に張りつけざるを得ない。当然奴らにもおびただしい戦死者が出る。穴埋めが精一杯でとても部隊を増やすまではいかない。さらに、それだけの戦力だ。前線にいるどこの軍も彼らの配置を望む。その結果人狼は分散配置される。それから、もうひとつ重要な点がある。奴らはその戦い方の性質上、戦場となる場所は限られる。もう少し詳しく言えば、攻城戦と拠点防衛には不向きだ。さらに、狼というその名にはまったく相応しくはないが、奴らは夜間の戦闘を得意としていない。もしかしたら奴ら自身にはその意識はないのかもしれないが、奴らが関わると夜間戦闘で同士討ちが驚くほど多いのは紛れもない事実。なぜそうなるのかという本当の理由はわからぬが案外奴らが目の前にいるのはすべて敵だと思っているからなどという単純なものかもしれない」
「ひとつよろしいですか?」
ペパスの説明が終わると、申しわけなさそうにそう言ったのはバロチナだった。
その騎士が問うたのはペパスの言葉にあったひとつの事実だった。
「分散配置ということでしたが、現在我々の障害になっている人狼軍の数は……」
最低でも一万。
とても少数とは言えない数である。
ペパスが苦笑いしながらそれに答える。
「そのとおりだ。さきほどの説明の唯一の例外がノルディア軍だ。ここだけは人狼を集中配置している。そして、その結果があれだ。本来なら常に数で劣る我らは大集団となった人狼との戦闘は避けるべきなのだが、今回ばかりはそうはいかない。そこが厄介なところと言える」
「……なるほど。ですが……」
そこまで話を聞いたグワラニーはそう呟き、それに続いてこの言葉を口にする。
「それはありがたいことだ」
ありがたい。
グワラニーはたしかにそう言った。
だが、その場にいた者の半数は、まず聞き間違いしたのではないかと自らの耳を疑い、続いて、彼らの上官が言い間違えしたのでないかと思い直す。
その全員が目を合わせると、代表者が口を開く。
「グワラニー殿。今なんとおっしゃった?」
「人狼たちがひとまとめにされて集団でいることに感謝すると言った」
「これから戦う側にとって、それは問題であって、ありがたいことではないのでは……」
三人の騎士たちが一斉に賛意を示したとおり、訝しそうに口にしたペパスのその言葉はこれまでの実績に照らし合わせれば正しいといえるだろう。
だが、グワラニーは笑顔でかぶりを振る。
「たしかにそのとおり。だが、十匹の人狼を千回捕らえる苦労と手間は計り知れないうえに、こちらもそれに相応しい損害を覚悟しなければならない。それにくらべてひとつに集団になった一万の人狼なら一度の苦労だけですべてを捕らえることができるとは考えられないだろうか。さらに、ここでその一万を亡きものにすることができればノルディア軍そのものに大打撃を与えられる。そして、そうなればクアムートを救うだけではなく、この周辺の戦況を一気に好転とまではいかなくても、少なくてもこちらに有利状況で安定はさせられる」
もちろんそれは事実だ。
四人の男は思った。
それと同時にその結果を得ることがいかに困難なものかということも十分に承知していた。
この場で一番高い地位のある肩書を持つ者が口を開く。
「それはそうですが、わずか二千の兵では一万の人狼どもを駆逐するのは不可能ではないかと」
「……常識的にはたしかにそうです」
ペパスの言葉に対して明確に答えぬままグワラニーはさらに言葉を続ける。
「さて、それを説明する前に、まずは私が考える布陣するのに最もふさわしい場所を披露しよう。それはここだ」
そう言ってグワラニーは地図上の一点を指さした。