勇者と救世主の邂逅 Ⅲ
年長者が少年を諭すようにしておこなわれたふたりの会話が終わったところで、それを待っていた老魔術師が再びグワラニーに声をかける。
「こちらはどの程度の規模であの町を襲撃するのかな」
「名将と誉れ高いアンブロージョ・ペパス将軍自ら率いる三百人と聞いております」
「意外に多いな」
「そうですね」
老人の言葉にグワラニーはそう答えた。
だが、三百人という数は旧領土を襲撃する部隊としては最大級の規模とはいえ、将軍の地位にある者が率いるにはかなりの少人数である。
もちろん将軍本人としては、最低でも千人以上を率いたかった。
だが、それを許さなかったのはいつもどおりの魔術師不足である。
実は、勇者候補を倒した者に対する王からの恩賞目当てにペパス以外にも今日の三か所だけではなく、その前後を合わせれば二十か所近くの場所に将軍格の者が出かける計画があったのだ。
つまり、どの将軍も配下の魔術師を貸し出すどころか、借りたいくらいの状況だったのである。
一瞬だけも「もっと大規模な集団が見たかった」と考えるものの、あまり欲を掻くとバチがあたると自らを戒めたところで、グワラニーは隣に立ち町をじっと見つめる老魔術師に目をやる。
「いかがですか?」
グワラニーの言葉に老人が口にしたのはたったひとこと。
「やはり……」
それだけだった。
当然ながらそれだけではグワラニーにはその凄さは伝わらない。
なぜなら相手の魔力の大きさや魔法の強さがわかるのは魔術師の中でもかなり上級者だけなのだから。
グワラニーが口を開く。
「できれば、私のような者にもわかるように説明していただければありがたいのですが」
「……そうだったな。すまない」
単純に気づかなかったのか、それとも目の前に広がる光景を同じ魔術師として意識が傾いておたのかはわからない。
だが、とりあえず老人はグワラニーに顔を向け謝罪の意を示した。
続けて、老人の口から言葉が漏れ出す。
「状況を簡単に説明すれば、あの町には結界が張られている」
「結界?」
結界。
もちろんグワラニーはその言葉は知っている。
だが、それはあくまでこことは違う場所から得た知識。
そのようなものを持ち合わせていることを知られてはいけない彼はその言葉を飲み込み、押し黙る。
グワラニーを一度眺め直し、答えがないことを確認した老魔術師は言葉を続ける。
「グワラニー殿は魔術師が使う防御魔法は知っているかな?」
「それはもちろん」
「では、その効果は?」
「相手の攻撃魔法から身を守るもの」
もちろんそれは老人に警戒心を抱かせぬよう配慮されたものだったのだが、さすがこれは端折りすぎた。
老人はあまりにも不出来な内容に笑いだしたくなるが、それを必死に抑えると、少しだけ時間をかけて表情を整えてから口を開く。
「ハズレではないが、さすがにそれではすべてを説明するにはやや言葉が足りない。魔法を扱う者としてグワラニー殿の言葉を補足すれば、防御魔法は大きく二種類分けられる。ひとつは魔法に対する防御。それから、もうひとつが剣や槍に対する防御だ。だが、少しだけ細かく分ければさらにもう一種そこに加わる。つまり、両者を兼ね備えたもの」
「それが結界?」
「そうだ」
……これは良い話を聞いた。
元々文官であるグワラニーにとって戦士が装着する重い鎧は負担でしかなかった。
そのため、これまでも、そして今回もグワラニーと側近の男は鎧を着用していなかったのだが、当然ながら、それは戦士に襲撃されればひとたまりもないことを意味する。
それどころか、流れ矢さえ命取りになりかねない状況だった。
……これで、安心できる。
だが、グワラニーの心の声が漏れ聞こえたかのように老魔術師は苦笑いし、言葉を続ける。
「次回の戦いから自らにそれを使うように指示しようと考えているようであればやめたほうがいい」
もちろん老人はこれまでの経験から、素人が結界の魔法を知った時にどのようなことを考えるかということを知っており、そこからその言葉を紡いでいた。
だが、それがあまりにもピンポイントだったためグワラニーは心を読む魔法があるのではと疑い、顔を歪める。
「どういうことでしょうか?」
「簡単なことだ」
疑わしそうな表情とそれを露骨に匂わすグラワニーの問い。
そして、すぐにやってくる老人の返答。
それは師が出来の悪い愛弟子に導きの言葉を与える。
まさにその表現で表わすのがもっとも相応しいものだった。
「結界とは言ってしまえば十の力をふたつに分け、五を対魔法、五を剣などの物理攻撃に対する防御にあてるようなものであり、十の力をすべて対魔法に振り分けた防御魔法の半分しか魔法防御の効果がなくなる。つまり、一見すると非常に有用に思える結界の魔法だが、実際には扱う者が相当の術者でもないかぎり中途半端なものしかできない。それはすなわち、グワラニー殿のように後方に位置する者にとってもっとも気をつけなければならない魔法攻撃に対する防御を弱めてまでそれをおこなう理由などないということだ。ついでに言っておけば……」
そう言った老人は以前あった何かを思い出したかのようにあきらかに皮肉が籠った笑みを浮かべる。
「直接刃を交えて戦闘をおこなう者たちに物理攻撃に対する防御魔法を施した場合には、それとは同類の問題が生じる」
「と言いますと?」
「その魔法は自らに見えない障壁を纏わせて剣に対する防御をおこなうのだ。当然こちらもそれを使った攻撃ができなくなる。もちろん手間をかければ攻撃は可能にはなるが、魔力と時間の両方を浪費することになる。そもそも自分の身は完全に守られ、自分の攻撃は完全に届くようにしたいなどと望むのは虫が良すぎるというものだ。仮にそんなことが実現したとして、その希望を叶えた者同士が戦ったらいったいどうなるのだ?」
……たしかに。完璧な武器に完璧な防御。それはまさに矛盾の見本。
この世界には存在しない故事を思い出したグワラニーは笑みを浮かべる。
もちろんその言葉を口にした老人も乾いた笑いでそれに応じ、剣士たちの究極の望みを墓地に送り届けるとさらに言葉を続ける。
「とにかく、そういうことで結界魔法は戦闘をおこなう者たちの防御魔法としては難ありなのだが、今あの町に施されているような形で使用するのなら話は別だ」
……その性質上、攻撃を一切おこなわず、守りに徹する者には結界の魔法は有効だと言いたいのだろう。
……だが、それではおかしくはないか。
「ですが、先ほどの説明では中途半端な防御しかできないとありましたが……」
「それがそうでもない。これは魔法全般にいえることだが、先ほどの例を使って説明すれば、十の力を半分にすれば五にしかならないが、百の力であれば半分にしても五十ある。そして、現在あの町に張られている結界は勇者でも破ることができぬくらいに強力なもの。あれひとつだけ見てもあの魔法を展開した魔術師の力がわかるというものだ。断言しよう。我が軍の部隊はあの結界があるかぎり一歩たりともあの町には入れぬ。当然、そのような者たちを相手に勝ち目はない」
「……つまり、我らの襲撃部隊は姿を現す前に負けが決まっているということですか?」
「端的にいえば、そうなる。ただし、今回の襲撃は町の占拠が目的ではないのだから結界の外に出て相手をする三人の剣士を倒すことはできれば十分な成功といえるだろう。まあ、それもそうはならないだろうが。さて、どうやらやってきたようだな」
突如現れた多数の淡い光が同族の戦士たちへと具現化していく様を眺めながら老魔術師はそう呟いた。
実をいえば、こっそりと覗き見るグワラニーたちからは戦いが始まる前から彼らは敗者の烙印を押されていた。
だが、言うまでもなく彼ら自身はそのつもりなどまったくない。
「ペパス様。正門から現れた相手は四人。剣士が三人。それから女剣士一名」
「では、手はず通り第一、第二隊は左の敵、第三、第四隊は右の敵を。本隊は私とともに中央の男を倒す」
「配置につけ」
彼らの陣形。
それは左右が各百に対し、中央が五十という一見すると不自然なほどの歪なものであるが、ペパスには目の前の敵を倒すためのひとつの秘策があった。
それは数に物を言わせて相手ひとりを袋叩きすること。
ペパスは心の中で自嘲する。
……こんなものは、策でも何でもないゴロツキの戦い方。だが……。
……名誉ある敗北より、不名誉な勝利を。
……これが王の命である以上、臣下はそれに従わなければならない。
……それに、我々にはもう手段を選んでいる余裕はないのだ。
……とりあえずひとつずつ偽勇者を潰していくしかない。
「誇り高いおまえたちには申しわけないが、敵は先日将軍六人をひとりで葬った勇者に匹敵する手練れ。一騎打ちではなく全員で一斉に攻撃して首を上げろ。恩賞は等しくわける」
「とつげ……」
「……なんだと」
中央軍の後方に位置し、全体を眺めて突撃の号令をかけようとしたペパスが呻く。
たくましい男の後ろに控えていた女剣士がこれ見よがしに掲げていた細身の剣を鞘に収めると、天空へ向けて上げた彼女の小さな握りこぶしに手のひらより少しだけ長い杖が現れたのだ。
「杖。つまり、あの女は剣士ではなく魔術師。……それに銀髪」
……まさか。
だが、ペペスの思いが最後まで辿り着かないうちに杖は振り下ろされる。
その瞬間、彼の周囲は光に包まれ、激痛が走る。
「……くそっ。雷撃か」
運悪く、いや、もちろん彼女はそのためにその術を選んだのだが、気になる程度の強さではなかったものの、実は降り続く霧雨が甲冑を濡らしていた。
そこへ雷系攻撃。
当然効果はいつも以上に大きかった。
少しの間だけ遠のいた意識が戻ると、ペパスは自らの身体を確かめる。
……痺れはまだあるが、戦闘ができないほどではない。
……やれる。
周辺に目をやると、呻きながらも、強力な防御魔法をおかげで地に伏している者はいない。
だが、そのペペスの目に飛び込んできた大きな影は味方とは別のものだった。
大剣を振り回して味方を薙ぎ払う男。
もちろんそれは中央だけではなく左右の陣でも起こっていた。
特に悲鳴が連続して上がる左側では、倒れた兵たちを踏み越えてやってきた男の戦斧によって名だたる騎士は細枝のように刈り取られ、あれほどあった数の有利さは瞬く間に埋まっている。
ペパスは悟った。
……間違いない。
……これは勇者候補などではなく、本物の勇者とその仲間。
……絶好の獲物。
……と言いたいところだが、彼ら相手ではこの数では……。
……仕方がない。
指揮官である前に剣士であるペパスにとって、自らが一合も剣を交えぬまま終局を迎えるなどもちろん不本意の極みではある。
しかし、再戦の機会がある以上全滅を防ぐために躊躇いなく最善の一手を打つ。
つまらぬ名誉に拘ることなく退く判断ができるのはこの将が優秀であることの証しといえるだろう。
だが、待っていたものはペパスの想定を超えるものだった。
「撤収を……何?」
合図を送るためにふり返ったペパスが見たもの。
それは魔術師が護衛とともにいた場所から上る火の手だった。
……全滅だと。
……彼らは強力な防御魔法を施していたのではないのか?
混乱しながらもペペスはある結論に辿り着く。
……彼らは自らの防御魔法よりも強力な攻撃魔法によって倒された。
……一撃で。
それとともに、ペペスは気づく。
これで目の前の戦いがどのような結果になろうとも自分たちは王都には戻れなくなったことを。
ペパスは中央の部隊のうちわずかに残った部下たちに向かって声を張り上げる。
「無能な私のために皆がここで死ぬことになったことを申しわけなく思う。この罪はあの世にいって必ず償う。だが、生きている限りは私の命令に従え。残った者は勇者を囲み、私の合図で一斉に斬りかかる」
「かかれ」
その瞬間、ペパスの意識は消えた。