先輩
初出勤。このドアを開ければバイトデビュー! とルンルンとしていたはずだったのに、今日のシフトを見て、私は不安に溢れている。初めての仕事だからというのもあるけれど、シフトに書かれた新しく会う先輩とどう接したらいいかと考える。バイトも学校も同じで、しかもその先輩が私の教育係だとか。
うちの学校はそこそこ頭が良くて、雰囲気が少し硬いし、1年と2・3年は別の棟に教室がある。先輩という人と関わったことがなかったし、どんな人なのか、どうすればいいのか分からないこの状況に怯えていた。
私は何度か深呼吸をして、せめてお店の迷惑にならないように頑張ろう、と目の前のドアを開ける。
ドアを開けると、バイトの制服を纏った若い男性が帽子をかぶっていた。白い制服が似合う彼に、私は思わず見とれてしまい、目が合って、やっと見すぎていたことに気づいた。
「今日入った子か……何か困ってる?」
「いえ、なんでもないです……」
急に話しかけられて、どうすればいいか分からず慌てて目を逸らす。
「そう。まあわかんない事あったら聞いて。僕が君の教育係だから」
「あ、ありがとうございます」
この人が先輩!? 思ってたイメージと違って私は困っていた。店長もせめて男の人なのか、女の人なのか教えてくれたら良かったのに。
そう思いながら案内された更衣室のカーテンを勢いよく閉める。制服に腕を通しながらさっきの先輩を思い出す。
第一印象は白が似合う人。綺麗で爽やかで優しい気がした。あと、このドキドキは多分緊張だよね……?
私は、落ち着くためにマニュアルを読み直してから業務に入った。
業務中、店長は誕生日ケーキを作るため奥に入る。だから接客は私と先輩の2人。緊張が解けない中、業務を覚え、接客をする。とはいっても接客はほとんど先輩が対応してくれた。私はそれを見て参考にする。
お客様が来ない時、先輩と話すが、どう接すればいいかわからない。慣れない環境に疲れる。
「どう?︎︎ 慣れた?」
「いえ……まだ少しだけです」
私を気にかけた言葉に、私は自信を持てずに答えた。
「でもいい挨拶してるじゃん」
それを聞いて反応に困った。というか怒られてもおかしくないと思っていたから先輩の一言に心からびっくりしたのだ。
「あ、ありがとうございます。早く仕事になれるように頑張りますね」
「うん、困ったら頼って」
先輩は面倒見がいい人で私のことをちゃんと見てくれてた。そして、まだ出来ないことばかりでダメな私に褒め言葉をくれた。そんな優しい先輩の力になれるために頑張っていたら、残りの業務時間はあっという間に過ぎ去っていた。
着替えて帰ろうとした時、
「おつかれさま! これ食べて疲れ取って」
先輩が箱を渡しながら言う。
「え、いいんですか? その、頂いちゃって……」
「これ俺が試作中のケーキで食べて見てほしいんだ! それで感想もお願いしたいんだけどいいかな?」
「わかりました! 美味しく頂きます」
「まだ美味しいかわかんないけどね。お疲れ様」
と笑いながら言う先輩に私は
「お疲れ様でした、お先に失礼します」
と今日お世話になった分の感謝を込めて伝えた。
その日は、早く先輩のケーキが食べたくて少し早歩きで帰った。まだ歩きなれてない帰り道を、寄り道せずに真っ直ぐ家に帰ったのだ。
箱を開けて香る甘い匂いが心を微かに触れた。中にはツヤツヤのチョコレートケーキ。これを食べた先輩のことを少し知れる気がした。
ゆっくりフォークを下ろした。すると、中はミルクレープで出来ていて、切った断面は幅が均等なクリームと生地の層が出来ていた。フォークに乗せた分を口に運ぶ。味は甘くて濃厚なチョコレートが先に、後からふわっとしたクレープ生地とクリームが消えていく感じ。美味しいのはもちろん、口当たりが心地よい。
お礼を言いたくて次のシフトを見る。来週シフトが被っていた。早く言いたいのに……。
学校で話しかけちゃダメかな。さすがに迷惑だよね……。今日知った人だから知人? バイト仲間? 私と先輩はなんと表現すればいいんだろう。距離感を測るのが難しい。でもこれだけは明確。早く先輩に話しかけれるようになりたい、そんな思いからこのバイト生活が始まった。
学校では、1年生は4階に、2年生は3階に教室がある。だから移動教室のときに3階の渡り廊下をわざわざ通ってみた。先輩に偶然を装って会いたい、お礼を言いたい、そういう思いがどうしても、1週間という時間を待てなかった。
どんなに気持ちが急いでも、結局、学校では先輩に会えなかったのだけど。
それから、いく日かのバイトは頑張ったものの、なんとなく物足りなかった。その理由は、言いたいことが言えてないからなのか、それとも先輩がいて欲しいからなのか。
例え、先輩がいて欲しいという気持ちがあっても、これは恋じゃない。先輩への思いは好きじゃないと宣言できる。
だって私にはずっと変わらない好きな人がいるんだから。
それは今の学校の保健室の先生。その先生がいるからこの高校に入った。まあ、そのおかげでこのケーキ屋さんでバイトしてるんだけど。
先生を好きになるきっかけは、一緒にパンを食べた時。先生の家がパン屋さんを経営してて、私はそこのパンがたまらなく好きだった。6歳差の先生は小さな時から話しかけてくれて、そこからずっとお兄ちゃんみたいな憧れの存在。今でもパンの匂いがするとまぶたに先生が写る。
先生が居なかったら間違いなく今の私はいなかった。だから先輩は好きじゃない。会いたくなるのは、ただ優しくしてもらってるからお礼が言いたいだけ。でも少し違う。先輩へのドキドキが、実らない恋を諦めろと言ってるようで、それが気に入らないのもある。だからこのドキドキがなんなのか、先輩と会って確かめてみたいとも少しながらおもっているのだ。
先輩とシフトが被ってる日の朝。やっと会える、それだけでウキウキだ。それに晴れやかな日で気分が上がる。
その日は授業をうけていても先輩のケーキの味を思い出して上の空になった。考えれば考えるほど早く会いたくなってどんどん待ち遠しくなった。それと同時に先輩を知りたくなった。なんでケーキ屋さんに務めてるんだろう、だとか、ケーキ屋さんになりたいのかな、とか。
放課後になって足早にバイト先に向かう私はドキドキしていた。
バイト先に着いてもまだ先輩はいなかった。髪を結って着替えて準備をする。ドアから先輩が入ってきた時、私は自然と笑みがこぼれた。
「おつかれさまです! この間はケーキありがとうございました! 甘くてすごく好きな味でした!」
やっと言える、それが私の言葉を少し早口にした。先輩がほっとした顔で言う。
「なら良かった! 店長に今度食べてもらって商品化出来ないか聞いてみたいと思ってるんだよね」
「私、商品化して欲しいです!」
「俺もそう思う。食べてもらいたい人がいるから」
と少し顔を赤くしながら言う。誰だろう……。私じゃない誰かだと思ったら少し羨ましくなった。そのモヤっとした感情が、聞きたいと思ってたことを忘れさせるくらい私を侵食していた。
さっきの先輩の言葉が引っかかったまま接客をする。気になるが業務中は少し忘れられて気が楽だった。けど、お客様が来ない時は先輩が話しかけてくれる。それがこの時だけは辛く、目を合わせられなかった。
「先輩はケーキを作るのが好きなのかな……」
「ん? すきだよ」
返事をされて無意識に口に出ていたことに気づく。言うつもりなってなかったことで、自分でも混乱しながら「なんで、ですか?」
と咄嗟に返した。
「それはね、家がパン屋さんなんだけど、昔余ったパンにホイップクリームとか挟んでケーキ! って言ってたんだよね。
それをお母さんがこのケーキおいしいって食べてくれるのがほんとに嬉しくて、いつか本物のケーキを食べさせてあげたいなって思ってきたから、作るのも食べてもらうのも好きなんだよね」
先輩はまっすぐだなと思った。そしてそのまっすぐさがとても輝いて見えた。
「そうなんですね! 素敵です!」
「だから商品化してお母さんに食べてもらいたいんだよね! お母さんはミルクレープとチョコレートケーキが好きで、いつもケーキを買うときは2つとも頼んでたからどっちも味わえるケーキを作りたくて! なんか恥ずかしいな」
「お母さん、きっと喜びますよ!」
その後はたわいない話をして今日の業務時間が終わった。先輩は店長の所へすぐに向かった。
私が帰る準備をしてると店長がシュークリームをくれた。先輩は試作品を作るみたいだ。とても一生懸命な顔をしている。
私に気づいてにっこり微笑み、声をかけてくれた。
「おつかれさま! 気をつけて帰ってね」
「おつかれさまです! お先に失礼します!」
家に帰る途中にカフェオレを買ってシュークリームと一緒に食べた。生地がサクサクでクリームが口当たりがもったり、でもバニラが香るカスタードはすっきりしていて美味しかった。
いつの間にかバイトがすごく楽しい。それに私もお菓子が作りたくなってきた。そう、先輩みたいに夢中になれるものが欲しくなった。
今度、先輩に普段のお礼って事でなにか作って渡そう! そう意気込んだはいいものの、先輩がどんなのが好きなのか分からないし、先輩作れないお菓子無さそうだし、凄く頭を悩ませた。焦れったくて今の私はまるでいつもの私じゃないみたいで、なんとなく変われてる気がしたんだ。




