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ロレーヌを保護した時、彼は死の一歩手前まで衰弱しきっていた。他にも数多くの奴隷が保護されたが、食事と水を与えられていただけ、ずっとマシな状態だった。私は有無を言わさず保護申請書を、当時局長になったばかりだった師匠に叩きつけて、自身の部屋でロレーヌの蘇生に一週間かかりきりで努めた。ロレーヌの事に関しては、誰一人、それこそ師匠でさえ信用できなかった。三日目に彼が目覚めた時は、疲労と安堵で気を失いかけたものだが。
「名前を言えるか」
「フェリックス……フェリックス・ロレーヌ」
その名前を耳にした瞬間、確信していたはずなのに、それでも息が詰まった。
「私の事を、知っているか?」
「サミュエル・ド・マルジェリ。母さんの、幼馴染」
「やはり、ディアナの記憶を継いでいるのだな」
「……母さんが、亡くなる前に。必要なことは、全部知ってる。だから、貴方も信頼できる」
記憶の伝承。ロレーヌの血を引くものであることを示す、最大の証。一族の者が死を覚悟した時、自身の子に先祖代々の記憶を託すのだ。いつでもその叡智を『見る』事ができるように。二つとない、目に見えない遺産だ。知る者は少ない。
「私が、裏切ったのかも知れない」
「貴方だけは、絶対に裏切らない」
「どうして、そう言える」
「母さんが、そう言っていたから」
その瞬間、今度こそ本当に呼吸を失った。ああ、ディアナ。君は、本当に。
「それに、俺を救ってくれた」
「君を、騙そうとしているのかも知れない」
彼は弱々しく微笑んで、首を振った。
「誰も、助けてくれなかった。貴方だけが、俺をあの場所から助け出してくれた。俺にとっては、それが信じる理由の全て。だから、貴方になら、殺されてもいいよ」
「なに、を……」
ふと、痩せ細った小さな手が、私の頬に伸ばされた。真っ直ぐなアメジストの瞳が、目を逸らす事を許さなかった。
「今まで、つらかったね。母さんがいなくなっちゃって、俺が生きてるかどうかすら分からなくて。ずっと独りで、探し続けて。俺を、諦らめないでくれてありがとう」
知らず、頬に涙が伝っていた。泣き方など、とうの昔に忘れていたはずだった。それでも。
この世界で、ディアナ・ロレーヌと私が幼馴染であったことを知るものなど、既に数えるくらいしかいなかった。大切に大切に、仕舞い込んで、鍵をかけて。思い出さないように。それでも忘れないように。忘れられる、はずなどなくても。
秘密の花園。交わした約束。世界で一番美しい魔法。優しい茜色の時間。
全てが押し寄せて、あの瞬間から止まっていた時の歯車が、カチリと音を立てた。
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