第45話 十五万匹のペットからの逃亡 〜慰安旅行という名の夜逃げ〜
「ジン・パパ万歳!」「我らが偉大なる家長に忠誠を!」「ご飯はまだですかー!」
帝都アルカディアの地上から響いてくる十五万人(匹)の大合唱が、地下の管制室までビリビリと響いてくる。
俺、霧雨神は、ルナに買わせたこたつの中で、頭を抱えてガタガタと震えていた。
「終わった……。俺の静かなニート生活が、完全に終わった……」
先ほど、俺が適当にハンコを押した「ヤバすぎる契約書」のせいで、天界・魔界・人間界のトップたちを含む十五万の軍勢が、すべて俺の『扶養家族』になってしまったのだ。
モニターに映る地上の景色は、まさに地獄(多頭飼い崩壊の現場)だった。
誇り高き大天使ウリエルが「ジン・パパの散歩の時間はまだか!」と尻尾(羽)を振り、氷結の魔王コキュートスが「私がパパの膝の上で寝るのだ!」と皇帝ガイウスとマウントを取り合っている。
「……ジン。彼らの一日の食費、金貨二千万枚。……この要塞を売り払っても、三日で破産する」
こたつの反対側で、ルナが無慈悲な宣告を下す。
「分かってるよ! だからどうにかしてあいつらを保健所(神様)に押し付けなきゃならないんだろ!」
俺は、先ほど空間の裂け目から落ちてきた『三界統一記念・慰安旅行の御案内状』を握りしめた。
送り主は、すべての元凶であるあの神様(クソ爺)。
世界をくっつけた慰労として、神々が隠居する『高次元温泉街』へのチケットを送ってきたのだ。
「行くぞお前ら! 慰安旅行だ! ……いや、これは『夜逃げ』だ!」
俺はこたつからガバッと立ち上がり、ジャージのジッパーを上まで引き上げた。
「クソ爺の財産をむしり取って、あいつらにかかった迷惑料(エサ代)と元の世界への帰還チケットを請求してやる! 今すぐ出発だ!」
「……お兄さん、旅行? アリス、おやつにワイバーン持っていく」
アリスがリュックサックに、こんがり焼けた巨大な鳥の足(魔族の乗り物)を詰め込もうとしている。
「生ゴミをカバンに入れるな! 旅行先で美味いもん食わせてやるから!」
「……ジン。向こうの温泉街で、帝国の国宝を転売していい?」
「密輸業みたいなこと言うな! ただのクレーム処理の旅だよ!」
俺が二人を急かしていると、壁際で控えていたメリルが、スッと愛剣を構えて跪いた。
「マスターの行く所、このメリルも必ずやお供いたします。……ですが、外で待機している『新たな家族(十五万の軍勢)』はどうなさるおつもりですか?」
「あ……」
俺は固まった。
そうだ。俺がここから消えれば、あの十五万人の忠犬たちは「パパが捨てたァァァ!」とパニックになり、帝都どころか世界を物理的に破壊して回りかねない。
「(マズい……。奴らを大人しくさせておくための『留守番の命令』が必要だ!)」
俺は冷や汗を流しながら、管制室の外部マイクのスイッチをオンにした。
◇
『マイクテスト、マイクテスト。……あー、外の皆さーん、聞こえますかー?』
俺が恐る恐るマイクに向かって声を掛けると、地上で大騒ぎしていた十五万人の軍勢が、まるで水を打ったように静まり返った。
全員が地上で正座(あるいはそれに準ずる姿勢)になり、スピーカーから響く「パパ(神)の声」に耳を傾けている。
『えーとですね。パパは今から、ちょっと遠くまでお出かけしてきます』
『『『おおお……!』』』
どよめきが起きる。俺はそれを手で制する(見えないけど)ように、さらに続けた。
『だから、パパが帰ってくるまで、お前たちはここで大人しく【お座り】して、【待て】! 絶対に喧嘩とかしちゃダメだからな! 仲良く【ハウス(留守番)】してるんだぞ! いいな!?』
犬を飼ったことのない俺が捻り出した、精一杯の「ペットしつけ用語」である。
これくらい分かりやすく言っておけば、あの連中も勝手に暴れ回ったりはしないだろう。
だが、この「お座り」「待て」「ハウス」という小市民的すぎる三つの単語が、三界のトップたちの脳内で『究極の神託』へと劇的変換されてしまったのだ。
『(お、お座り……!? そして、待て……だと!?)』
皇帝ガイウスが、感動のあまり全身を震わせた。
『(「お座り」とはすなわち、一切の武力と野心を捨て、大地に腰を下ろすという絶対平和の誓い! そして「待て」とは、神の再臨の日まで、この安寧を永遠に維持し続けろという至高の試練!)』
『おお、神よ! 我らに「ハウス(家の守護)」を任せてくださるとは!』
大天使ウリエルが、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら天を仰いだ。
『かつては血で血を洗ったこの三つの世界(天界・魔界・人間界)すべてを、我々全員の新しい「家」として愛せよという、大いなる御心……!』
『……承知いたしました、マスター! 我らジン一家のペット一同、尻尾を振って家をお守りいたしますぞ!』
魔王コキュートスが、骨の尻尾(想像)をぶんぶんと振りながら、大地に深く平伏した。
「(……なんか、めっちゃ感動してるっぽいけど、まあいっか。留守番してくれるならそれで)」
俺はマイクのスイッチを切り、安堵の息を吐いた。
すると、横で聞いていたメリルが、またしても俺の背中に向かってうっとりと手を合わせた。
「……マスター。なんという慈悲深き『飼い慣らし』。己の闘争本能を封じられた彼らは、もはやマスターの『待て』の命令なしには、瞬き一つできない忠犬となりましたね」
「そこまで言ってないよ! ただ喧嘩するなって言っただけだよ!」
「もし留守中に『待て』を破る狂犬が現れたら、帰還後に私が責任をもって『殺処分』いたしますね」
「だから物騒なこと言うな! 保健所に怒られるわ!」
俺はメリルの恐ろしい忠誠心に胃を痛めながら、手元にある金ピカのチケット『高次元温泉街・行きの切符』を見つめた。
「よし、後顧の憂いは絶った(多分)。ナビ子、このチケット、どうやって使うんだ? 改札とかあるのか?」
俺が虚空に向かって問いかけると、ナビ子の無機質な音声が部屋に響いた。
『回答。そのチケットは【次元切符】です。マスターの魔力(指)で切符を破ることで、指定された座標への【送迎】が自動で現れます』
「破ればいいのか。よし……」
俺は「ペリッ」と、金ピカのチケットの端っこを適当に破り捨てた。
その瞬間。
プァァァァァァーーーッ!!
「うおっ!?」
突如、帝都の地下深くにあるはずの管制室の空間が、まるで水面のようにぐにゃりと歪んだ。
そして、その空間の裂け目から、鼓膜を劈くような『汽笛』の音が響き渡り、猛烈な蒸気が部屋中に吹き荒れた。
「な、なんだ!? 部屋の中に電車が突っ込んできたぞ!?」
空間をぶち破って現れたのは、星空のように輝く漆黒の装甲を持った、超巨大な『蒸気機関車(SL)』だった。
機関車の先端には【銀河特急・温泉街行き】という、ものすごく昭和レトロな行先表示板がぶら下がっている。
『……送迎の【次元列車】の到着を確認。マスター、ご乗車ください』
「いや、スケールでかすぎだろ! 駅弁とか売ってんのかこれ!」
「……ジン、早く乗る。指定席、一番いい車両のチケット」
ルナがすでに切符の裏面を解読し、ちゃっかり一番豪華な車両のドアの前に立っていた。
「……お兄さん、アリス、駅弁食べたい。三つ食べたい」
アリスもヨダレを垂らしながら、列車に乗り込んでいく。
「お前ら、適応力高すぎだろ……! メリル、行くぞ!」
「はっ! マスターの御心のままに!」
俺はジャージ姿のまま、仲間たちと共に『銀河特急』のタラップに足をかけた。
ついに、すべての元凶である神様(クソ爺)との決着をつけるための、異次元への旅が始まるのだ。
◇
『プァァァァァァーーーッ!』
俺たちが乗り込んだ瞬間、銀河特急は耳を劈くような汽笛を鳴らし、帝都の地下要塞から「次元の壁」をぶち破って発進した。
「うおおっ!? なんか窓の外、めっちゃ星が流れてるぞ!」
特急の窓の外は、すでにガレリア帝国の空ではなく、無数の星々が輝く『宇宙(次元の狭間)』のような空間に切り替わっていた。
俺はビロード張りの超高級な座席に腰を下ろし、ホッと息をついた。
とりあえず、これで十五万人のペット(エサ代地獄)からは逃げ切れたわけだ。
「……お兄さん、アリス、お腹ペコペコ。駅弁、どこ?」
隣の席で、アリスがフォークとナイフを構えて俺のジャージの袖を引っ張っている。
「分かってるよ。えーっと、車内販売とかないのかな……ん?」
俺は窓際のテーブルに、奇妙なボタンと『釣り竿』のようなリールが備え付けられているのを発見した。
そこには丁寧なプレートで、こう書かれている。
『車内販売:次元の海から、新鮮な駅弁を一本釣りでお楽しみください』
「駅弁が泳いでるのかよ! どんなハイテク列車だよ!」
俺はツッコミを入れたが、アリスのヨダレが限界突破しそうだったので、仕方なくそのリールを手に取った。
窓の小さな隙間から、光り輝くルアー(ただの針)が次元の海へと垂らされていく。
「(まあ、幕の内弁当か、よくて牛タン弁当でも引っかかってくれれば……)」
俺が呑気に構えていた、その数秒後。
ギギュルルルルルルッッ!!
「うおっ!? すっげえ引きだ!」
リールがけたたましい音を立てて逆回転し始めた。
俺のHP1の腕力では持っていかれそうになったが、赤白帽の『謎の物理補正』が働き、なぜかスルスルとリールを巻き上げることができた。
「よし、アリス! 特大の弁当が釣れたぞ!」
ドンッッ!!!
俺が意気揚々とルアーを引き抜いた瞬間、特急列車の巨大な窓ガラス全体を覆い尽くすほどの『巨大な影』が、車体にへばりついた。
「え?」
窓の外にいたのは、幕の内弁当などではない。
漆黒のウロコに覆われ、無数の触手と複数の目玉を持つ、全地形対応型の『次元怪獣』だった。
「ギャァァァァァ!? 駅弁サイズじゃねぇぇぇッ!!」
俺は腰を抜かして座席から転げ落ちた。
完全に宇宙のホラー映画に出てくるラスボスの造形である。列車の装甲をメリメリと削りながら、こちらを巨大な目玉で睨みつけてきている。
「……お兄さん、すごい。特上カルビ弁当(超特大)!」
だが、アリスの目には、その悍ましい怪獣が「最高の霜降り肉」にしか見えていなかった。
彼女は窓ガラスに張り付き、ヨダレをダラダラと流している。
「……ジン。次元怪獣のトロ肉、グラム金貨一万枚。……一本釣りしたジンは、これで帝国買える」
ルナは恐怖するどころか、怪獣の目方を電卓で弾いてソロバンを弾いている。
「食えるかこんなバケモノ! 窓割られるぞ! 逃げろ!」
俺がパニックになっていると、メリルがスッと愛剣を抜き放ち、列車の扉へと向かいながら恍惚と微笑んだ。
「……マスター。アリス殿の『空腹』という些細な訴えに対し、わざわざ次元の狭間から『神話級の災厄(最高級食材)』を釣り上げてみせるとは……」
「違う! 俺はただシャケ弁当が食べたかっただけだ!」
「案ずることはありません。マスターが釣り上げたこの『弁当』、私が3分で捌いて御膳に並べてみせましょう!」
メリルは一切の躊躇なく、高速移動中の列車の扉を蹴り開け、次元怪獣に向かって斬りかかっていった。
宇宙空間(次元の狭間)での生身の戦闘など、もはやツッコミが追いつかない。
「やめろォォォ! 俺の平和な電車の旅を、パニック映画にするなァァァ!」
俺の悲痛な叫びは、怪獣の断末魔とメリルの剣閃の音にかき消された。
ピロリン♪
そして、いつものように空気を読まないシステムログが、俺の視界に浮かび上がる。
【ステータス更新】
名前:霧雨神
職業:用務員(兼・次元の密漁者)
称号:
【次元の釣り師】
(ただの糸一本で神話級の次元怪獣を釣り上げ、弁当として提供した証)
【怪獣の踊り食い提供者】
(仲間の空腹を満たすためなら、宇宙の生態系すら破壊する男)
現在の状況:
十五万人のペットから夜逃げした先で、さっそく次元怪獣を釣り上げました。アリスの胃袋は満たされますが、ジンの胃痛は銀河レベルに到達しています。
「……ねえ。俺、いつになったら普通の幕の内弁当食えるの……?」
俺の虚しい呟きは、銀河特急の汽笛に虚しくかき消されていった。
かくして、規格外の仲間たちと共に、俺の「慰安旅行(神様へのクレーム処理)」という名の新たなドタバタ劇が、ついに幕を開けたのであった。
いつもお読みいただきありがとうございます!
いよいよ最終章(第4章)のスタートです!圧倒的な食費(15万人分)から逃れるため、ジンくんは夜逃げ同然で銀河特急に乗り込みました。
しかし、普通の駅弁を食べたかっただけなのに、釣り上げたのはまさかの神話級の怪獣……!相変わらず胃の休まる暇がありません(笑)。
「アリスの胃袋恐るべし!」「宇宙空間で捌くメリルヤバい!」と思っていただけましたら、ぜひページ下部の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、大変励みになります!次回もよろしくお願いいたします!




