9話:落ち着かない理由(2)
「その通りです」
シェイラはつい、大正解! と声をあげそうになったが、相手が年上だったことを思い出した。ついつい遊び心が出てきてしまう。
「感じにくいからその感覚を得られるまで求めてしまう。それが感覚が鈍い人の行動の特徴です」
少し抽象的な説明かもしれない。シェイラはユートの例で置き換える。
「ユートさんは、常に力をいっぱい出していないと感覚を感じにくいのでしょう。常に動いていないと、体が落ち着かないのです」
「それは……授業中に姿勢が崩れてしまうことや、物の扱いが乱暴に見えるのにも関係しますか?」
「はい。動いていないと、自分の体がどこにあるのかわからなくなってしまう、という感じですね。自分の体が自分じゃないような、そんな感じです」
「…………」
「羽筆を使うような写本の時も一緒です。書いている時に力を込めないと感じにくい。常に力を入れている状態で、ゆるめ方がわからないのです。なので、無意識に力を使いすぎて、疲れてしまう。うまく字が書けなかったりして、結果いらいらするんです」
「……そう、だったんですね」
キルシュが衝撃を受け止めていた。感覚という観点がなかったからだろう。
あれもそうだったのかしら。ユート以外の子にも思いを馳せるように、つぶやいている。
シェイラはキルシュの思考が落ち着くのを見定めて、言葉をまとめた。
「──と、ふたつの感覚についてお話させていただきましたが、大事なのは、ユートさんは体を動かしたいという状態に常にあって、なおかつそれの程度が大きいので、どこかで満たしてあげたり、調整する必要があるということです」
キルシュがひとつ肯く。それから、はあ、という大きな溜息がつづいた。腹の底から出てきたような溜息だった。
「……つまり、私が大事にしている教育観の反対をいくのがユートということですね。道理で相性が悪いわけです」
「反対、ではないと思いますよ!」
どんよりした空気を醸し出したキルシュに、シェイラはあえて明るい声で言った。
「反対という軸で判断するものではないです! そのために、さきほど、わたしは先生になにを大事にしているのか聞いたのですから」
「……どういうことですか?」
キルシュが訝しんで眉をひそめる。
シェイラは、笑顔で言う。
「ここからは、今まで話したことを踏まえて、規律を大事にしながらユートさんとどう関われば良いのかお話をしましょう」
シェイラは語る。語りながら、人差し指を杖のようにふるって、宙で曲線を描く。描いた先から靄が出て、小さな人形が形作られていく。
「キルシュ師は規律を守りたい、ユートさんは動きたい、なら、先生の許可のもとに動ける時間を作りましょう」
キルシュと思しき靄の人形、ユート、それから学環の子どもたち、小さな箱庭のようなものが描かれていく。
「たとえば、先生からおつかいを頼む。授業で使う紙を取りに行ってほしい、とかですね」
「おつかい……」
キルシュが目を向けた先には、箱庭のなかで、小さなキルシュが、小さなユートにお使いを頼んでいた。
「もしくは、休憩したいです、と言ってから、十分程度動く時間を外で設けてもいいかもしれません。他の先生の都合がつくようであれば、教導館に寄って休憩するようにすれば、安全面も考慮できます」
シェイラが、ぱちん、と一度手を叩くと靄は消えた。手を開くと、また小さな箱庭が作り出されて、休憩するユートと許可を出すキルシュの像が再現される。
「でもそれは……」
キルシュの躊躇が見て取れた。
箱庭のなかで外に出ていくユートから視線が外れて、残された子どもたちに視線が残る。
シェイラはキルシュのためらいをあえて口にした。
「他の子への影響が気になりますか?」
シェイラに笑って問われると、キルシュはおずおずと肯く。自身の教育観との葛藤、と見て取れる肯き方だった。
「……ユートだけずるい、となりませんか?」
なんであいつだけ授業中に休憩していいんだよ。おれたちだって動きたい。わたしも休憩したい。
そんな声がキルシュの頭のなかには聞こえるのだろう。
「他の子にも許してあげればいいんです」
シェイラはそれを靄で描いた。
休憩したいという子どもたち。許可を出すキルシュ。
「ですが、それは……」
きっ、とキルシュの強い視線がシェイラに向けられた。敵意といらだちが混ざった、シェイラに対する反発心のようなものだった。
(いけないです。説明の仕方を誤りました)
シェイラは補足する。靄で条件を出すキルシュを描く。
「ただし、休憩してもいいけれど、授業は進むこと。わからないことは残っている友だちに聞くこと。ユートさんにもそれは伝えてあって、彼はそれでも体を動かさないとつらいから休憩していること。それを学環全体に話したうえで、他の子にも許可する。はじめは面白半分でみんな出たがるかもしれませんが、数を重ねると授業に出たほうがよいと思って、おさまります」
「もし、ユート以外に、外に出る子が増えたら、どうするんですか?」
「それは、休憩の仕方をあらかじめ決めておくことで、回避できるかと思います。外に出てユートさんとその子やその子たちが遊んでもよい状態になってしまったら、教室に戻ることができません。どういう休憩ならよいのか、あらかじめ話しておけば防げるでしょう」
シェイラの返答に、キルシュの瞳が揺れた。苦悶している表情だった。
そう簡単に言ってくれるな。戻ってこれなかったらどうするのだ。そう、思っているようだった。
(ちょっと突っ込みすぎちゃいましたかね)
シェイラには孤児院での経験がある。だが、キルシュにはおそらくないだろう。想像がつかず、煩悶しているのだと思えた。その煩悶は、当然であった。
「……あくまで案です。大事なのは、学環の規律を守りながら、ユートさんが体を動かせる時間をどこで作るのか、です。これはあくまで例だと思ってください」
シェイラはキルシュの苦悩を下げるために、やんわりと付け加えた。
キルシュの表情は曇ったままだった。
これ以上なにかを言うべきではないと判断して、シェイラはそれ以上、言葉をつづけなかった。




