78話:〈限局症〉
「そうに決まっているであろう」
ラムルは、断言をする。
「……ご存知だったのですか?」
シェイラが驚いて問うと、ラムルは大袈裟な溜息をついて大きく足を組んだ。
「知るもなにも自明であろう。そんなことで私を訪ねに来たのか」
「ではなぜ……」
それをだれにも伝えていないのであろうか。
これまでの医術師や、医療魔導師、他にもイディオンのもとには魔導師たちが来たはずだ。原因がわかっていたのであれば、手立てを講じられたではないか。
シェイラは気色ばむ。〈導脈欠損症〉の誤診について聞いた時と同じように、腹の奥でいらだつものを感じた。
ラムルは冷淡であった。目の前にいるシェイラを傲然と見下すように言う。
「言ったところで、だれも信じまい?」
瞠目した。朽葉色の双眼を覗き見る。
これまでに出会った、教師や教導師、育司士たちの目のなかに映っていたものと同じものを、ラムルのなかにも見た。
──葛藤、あるいは揺れや諦め。そういうものを。
ラムルのそれは、すでに諦念を通りすぎて、塵が積もり風化し、堆積岩のように固まってしまっているような気がした。魔導師の寿命が、通常の人より長いゆえの堆積のようであった。
継ぐ言葉を思いつかず、シェイラは唇を開いたり閉じたりした。
(この方に……)
どのように伝えるのがよいだろう。
シェイラの十八年のなかに、自分よりずっと歳上の魔導師に対する言葉は見つからない。気持ちを想像し、それっぽい言葉をかけようと思っても、嘘くさく聞こえてしまう。
なによりラムルは、シェイラが心からラムルに共感していたとしても、そういう言葉を喜ばない気がした。
なんと言えばいいのかわからない。
選ぶ言葉を、見つけられなかった。
「──ラムル」
切り開いたのは、イディオンの声変わり前の高い声だった。
だれもいない談話室に、詠嘆とした響きが残る。
「信じる信じないは一端置いておいてくれ」
「ほう?」
「これは、ぼくのことだ。ラムルが導き出したことがあるのであれば、ぼくには聞く権利があるはずだ」
「……ふむ」
「聞いて、実際に試す。その結果をもってして、そなたの言ったことが真であるとわかろう。結果を見ればわかることだ。それは得体の知れない信じる信じないというものよりも、道義であろう?」
「ふむ……」
イディオンの言を聞いて、ラムルは髪の色と同じ鉄釜色の片眉をくいっとあげた。腕を組んで、イディオンを見定めるようにする。
シェイラは、隣のイディオンを見た。
少年に流れる、第一王子として張った根や軸をふいに感じる。
おそらく、ラムルも同じだった。また片眼鏡を直しながら述べる。
「たしかにそうですな。私も表面的に信じると言われるよりはよほど耳当たりがよい」
「そうであろうな」
イディオンが自信をもって首肯する。
その自信は、どう言葉を選び取り、どう発言し、どういう見せ方をすれば、人が付いてくるのかわかっているような、堂々としたものがあった。
シェイラほど思い悩むことなく、人を寄せつける強い力。輝き。
(この子は……いえ、この方は……)
誠に為政者なのであろう。
そういう自分を持て余すことなく、甘えさせることもなく、自分を磨いてきた。原石ではなく、すでに研磨された貴石。石座から外れて転がってしまい、忘れられているだけで、その座に戻れば輝きを放つ人なのであろう。
魔法が使えないことから、シェイラはイディオンに対して、同情や、仲間意識、そういったものを感じていた。親しみとも言える感情は、時に踏み込みすぎて近づきすぎたゆえに怪我をし、だからこそ互いの傷をわかり合ってしまったような、そんなつながりがイディオンとのあいだにはあった。
だが、イディオンはガルバディアの第一王子だ。たとえ、王太子でなくても、その身には濃く王族の血が流れている。
(火傷は……もう十分です)
ヴィクトルとのあいだに横たわっていたものとは異なる。
けれど、つきっと痛むものがシェイラをさいなんだ。すうっと足を引きたくなる。
(イディさん、なんて気軽に読んじゃだめですね)
きちんと期間限定の導師として、立場をわきまえなければいけない。
そう思うと、少しだけ、ほんのわずかに、霧砂が残留するようであった。
「では、殿下のことでもございますし、この修辞の魔導師ラムルが意見を述べさせていただきましょう」
ラムルは不遜な様子で言う。
「──殿下の状態は、〈限局症〉と呼ばれるものです」
「〈限局症〉」
言い切ったラムルに、イディオンが繰り返す。
「シェイラータ導師であれば、聞いたことがあるのでは?」
「……はい」
シェイラは、気持ちが移ろうのを眺めるようにしながら離れる。
〈限局症〉という言葉を、口のなかで転がす。
六歳以降の、文字を読む、書く、数を扱う──そうした学習領域だけに、極端な困難を示す。
知っているのは、それだった。
「殿下は、魔法における〈限局症〉だと……?」
シェイラが問えば、ラムルは首肯した。
「そうだ」
「どういう状態にあるのです?」
「殿下は、呪文や魔法陣が習得できませんな」
「ああ」
ラムルが淡々と問えば、イディオンも淡然と肯定する。
「ですが、文字の読み書きはできる」
「そうだ」
「読み書きの困難さと原理は同じですな。文字という媒介を経由するから難しい。ですが、媒介を経ない会話であれば、問題なくできる」
シェイラは肯く。
思い当たる子どもだちの顔が、いくつも思い浮かんだ。
「それと同じで、殿下は、呪文や陣という媒介を経由するから難しいのです。
体系化された魔法では、必ず、呪文や魔法陣が媒介しますな。それは効力を最大化し、制御するための仕組みでもあります。だが本来、文字も、呪文も、人があとから作り上げた道具にすぎない。闇魔術の研究などが好例ですな」
シェイラとイディオンは相槌を打つ。闇の魔術は、闇を呪文によって定義することで、人が使いやすくしている。
ようは、とラムルは言う。
「殿下には、呪文と陣が合わんのですな。媒介するものが合わんのです」
「他の媒介は? たとえば、祈ればいいのか?」
イディオンが問う。
「祈祷術は試す価値はありますが、あれは身につけるのに時間がかかる。あまりおすすめはしませんな」
ラムルは、さらっと否定した。
シェイラも同意だ。祈祷術の習得は、修道師としての修行の意味合いが強い。
「そうか……」
イディオンが思い悩むように秀眉をよせる。
シェイラは、〈限局症〉という仮説に強い得心を覚えていた。
「……ラムル師は、なぜ〈限局症〉に思い至ったのですか?」
シェイラは、読み書きや算術の難しさしか知らなかった。単純に疑問だった。
「私は、修辞の魔導師だからな。師もまた文学の研究者。呪文などを研究する魔導師はそれしか学ばないでしょうが、呪文につながる可能性のある文法や修辞技法、古い物語などを紐解いているのが私だ。調べたり、現象を追っているうちに、辿り着いたにすぎん。事象としては稀だが、殿下のような状態にあるものは、九十年のうち何人か見てきた。それだけにすぎん」
ラムルの回答に、シェイラは唸ってしまった。
「……そうなのですか」
「ふんっ。年の功というやつだ」
「いえ、ありがとうございます。わたしの経験では気づかないことでした」
ラムルの尊大な様子に対して、シェイラはぺこっと頭を下げた。
敬意を表する。
人への態度に横柄なところがあっても、この人もまた立派な人であった。頭が上がらない。
「ラムル師が教えてくださらなければ、わたしは延々と殿下に呪文や魔法陣をどう習得していただくのがよいか考えるところでした。ありがとうございます」
「……ふんっ」
礼を重ねれば、ラムルは鼻息荒く、よそを向いた。
礼を言われるのもいやそうなラムルに、シェイラは苦笑しつつ、話をまとめあげるように尋ねた。
「では、殿下は、呪文や魔法陣を介さない形であれば、魔法を使える可能性が高いということですね?」
「そういうことだっ」
「その媒介するものが見つかれば、〈導脈〉の制御も可能になるということですね?」
「そうであろうなっ」
「媒介するものの当ては……?」
「知らんっ。私の専門外だ」
けんもほろろに言うラムルであった。
シェイラは、もう一度ラムルに頭を下げる。
「わかりました。ラムル師からお話を聞けてよかったです。お時間を頂戴しまして、ありがとうございました」
「ラムル、感謝する」
つづけてイディオンが謝辞をあらわにしても、ラムルの態度はそのままだった。
「用がすんだのなら、とっとと行きたまえっ。私は忙しいのだっ!」
ふんっ、とまた鼻を鳴らすと、腕も足も組んでしまった。
シェイラは立ち上がってラムルの前を通り過ぎる際に会釈をする。
ラムルは、怒りをあらわにすることはなかった。




