31話:願いの理由
シェイラの質問に、喋ったのか? と学園長からオーズ師が問われる。
「まさか。まだ、くすっともさせられてませんよ。残念なことに」
「レーネさんたちの前では話せた、ということは?」
「喋ってはないと思います。たぶん、喋ることがあったら、レーネがこっそり言いにくると思うんで」
「なるほど……」
シェイラは人差し指で、瑠璃の耳飾りを弾く。
では、持参していたモレリーのぬいぐるみの効果だろうか。けれど、そんな魔術は付与していない。ならば……
「あの声、ですかね」
シェイラがぽつりと言えば、ニカ師が疑問を口にする。
「なにが気になっていらっしゃるのですか……? 沈黙症の軽減が見られたのですか……?」
「いえ……一瞬そう思ったのですが、オーズ師のお返事の通りです。むしろ、べつの方向性というか……」
「あっ! 声って、あれですか? あの時の?」
オーズが思い出したように言う。
〈猿猴〉を前にした時の、頭のなかに直接聞こえてきた声だ。
「そうです。あれは、まちがいなくリヨンさんの声でした」
シェイラは、ぬいぐるみを通してリヨンの声を聞いているから知っている。
「あの声が、闇を縛る役割になっていたんですね」
それならば、納得できる。
起こりえそうな事態。
問題。
解決方法。
それらをすばやく思考する。
「シェイラ師、たいへん申しわけないのですが、私どもにもわかるように説明してくださいますか? うちの学園に通う子のことです。聞いておきたいです」
シェイラがひとり思考をつづけようとすると、学園長の苦笑しながらもやわらかい声が言った。
シェイラは慌てて、ぺこぺこ低頭する。
(いけないですいけないです)
つい探求する調子になって、周りを置いてきぼりにしてしまっていた。
シェイラは大いに反省しながら、辿り着いた答えを丁寧に説明しはじめた。
聞き終えた教師たちは、一様に腕を組み、黙り込んだ。
理解しようと頭に入れ込もうとしているのだろう。
一番先にそれに至ったのは学園長だった。
「つまり、リヨンは喋れない代わりに心の声を、人に伝播させられる、ということですね?」
「そうです」
要約された内容にシェイラは首肯する。
話の中心を捉えていた。
「そして、その心の声は、魔術をも発動させられる」
「ええ。状況的にそうとしか導き出せませんから」
シェイラが感じ取った闇の魔術の残り香──{守護}の痕迹。
紙片に残っていた魔法陣の描かれ方からしても、〈猿猴〉はおそらくレーネのすぐそばで、一度は形をなそうとしていたはずだ。
けれど、そうなっていなかった。弾かれたような跡もあった。
そして、あの場で{守護}を使えるのは、リヨンしかいない。
──内なる声で{守護}を発動させた。
シェイラの結論はそうだった。
「そうですか……」
学園長は、肯いて厳しい顔で黙した。
オーズ師とニカ師は、シェイラたちのやり取りを聞いて、理解に至ったようだった。
「……言葉を発さずとも、自分の気持ちを伝え、呪文を唱えられる」
ぽつりと、ニカ師が言う。
「リヨンにとっても、ペリメル家にとっても、よいことではないですか……?」
シェイラは顔を上げる。
筆頭教導師の意図をはかりかねた。
「リヨンも、リヨンのお母さまも、話せないことに困っていました。ずっと、困っていたのです。ですが、話す代わりに言葉や気持ちが周囲に通じて、魔術も使えるのであれば、吉報ではございませんか……?」
「それは……」
そう、かもしれない。
『いつか……レーネといっぱい喋りたいな』
リヨンが言っていた言葉を思い出す。
喋りたいと言っていた。どうしても体が固まってしまうのだとも。
考えると、魔法で意志を伝えられる、というのはよい解決であると思えた。リヨンの母の訴えも含めると、偶然がすぎるほどに、喋れないという困りに対するよい解決に思える。
(でも……)
引っかかる。
リヨンから直接聞いた答え、だったにも関わらず。
思考の通路に、金の針が刺さったかのような気持ち悪さを、シェイラは感じる。
「──リヨンはただ、あの時できることをしただけじゃないですかね」
オーズが、からっと言った。
不思議と、引っかかりを点灯させているような響きがあった。
シェイラは、隣のオーズを見る。
「その場で自分ができることをした。結果、そうなった。喋れるようになりたいじゃなくて、友だちを助けるためにできることはなにか。そう考えて、ただ、できるようになっただけじゃないですか? 喋れないから喋れるようになることや、なんでもいいから意志を伝えられるようになることが、そもそものリヨンの目的や願いじゃないですよね?
だって、子どもが除算でつまずいたら、除算を何回も練習しないじゃないですか。できないからそれをできるようにするとか、悪いからよくするとか、教師はそういうことしませんよね? どうして、除算ができないんだろうと考えるし、子どもが算術ができるようになりたいと言ったら、どうしてだろうって考えますよね?」
なんのてらいもない三十の教師の顔だった。
「──なんのためにそれをするか、じゃないっすか? どうして、それを願うか、じゃないっすか? リヨンが喋りたい、伝えたいと思ったのは、あの場では友を助けるためだったんですよ。リヨンのほんとうの願いは、友を助けたい、だったと思います」
オーズの言葉づかいは、粗略になっていても、そこにたしかな熱がこもっていた。
学環を笑わせることを信条としているオーズ。子どもたちをよく見ているオーズ。
真を、貫いている気がした。
(なんのために……)
願うのか。
『あなたの大事にしたいことは、なに? それを明確に抱きなさい』
ガザン師から教わったことが頭の奥で鳴り響く。金の針が溶け落ち、その言葉が不意に強くシェイラのなかに、すうっと入り込んだ。
(わたしの大事にしたいこと)
──なんとしても魔法を得たい。
自分が漠然と思っていた願い。
空っぽだと思っていた、表面的な願い。
(あの願いには、たしかに理由がありました)
ふっと過去がよぎる。
シェイラの思考が翳ろうとしたところで、学園長が哄笑しはじめた。
「不良が言うようになったじゃないか!」
「……先生」
途端、オーズは刈り込んだこめかみから先を真っ赤にしながら、恨めしそうに言う。
学園長とオーズの関係は、どうやら先生と元教え子という関係だったらしい。短い会話で察することができた。
オーズの反応に、シェイラは思わず笑う。
ニカ師も、力が抜けたように微笑する。
学園長が、ははは、と笑う。
「失礼。思わず、学園長の塗装が剥がれてしまいました。教え子の成長にむせび泣きたい気持ちですな」
「……もうやめてください、メッケル師」
オーズの恨みはあとがこわそうだ。
学園長の名はメッケルというらしい。シェイラは、はじめて知る。
「まあまあまあ。よいではないか。いい話を聞くことができたからな。──そう思いませんか、シェイラ師?」
「……はい」
シェイラは、ゆっくりと肯く。
「──ニカ師も、若者に一本取られましたな?」
学園長は面白そうに尋ねる。
「恥ずかしいですね。教育の場における困りの本質を見失っていました。筆頭教導師の名が廃りますわね。ぜひともこの機会に降格させていただき、私の担う分掌は学園長に引き継がせてもらうのはいかがでしょう? 私は一から学環で子どもたちと学び直そうかと思います」
ニカ師は、愉快で楽しそうにそんなことを言う。
オーズは、ニカ師に反論してしまったことを思い出して、すみません、と言うが、慌てたのはメッケル学園長だった。立ち上がりながら、取り繕うように手を振る。
「それはかなわんかなわん! 君がいなければ、学園が成り立たない。皆の残業が増えてしまうよ。大学府からお叱りを受けてしまう」
学園学院の残業問題は、学園長や学院長たちの必至の問題なのであった。
そこまで聞いて、シェイラも声をあげて笑う。
久々に、ほんとうに久しぶりに、腹の奥から笑いが出てきた。十八歳らしい表情を浮かべていることに、シェイラは最後まで気づかなかった。
これに気をよくしたのはオーズ師で、笑わせることに生きがいを感じているゆえか、盛大にニカ師の提案に乗った。
「俺もニカ師の授業見てみたいっす」
「いいわね。じゃあ、研究授業を企画しましょう。校務分掌は学園長の決裁と魔法でなんとかしてくれるわ」
「君たちやめてくれえ〜」
そんな会話がなされるものだから、シェイラは笑いっぱなしだった。
明日も皆仕事があったけれど、オーズ師行きつけの酒場に誘われる。学園長の奢りと聞くからには、シェイラも、足を運ぶ以外の選択肢を持たなかった。




