25話:お守り
ガルバディア王宮の中央尖塔より遥か空の上。
青雲のうえで、シェイラは腰より四枚の翅を羽ばたかせる。風の魔術と{浮遊}を合わせているゆえ、敏捷性が高く、空中での活動に向いているのがこの応用魔術だった。
──特に、今日のような、〈蟲〉との戦闘では。
「やれやれです」
頭上から振り下ろされる尾をシェイラはよけた。
〈蜻蛉〉は、トンボのような頭部と胴体を持つ一方で、尾はサソリのようであった。
サソリと同様に魔の毒も持つ。ひとたび刺されれば、数刻のうちに死に至る。薬水や、{解毒}でなければ、無効化できない。
物理的な力はそこまで強くないものの、飛翔し毒を持つために、街に出ると被害が出るのが〈蜻蛉〉だった。
シェイラは夜の修行で、これの気配を感じて、上昇してきた。
翅を動かし、距離を取る。魔力のにおいを辿って、〈蜻蛉〉も追ってくる。
シェイラは間合いを詰めさせない。
利き手の平に、円環を描く。ユベーヌ線上文字、古代サージェシア帝国の記号文字の順番に、文字が浮かび上がる。〈ユベーヌの呪い〉によって括り付けたサージェシアの古代文字は、あらゆる魔法や魔術の媒介となる。ガルバディアの音声文字は、元素魔術を呼び起こす。
表象するのは、結晶。あるいは、貴石原石。
六大元素から練り上げる。
炎、水、大地の力で練磨させ、闇の淵から拾い上げる。
鋭く尖った、澄んだ白銀結晶がいくつも精製される。
あとは、ただ意志を待つのみ。
「──穿て」
シェイラが差し向けたほう、飛ばう複数の〈蜻蛉〉の群れに、矢のように俊敏に、剣のように正確無比に、結晶石は命中する。
ずぶっ、と生き物を貫く音がいくつもつづく。
貫かれたそばから、〈蜻蛉〉はその姿が瓦解し、雲散する。
最後の一体が消え失せれば、あまい残り香だけ漂っていた。
「つまらないですね……」
上空で戦うから、霧砂は集められない。強い風で飛んでいってしまう。
シェイラにとってのうまみはなにもない。ただ、被害を出さないようにするためだけの行為行動。
(……大事なことですが)
この力をもっと前に獲得していれば、と思わざるを得なかった。
もっと前から持っていれば、自分は母を亡くさず、婚約者との──ヴィクトルとの関係も失くさずに済んでいたのではないか。三年前のできごとも起きなかったのではないか、と。
考えても、仕方のないことだった。
母の死があったから、今のシェイラがある。三年前のできごとがあったから、今のシェイラがある。
それは思うだけで、天井から伸びた氷柱の雫が、体の奥底に音を立てて落ちるようであった。
シェイラはそう感じ考える自分さえも俯瞰する。
修行を経て、自分自身を俯瞰する術を得た今のシェイラは、たまになんの想いも意志も持たない空っぽななにかのように見える時がある。それが連関して、いくつもいくつも自分を俯瞰して、合わせ鏡のように感じる時がある。
鏡心にあるものが見えず、魔境に一歩、足を踏み入れてしまうような感覚だ。
「あなたの大事にしたいことは、なに? それを明確に抱きなさい」
さすれば魔境に踏み入らずにすむ。
ガザン師は言っていた。
けれど、まだシェイラには、こうしたい、こうありたい、という明確な願いは描けずにいた。
──なんとしても魔法を得たい。
それが、かつてのシェイラの表面的な願いで、今はもう失った願いだった。
今のシェイラはただ、魔導を極めようとする空っぽななにかでしかなかった。
思考にふけっているあいだに、シェイラの体は雲より下の、王都ガルバーンの輝きに近づく。夜闇に輝く七色の光から逃げるように、高台の広場周辺の、急勾配に足を下ろした。
そこで、シェイラはまた、あの少年──イディオンを見つけた。
手摺り越しにシェイラを見下ろしていて、シェイラが気がつくと、ぱっと背を向ける。
「あっ、イディさん!」
シェイラはもう一度、たたんだ翅を開いた。イディオンを飛び越して、彼の眼前にふわりと着地する。
「もう逃げないでください!」
イディオンが喫驚して、だがすぐに、き、っと目を吊り上げる。
「失せろ」
「あの、いいものを差し上げようと思ってまして」
今日も夜に出歩いているのだ。
シェイラは腰袋を漁って、持ち歩いていたものを探し出す。
そうしていると、イディオンは不機嫌さをあらわにしつつも、怪訝に眉を寄せ、シェイラの手元を見る。
「ありましたー!」
鎖につながった、親指大ほどの丸い金属板だった。銀貨のように見える色合いで、もっと平べったい。片隅に、イディオンの瞳の色と同じファル石が小さく埋め込まれていた。
「──どうぞ、お守りです」
シェイラは金具部分を持ってそのまま差し出した。
差し出されたからつい手を出してしまった。そんな様子でイディオンが金属板を受け取る。しげしげと矯めつ眇めつ見る。
「フィシェーユの魔法のうち、彫刻魔術に属するものです。よい効果を彫り込んだので、身につけておくだけでいいことがありますよ」
「……彫り込んだ」
疑問に思ったことをつい口にした。そんなつぶやきだった。
つぶやいていることも、もしかしたら気づいていないかもしれない。
シェイラもまた応じるように付け加える。
「わたしが作りました。まあまあの自信作です。こう見えても、わたし、ちょっとすごい魔導師なんですよ」
シェイラに、特別な意図はなかった。ほんとうに無造作にそう言っただけだった。だが、聞いたイディオンの反応は凄まじいものがあった。
シャドゥーラの森に棲まう魔獣へと変化したように、憎怨の込もった目が、一瞬にしてシェイラに向けられた。
渡した金属板が、その憎しみをすべて込められたように放り投げられる。
あっという間のできごとだった。
シェイラがぽかんとしているうちに、イディは手摺りから身を翻す。
「……魔導師なんか、くそくらえ」
吐き捨てるように、少年特有の詠嘆とする声が初夏の石床に響いて消えていった。




