17話:歌唱の魔導師
「なあに、やってるの? シェイラ」
鈴鉢を打ち鳴らしたような高い声だった。だれもがその響きのある声に、はっとさせられる。
シェイラも、そのひとりだった。自身の集中がぶつんと切れるのを知って、手元の作業を止める。
振り返ると、フェノア・マリアが金の瞳のなかに悪戯な光を輝かせていた。
「今いいところでした」
「ごめんごめん。なにをやってるのか気になっちゃって。シェイラがどこにも出かけずに、椅子に座ってちまちました作業をしているなんて珍しいなあって思ったのよ。せっかくここに研究室をもらっているのに、ほとんど使っていやしないでしょう?」
たしかに、フェノアの言うとおりだった。
シェイラは一年間、ガルバディア大学府内の一室に研究室をもらっていたが、ほとんど使っていなかった。研究室の書き物机では幅も奥行きも足りないのだ。研究室同士をつなぐ次の間のような談話室があって、作業はそこの長卓を使っていた。だれも使っていないこの長卓が、物を広げるのにちょうどよかった。
そこに、フェノアから声がかかったのだ。
「使う時は使いますよ。書きまとめるものが今はないだけです。この国は珍しいものばかりなので、今は書くよりも物を集めるほうが楽しいんですよ」
「たしかにそうね。魔法王国の名前は伊達ではないとわたしも思うわ」
声から鈴鉢の響きが消えていた。{魅了}の歌唱魔術を使うのは、やめたらしい。
「それで、なにをやっていたの?」
薄布を風に揺らめかせるように、フェノアがシェイラの隣に座る。ゆるやかな金の髪が揺れながら、嫌味のない、香料のいい香りがした。
「ぬいぐるみを作っていました」
シェイラは生地を持ち上げる。ふわっと、もこっとした薄紫の生地は、頬ずりをしたくなる肌ざわりだ。
「そんなもの作ってどうするの? 新しい魔術の開発?」
「これは、とある女の子のためのものですよ」
言うと、シェイラは止めていた作業を再開した。
側面にぐるりと微細な刻印が彫られた金の針だ。針穴に橙の刺繍糸を通す。その針を持って、生地の裏地に刺繍をする。生活魔術のうち{通信}を可能とする陣を細かに縫う。針自体が魔導具で、糸もまた魔法によって紡がれたものだから、墨を用いずとも、陣は発動する。
刺繍を終えたら、生地同士をつなぎ合わせるために、端々に{導線}を描く。針に、{自動}{縫製}を加えると、{始点}から勝手に動きだしはじめる。
そのあいだに、生地のなかに詰めるモロル綿をちぎった。詰めやすいようにしてやる。椀に移すと、エリスの根を粉状にしたものを、まぶすように上からかけてやった。葵葉草と甘橙が調合されたような芳香が、綿に移り香っていく。
「エリスの根なんて、珍しいものを使うわね。ふつう、葉か花じゃない?」
興味深げにフェノアが問う。
シェイラは手を動かしながら答える。
「そうですね。けれど、これは祈りを与えるものですから。安心と、弛緩と、ぬくもりが込められています。この香りを感じれば、自然と体の緊張がゆるむように、落ち着きますように、という祈りが働くんですよ」
「へえ、聞いたことないわ。祈祷術かなにか? そういう魔導具──振り子とか装身具、陣はいっぱいあるのは知っているけれど、根だけでそんな効果が出るもの?」
「……古い魔法とも言えない魔法。おまじない、みたいなものですかね。効果はたしかですが、魔導具のほうが効果は高いです。おまじないなので、ささやかなんですよ。よければ、この粉の作り方も──」
「わかったわかった。シェイラ、絶対にその話長いでしょ? わたし、絶対に最後までその蘊蓄っぽい話、聞いてられないわ。わたしは感覚肌なの。一匙も理解できやしない」
シェイラと同じくヴェッセンダリアの〈導師〉であるはずのフェノアが、そんなことを言う。
むう、とシェイラは口を尖らせた。
(せっかく楽しい話ができると思ったんですが)
話をしているうちに、針の自動化魔術は{終点}を迎えていた。縫い付けられた生地ができあがっている。
シェイラはその生地にせっせとモロル綿を詰めていく。エリスの根のすっきりして華やかな、それでいて土のようなぬくもりのあるにおいが、シェイラの体もゆるませるようだった。
「そのぬいぐるみはどんな子にあげるつもり?」
「そうですね、これは──」
フェノアから尋ねられて、シェイラの思考は少し前に遡っていく。
──〈宵闇ノ日〉に訪れる学園で会った彼女。
彼女の担任たちから受けた相談を思い出した。
「──喋れない?」
シェイラの声は、その学園の講堂に響いた。
首都魔法学園とは異なり、この学園──ルーマン県ツェット市の魔法学園の講堂は、赤煉瓦でできている。壁面には巨大な絵画が掲げられ、なかの人物たちが楽しそうにおしゃべりをしていた。「喋れないなんて気の毒ねえ」と、シェイラの言葉に応じてくるものさえいる。
シェイラは無視して、目の前のオーズ師と、筆頭教導師であるニカ師から、つづきの話を待った。
「はい。あの娘……リヨンは学園にいるあいだ、喋ることができないのです」
答えたのはニカ師だった。茶色に桃色が混ざった髪は白髪を染めているのだろうか。キルシュ師よりも年齢は上だろう。五十くらいの筆頭教導師らしい年輪を重ねているように見える。
シェイラは尋ねる。
「なにか呪いでも?」
〈ユベーヌの呪い〉や〈ノザリアンナ呪術〉のどちらかであれば、喋らせなくすることなど造作もない。忌術であるけれど、巷間では、抜いても抜いても生えてくる草の根のように、陽の当たらない場所ではびこり巣食っている。それが呪術のたぐいだ。
「ただ学園にいるあいだ、喋らないだけですよ」
シェイラの問いに、今度は担任のオーズ師が答えた。
オーズ師は、まだ教師のなかでも若い部類に入るだろう。三十かそこら。はきはきと快活に答える様子が若く聞こえるけれど、おそらくそれくらいだ。榛色の頭髪は刈り込んであって、体術教師のような印象も受ける。
「喋らない?」
その子に意図があるということだろうか。
「リヨンは家では喋ると聞いてます。学園では、意図的に喋らないのでしょう」
オーズ師は言い切る。
言い様にシェイラは、胸骨をざらっと砂がすべるような心地がした。
雰囲気や溌剌とした様子から、だれからも好感を持たれやすい男のようだったが、言い方が好きになれなかった。嫌味のようなものが混じっているように聞こえる。
ニカ師も同じだったらしい。眉をひそめて、オーズ師をたしなめた。
「ちがいます、オーズ。あの娘の母親も言っていたでしょう。親もあの娘自身も困っているのです。喋らないのではなく、喋れないのです。担任であるあなたが、あの娘の困りをそのように捉えていてどうするのですか」
(さすが、筆頭教導師です)
シェイラに相談をしに来たということは、担任のオーズも、リヨンという子の関わり方にきっと困っているのだろう。主となる相談者が教師であるから、シェイラはその困りを解決しなければいけないけれど、一番困っているのは子どもたち本人なのだ。
ニカ師の言い方には好感が持てる。
一方のオーズ師は、両手をあげるようにして肩をすくめた。冗談なのに、と言わんばかりの様子に、シェイラは片眉がぴくつく。
(いけないです、いけないです)
キルシュ師とはじめて会った時も苛立ってしまった気がする。もう少しこの人のことを知ってからでなければ、とシェイラは自分自身をたしなめる。
「状況はわかりました。学園では喋れず、それで困っている、ということですね?」
ニカ師は強く肯いたが、オーズ師はさほど困っていないように答える。
「ちょっとした肯きくらいはできますよ。首はあまり振りませんが、意志は確認できるので、まあなんとかなっている感じです。大人しい娘ですよ」
シェイラは溜息が出そうになる。今回シェイラに相談を上げたのが、どちらなのかわかった気がした。




