13話:教え子の成長
フィシェーユの第二の〈風ノ日〉。
〈魔導霧〉が出ることの少ない真夏の時期は、学園や学院なども休校になる。子どもたちや教師たちだけでなく、サージェシア全土が一番落ち着いている時期が、この夏の期間だった。
キルシュは、室内の涼しさを感じながら、窓の外の青空を眺め、シェイラから教わった方法を試してきたこの数ヶ月のことを、ふと思い起こしていた。
(力加減……)
ユートがうまく魔法を扱えなかったのは、感覚の鈍さからくる根本的な力加減の難しさで、それが〈導脈〉という魔力生成器官の制御にも及んでいるという話だった。
疑心暗鬼の数カ月だった。
体術教師との格技を使った筋肉の制御。
感覚を数値化して捉える訓練。
加えて、魔力出力も数値として言葉にし、ユート自身が想像しやすくする。
そういう地道な訓練を、この数ヶ月つづけてきた。
(これで、ほんとうに……)
うまくいくのだろうか。
そう疑問に思いながらも、シェイラと相談をしながら、ユートと諦めずに何度も練習するのは、忘れていた若かりし頃を思い出すようであった。
(もし、うまくいかなくても)
それはそれで、いいかもしれない。
盛夏ノ休暇が近づいているからなのか、キルシュは呑気にもそんなことを思う。
「──キルシュ! キルシュ師っ」
興奮したような声が、教導館の石煉瓦に響いたのは、清夏の陽射しが厳しい、昼餉ノ憩いの最中だった。
キルシュが次の授業の準備をしていると、体術教師が、飛び込むようにやってきた。
「ちょっと来てくれ!」
呼ばれたのは教導館を出た先、講堂横の中庭だった。この時間は子どもたちが走り回っていることが多い。周りを見ずに走っている子どもを注意しながら、キルシュは歩みを進める。目元に手をかざして、陽を遮りながら中央に出る。
そして、キルシュはそれを見た。
「──先生っ!」
ユートと目があった。
いつだったか、はじめて授業のなかでおつかいを頼んだ時のように、喜びを満面にたたえて、ユートがキルシュを見る。
ユートの片手には、水が球体となって浮かんでいた。
くるくると回るように。渾天儀が回転するように。
水が、夏の陽光を受けてきらきらと輝いている。
水の元素魔術の初歩と呼ぶべき技。
見本のような完璧な球体が、ユートの手にはあった。
「先生、やったよ!」
ユートが褒めて欲しそうに、にっと笑う。猫が足元にすりよって甘えるような、キルシュのことをまるで慕うような笑みだった。
キルシュはそれを認めて、胸骨に広がるものがあった。
じん、と音がするようでもある。
目尻になにか浮かびそうになった。年齢を重ねたせいかもしれない。
体術教師と視線がぶつかって、笑みを返されれば、キルシュは自分が教導師としての喜びを──教え子の成長を感じているのだと思った。
なにか言わなければ。
そう思った瞬間、視界に、紙片が揺らいだ。禍々しい魔法陣の描かれた紙片。
キルシュは長年の経験で、肌が異常を探知した。
(なに?)
腐った、あまいにおい。
紙片から、突然現出した霧が、脅威の形を取る。
キルシュが杖を構えるのと、それがユートたちに向かって襲いかかるのは、同時だった。
「〈空蝉〉!」
セミの抜け殻を模した〈蟲〉が触覚のような長い刃を、子どもたちに向ける。何匹も何匹も、霧から形作られる。
キルシュは杖から雷撃を放った。広場では悲鳴。
まもなく、蟲の襲来を告げる鐘がなる。
「なぜ、こんな日に……!」
夏は、霧が出ないはずなのに。
キルシュの混乱は、一瞬の出遅れを招いて、〈空蝉〉の触覚がユートに振り下ろされる。
「うわああああああっ」
「ユート!」
キルシュは飛び込むようにユートの体をかばった。
石畳の砂埃をかぶるように、ふたりして転がる。
まもなく、〈空蝉〉がまたにじりよってくる。背後は講堂の壁。
(どうする?)
ユートが近くにいては、激しい魔法を放てない。巻き添えになってしまう。
(どうすれば……)
キルシュの迷いを吹き飛ばすように、瞬間、〈空蝉〉の体が勢いよく吹き飛んだ。
「かさかさうるさいですね」
──シェイラだ。
キルシュは落ちた眼鏡を直しながら、葡萄色の長外套を羽織った魔導師を見た。
シェイラが、今来たばかりの姿で、にっこりとする。
(今日は……)
〈風ノ日〉だ。導師シェイラータの訪れる日。
キルシュは、ほっとする。
魔導師に任せれば、問題ない。
「すぐに片づけるから、お待ちくださいね」
そう言って、シェイラは、〈空蝉〉の巨体を{強化}した足でいくつも蹴っては霧に返していく。
騒ぎは、まもなくして収まっていった。
「先生、できたよ!」
戦闘後の広場で、ユートが呑気に水の球体を作るので、キルシュは、肩の力ががっくりと抜ける。
「よく……やりましたね」
やっと、キルシュはユートを褒めてやることができたのであった。
〜*〜
「──助かりました」
騒ぎが終わって別室に移ると、シェイラはキルシュから礼を言われた。首を振る。
「おやすい御用ですよ」
シェイラはそれ以上、キルシュに礼を言わせなかった。魔導師が〈蟲〉を相手にするのは当然のことだ。重ねられるものはなにひとつない。
(さっきの蟲はいったい……)
突然、霧が現れ、蟲が出現した。シェイラは頭の隅に記憶として留めておく。
「──ユートが魔法を成功させました。見ましたか?」
キルシュもシェイラの心情を察したらしい。
ユートの話になった。シェイラは肯く。
「はい。ほんとうによかったです」
シェイラは目にした水の魔術を思い出す。その魔法は、シェイラにとっても思い出深い魔法で、魔法に心惹かれるきっかけとなったものだった。
「最後は飛び散ってしまいましたけどね」
キルシュが思い出し笑いをする。
シェイラも、さっきの慌ただしくなったユートの様子を思い出した。彼は彼なりに、蟲で騒ぎになった場面を和ませようと考えたのかもしれない。
「子どもってすごいですね」
シェイラは、ユートの数ヶ月の成長を称える意味で言った。数ヶ月、というのは、大人にとってはあっという間だが、子どもからすると、新しいことをたくさん覚え、成長できてしまう期間である。
「シェイラ師のおかげですよ」
ふいにキルシュはそんなことを言った。シェイラはきょとんとする。
「なにがです?」
シェイラが首をかしげると、キルシュはほがらかに言う。
「シェイラ師が、今なにができるか考えてくださったおかげです」
「えっ? ええ、でも当然ですよ。それが仕事でやってきたのですから」
当たり前のことを褒められていることに、シェイラはこそばゆくなる。
礼を言われるほどのことではない。
それは、蟲を倒すのと同じくらい当然のことだ。
シェイラが返すと、キルシュは、やさしい笑みを浮かべた。ぬくもりのある笑みだった。
「そうですね……たしかに、シェイラ師からすると、当然かもしれません。けれど、それは珍しい当然ですよ」
「珍しい……?」
「はい。今まで来た導師の方はそうではありませんでした。それに──」
キルシュは一度言葉を区切った。視線を窓の先にやる。一拍あって、言葉がつづいた。
「……少し、昔話を聞いてくださいます? 私がまだ若かった頃の話です」
キルシュは、磨り硝子の曇った先、どこか遠くを見ているように語りはじめた。




