第1節 あなたの夢は、なんですか?
夢ってなんだろう。
十六歳になったコルツ村に住むぶどう農家の息子リアンは、ずっとそんなことを考えている。
きっかけは昨日。森の中で、あの子と出会ったことだ。
その日のリアンは、ぶどう畑の仕事の手伝いを途中で抜け出し、原っぱで寝そべって空を見上げていた。つまりサボっていたのである。やるべきことを放り出し、逃げてしまったことには少しの罪悪感があった。
けれど、心に「もや」がかかったような満たされない気分から逃れるために、こうせずにはいられなかったのだ。
生きて、暮らして、働いて。
その繰り返しの生活に、何か違和感がある。その「何か」の正体はわからないけど――リアンの心は欠けて穴が空いたようだった。
そんな思春期のわびしさを抱えながら黄昏ていると、かすかに高く澄んだ音色が聞こえてきた。
「音楽……? こんなところで?」
楽器を奏でているのだろうか。まるで陽光を反射して煌めく水面のよう。きれいで、神秘的で。それでいて優しく楽しい音色だった。
気がついたら、リアンは音のする森のほうへと歩いていた。頬を撫でる風が、土と枯れ葉の香りを伝えてくる。木々の間を通り、草をかき分けていくほどに、かすかだった音色ははっきりとしたものに変わっていく。
前方に、木々が途切れて開けた場所があった。
リアンがそこで見たのは、不思議な光景だった。
音色を奏でているのは、とても美しい一人の少女だ。金糸の髪に、はっとするほど整った顔立ち。透明感のある綺麗な肌。身にまとっているのは、シンプルな白のワンピース。細くなめらかな膝の上には小さめの竪琴を乗せていて、その細い弦を指で弾くことで、キラキラ、キラキラと綺麗な音を生み出していた。
切り株に腰掛けてハープを弾く少女。その周囲には、森の動物たちが集まってきていた。野うさぎやリス、それに普段は凶暴な狼に熊まで!
森の動物たちは、少女の演奏に聴き入るように、おとなしくたたずんでいる。
「これは……いったい……」
いつの間にか、リアン自身も音楽の世界に惹き込まれていた。彼女の奏でる音色は、それが音だということを忘れるくらいに、色彩、味、匂い、手触り、それに小さな「世界」までもが表現されていた。
最後のフレーズが奏でられ、ピン……と終わりを示す一音が鳴らされると。
少女は可憐な動作で立ち上がり、ぺこりと一礼をしてから、こちらを見て微笑んだ。
「どうかしら?」
リアンは、最初はそれが自分に向けられた言葉だということに気づかなかった。演奏が終わったことを察した動物たちが、それぞれの暮らしへと帰っていくのを見送ってから。はっと我に返ったリアンは、慌てながらも本心からの感想を口にした。
「う、うん。すごくよかった。音楽も、きみも、綺麗だった」
なんだか雰囲気に押されて、普段は絶対に言わないようなことを口走っている。恥ずかしくて顔が火照ったけど、少女は本当に嬉しそうに微笑んでくれた。
「ありがとう。とってもうれしいわ」
見惚れるほど綺麗な笑顔に、さっきまでとは違う理由でリアンの心臓がどきどきと鳴った。
「わたしはセーラ。吟遊詩人として、各地を旅しています」
切り株に立てかけられた大きな背負い袋に竪琴をしまいながら、少女は名乗った。セーラ。今度はリアンも、すぐに言葉を返すことができた。
「俺はガイルの息子のリアン。よろしく、セーラ」
セーラの澄んだ空のような瞳がリアンを見つめる。純粋で、深い。彼女は旅をして、その目でいろんなものを見てきたのだろうか。
「ねぇ、セーラは旅人なんだよね」
うなずいたセーラの、淡い金髪がさらりと揺れる。
「どうして……旅をしているの?」
「どうして?」
セーラはかわいらしく小首をかしげた。
「知りたいんだ。きみのこと」
好奇心が抑えられずに言うと、セーラは考え込むように空を見上げた。
しばしの沈黙。
穏やかな風が流れて、木々を揺らす音が聞こえる。
もう見慣れた森の中なのに、どうしてだろう。目に映る色はいつもより鮮明で、耳に届く音も不思議なほどに多様性に満ちていた。
「わたしは――夢を届けるために旅をしています」
「夢を?」
「はい。今まで出会ってきた方々に。そして、これから出会うだれかに……」
ほっそりとした指先が、ハープの入った背負い袋を撫でる。
「わたしは吟遊詩人。この竪琴と歌で――数多の夢を紡いでいきたいのです」
セーラの言葉はどれも綺麗で、すっと心に届く。だからこそ、なのかな。リアンは少しだけ切ない気持ちになった。彼女と違って、自分には何もない。そんな気がして。
「だから、教えてほしいの」
木漏れ日を浴びながら、眩しいほどの笑顔でセーラは言った。
「あなたの夢は、なんですか?」