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「今日こそ返事を聞かせてもらおう」
ラルカン・デ・メディチは執務室の椅子に座り, 無関心に宣言した。彼の傍らには, 愛してやまない愛人のブランシェが勝ち誇ったような笑みを浮かべて立っていた。
「……」
二人の敵意に満ちた視線を浴びながら, 女は黙って視線を伏せた。 長い茶髪の美人だが, これまでの心労が祟ったのか, かなりやつれた様子だった。 女の名はエリザ・デ・メディチ。メディチ公爵家の正妻であり, ラルカンの妻だった。
「どうしても……こうなさるおつもりですか……」
「それはこちらのセリフだ。これだけ言えば納得してもいい頃だろう? 過去の縁にかこつけて, いつまでしがみつくつもりだ」
「過去の, 縁……ですか……」
ドレスの裾を掴むエリザの手に力が入った。しかし, やがて諦めたのか, 小さく溜息を漏らした。
「わかりました。離婚……いたします……」
「ふん, 最初からそうすればよかったのだ」
「本当ですよ。あんな目に遭わされても、今までしつこく居座るなんて、本当に反吐が出ますわ。まるで寄生虫みたい」
ブランシェの口元に深い嘲笑が浮かんだ。 面と向かって侮辱されたにもかかわらず, エリザは何の反応も見せなかった。正確には, 疲れ果てて言い返す気力すら残っていなかったのだ。
ラルカンが差し出した離婚届に署名すると, 待機していた騎士たちがエリザの両肩を掴んだ。死人のように力なく引きずられていく彼女の後ろ姿を, ブランシェは笑って見送った。
「ようやく邪魔者が消えたな」
「本当に嬉しいわ, 公爵様」
ブランシェが飛び込むようにラルカンに抱きついた。 ラルカンは笑って愛する愛人を腕の中に抱いた。先ほど追い出した妻のことなど, すでに眼中になかった。
(本当に長かった……)
ブランシェの香りを堪能しながら, ラルカンは感慨に浸った。 エリザと結婚して5年。 政略結婚ではあったが, 二人の仲は決して悪くなかった。 ラルカンは妻を尊重し, エリザは最善を尽くして夫を支えた。周囲の誰もが理想的な夫婦だと疑わないほど, 円満な結婚生活だった。
しかし, その穏やかな日々はブランシェの登場によって終わりを告げた。 屋敷の使用人として入ってきたブランシェは, 狙い澄ましたかのようにラルカンに接近した。最初は彼女を遠ざけていたラルカンだったが, 次第に彼女の毒に蝕まれるように溺れていった。
家主であるエリザはもちろん, 配下の使用人たちまでが懸念の視線を送ったが, ラルカンは意に介さなかった。 エリザの権限は一夜にして縮小され, ブランシェが見せつけるように女主人の振る舞いを始めた。ラルカンの黙認の下, 彼女は正妻の部屋を占領し, エリザを人通りの少ない別棟へと追い出した。
あまりの事態に執事をはじめとする側近たちが異議を唱えると, ラルカンは躊躇なく彼らを解雇した。そしてその空席を, ブランシェが紹介した者たちで埋め尽くした。
すべてが順調に進む中で, 唯一変わらなかったのがエリザの存在だった。 手足となる使用人を失い, 別棟に追いやられてあらゆる屈辱を受けながらも, エリザは離婚に同意しなかった。
ついに堪忍袋の緒が切れたラルカンは, 公爵家に伝わる宝剣でエリザを両断しようとしたが, ブランシェがそれを引き止めた。 愛らしく慈悲深い(と彼が信じている)愛人は, 愚かな妻を殺すよりも、もっと効率的で素晴らしい方法をいくつも教えてくれた。そして今日, その方法が功を奏したのか, ついにエリザは離婚届に署名したのだ。
「これからは俺たちを阻むものは何もない」 「まあ, 公爵様ったら」
ブランシェは恥ずかしがるふりをしておどけて見せると, ラルカンに口づけをした。ラルカンも拒むことなく, 彼女のキスを受け入れた。
そうして平穏な日々が続いていた, ある日のことだった。
「うっ……!」
温室でブランシェと共にティータイムを楽しんでいたラルカンは, 原因不明の激痛に頭を抱えた。
「公爵様! 大丈夫ですか?」
ブランシェが心配そうに駆け寄ったが, ラルカンは答えなかった。
「……」
「公爵様?」
ラルカンがゆっくりと顔を上げると, 彼と目が合ったブランシェは思わず身をすくめた。先ほどまでとは明らかに違う, 怒りと絶望が入り混じった眼光が、彼女を射殺さんばかりに睨みつけていた。
「貴様……俺に……俺の妻に、何をした!」 「こ, 公爵様!? ゴホッ!」
ラルカンの強靭な手が, ブランシェの細い首を締め上げた。
(ま、まさか、薬の効果が切れたの……!?)
ブランシェの顔が、みるみるうちに青ざめていった。




