*今日もイザベルは溜息を吐く
性癖開花編、オマケの話です。
多くの市民が訪れ盛り上がった学園祭は終わり、生徒達の関心事は次の生徒会長を決める選挙ともう一つ、不仲を噂されていた王太子と彼の婚約者イザベル・アルザス公爵令嬢の仲について、だった。
友人と昼食を食べようと食堂へ向かっていたイザベルは、生徒達のざわめく声に何事かと廊下の先を見て……「ゲッ」と声を出しそうになった。
挨拶をする生徒達へ爽やかな笑みを返して、廊下の向こう側からやって来るのは王太子アデルバード。
廊下の先に居るイザベルに気が付いたアデルバードは、脇目も振らず真っすぐに婚約者の元へ向かう。
王太子の行先に気が付いた生徒達は一斉に道を開け、イザベルの前まで一直線の道が出来る。
生徒達から注視されている状況では逃げられず、内心冷や汗を流して挨拶をするイザベルへアデルバードは蕩けるような笑みを向けた。
「イザベル、昼食を一緒に食べないか?」
「申し訳ありません。お友達と一緒に食べる約束をしています」
先約があると余所行きの笑みを張り付けて断るイザベルに、隣に立つ友人達は口と目を大きく開けて驚く。
「では、放課後だったら時間を貰えるか?」
「放課後は生徒会の引継ぎがありますよ」
「つれないな」
苦笑いするアデルバードの声に混じり、「そこがいい」という副音声が聞こえた気がして、イザベルの背中に冷たいものが走り抜ける。
残念がるアデルバードの後ろに立つオリヴァーに目配せをして、イザベルは戸惑う友人を引き摺るようにしてその場を離れた。
(全く、こんな場所で話しかけるのは止めて欲しいわ。王子様は目立ち過ぎなのよ! あら?)
食堂の入口手前で、敵意に満ちた鋭い視線を感じたイザベルは歩く速度を落とした。
友人と談笑しながら視線を動かして敵意を向けてくる相手を探す。
敵意を向けているのが下級生の高位貴族令嬢の集団だと確認し、特に問題ないと直ぐに記憶から切り捨てた。
放課後になり、集合時刻より少し遅れて生徒会室へやって来たイザベルを出迎えたのは、毛先を巻いた明るい栗色の髪を揺らし大きな目を吊り上げた女子生徒だった。
「イザベル嬢は酷いです!」
「何が、ですか? ブリアンナ嬢」
顔を合わせた途端、突っかかって来られたイザベルは眉を顰めた。
「貴女の殿下への態度です!」
一年生の生徒会役員ブリアンナとイザベルは、幼い頃からの顔見知りだ。
彼女はイザベルと同格の公爵家出身ということもあり、ことあるごとに張り合おうとする。
生徒会副会長、王太子の婚約者であるイザベルへ全く敬意を払わず、敵意を向けるブリアンナは人差し指を突き付けて睨み付けた。
「以前から思っていましたが、貴女の殿下への態度が冷たすぎます! 今日は昼食の誘いを断っていたではありませんか! 友人を優先するだなんて、王太子殿下の婚約者として相応しいものではないと思います!」
「相応しくない?」
「殿下はとても優しくて素敵なのに、あんなにも完璧な方の隣に立つのが貴女だなんて、殿下が可哀そうですわ。イザベル嬢は、以前殿下と親しくしていた女子生徒に重傷を負わせたのでしょう? 女子生徒は怪我で療養中だと聞いたわ。一部の生徒から小説の悪役令嬢のようだ、と言われている噂もありますもの。火のない所に煙は立たないでしょうから」
口元へ手を当てたイザベルは、またもや言われた“悪役令嬢”という言葉に吹き出してしまった。
「また、悪役令嬢ですか」
怪我を負わせたのは確かにイザベルだが、ミネットが謹慎処分を受けたのは課題の未提出と補習を受けなかったため。
職員室前でミネットが暴れた時は周囲に数人の生徒が居り、彼等がイザベルには非が無いことを証明してくれている。
引き続き噂話を集めてくれている風紀委員によれば、王太子の婚約者という理由で流行りの小説に出て来る悪役令嬢とイザベルが同じことをやっていると陰口を叩いているのは一部の生徒。
謹慎処分中のミネットと親しかった男子生徒数人と、目前で息まいているブリアンナと彼女の取り巻きくらい。
ブリアンナとの問答が面倒になり、イザベルは息を吐いた。
「では、貴女が婚約者になりますか?」
「え?」
思いがけないイザベルからの提案に、ブリアンナは目を丸くして数回瞬かせた。
「貴女はライクス公爵のご息女。貴族の階級はわたくしと同列です。生徒会役員の仕事をろくにせず殿下を追いかけているほど慕っているのでしたら、わたくしの代わりに貴女が婚約者になればよいのでしょう」
淡々と言うイザベルの言葉に込められた嫌味には気付かず、ブリアンナは吊り上げていた目尻を歓喜で笑みの形に下げた。
学園祭準備で忙しい時もろくに生徒会の仕事をせず、アデルバードに近付くミネットへ嫌がらせをしていたブリアンナの行動は風紀委員が収集していた。
表立って不満を口にはしなくとも彼女に対して快く思っていない生徒会役員は多い。
冷めた目で彼等は二人のやり取りを見守っているというのに。
「まあぁ! 確かに、冷たいイザベル嬢よりも私の方が相応しいですわね。今すぐお父様に伝えてそのように」
「必要ない」
勢いよく開いた生徒会長室の扉の音と、アデルバードの声がブリアンナの言葉を遮った。
「君の声は生徒会長室まで聞こえて来た」
「申し訳ありません、殿下?」
瞳を輝かせてアデルバードを見上げたブリアンナの表情が凍り付く。
「イザベルに代わり私と婚約する、だと? 君の婚約者はどうするのだ?」
普段は柔和な口調で、優し気な眼差しをブリアンナへ向けてくれるアデルバードは、別人の様に冷たい視線で彼女を見下ろす。
「殿下がご心配されなくても、婚約者はお父様にお願いして破談にしてもらいますわ」
「く、はははっ」
「で、殿下?」
肩を震わして嗤い出したアデルバードに対して、ブリアンナは戸惑い助けを求め周囲を見渡す。
生徒会役員達は呆れと憐みを込めた視線をブリアンナへ向け、彼女を助けようとする者は誰もいなかった。
一頻り嗤ったアデルバードは、イザベルの側まで歩むと腕を軽く掴んだ。
「イザベル、下らない冗談は止めてくれ」
「冗談ではありません」
冷たく言いイザベルは横を向く。
婚約者の座を本気で譲る気だったイザベルに肩を竦め、アデルバードは侮蔑の視線をブリアンナへ向けた。
「いずれは使えるようになる、と思っていたがとんだ見込み違いだったな。ライクス公爵の推しもあり、イザベルの後を継げるような生徒会役員になるかと思って目をかけていたが、それを勘違いして生徒会役員の仕事を怠るどころか私の婚約者になるだと? はっ、ここまで愚かだったとは」
初めて向けられるアデルバードからの敵意を感じ取り、ブリアンナは恐怖のあまり震え出す。
「君にイザベルの後は任せられない。今すぐ生徒会役員を辞めてもらおう」
「そんな……私は殿下のことをずっとお慕いしているのに、イザベル嬢ばかり優遇されて狡いですわ」
「狡い? 勘違いしているのは君だろう。イザベルは努力を怠らず学園のために尽力しているのだ。それに私はイザベルを愛している。イザベルを傷付ける者は私が全力で排除しよう」
アデルバードの手が下がっていき、逃げようとするイザベルの腰を抱く。
「あら? わたくしに苦手意識を抱いていたのではなかったですか?」
目撃者が居なければ密着するアデルバードの足を踏んでやるのにと、イザベルは腰を撫でる不埒な手の甲を軽く抓る。
力いっぱい抓るのは危険だと判断し、力加減は彼が悦びで恍惚とならないように調節した。
「普段は冷たいのに、時折可愛い反応をするイザベルが好きなのだ」
力加減を調節したのに、アデルバードはうっとりと蕩ける笑みで言い、イザベルの全身に鳥肌が立った。
「気持ち悪い!」と叫びたいのを我慢して、腰を離そうとしないアデルバードを無視することにしたイザベルは、床にへたり込んだブリアンナを保健室へ連れて行くよう生徒達へ指示を出した。
生徒会の打合せ後、王太子専用執務室へ連れて来られたイザベルは、テーブルを挟んで向かい合わせに座ったアデルバードを睨む。
「で、どういうつもりですか?」
「何のことだ?」
彼の下らない企みのせいで、またもや生徒達から悪役令嬢と噂されていると知り、怒りが沸々と湧き上がる。
「わたくしの後任に、という理由でブリアンナ嬢を気にかける振りをして、彼女をその気にさせていたでしょう? 冷たくされた時の彼女の様子から、殿下は自分に好意を持っていると信じていたと思いますよ」
わざとイザベルに見せ付けるように、馴れ馴れしく擦り寄るブリアンナへ優しく接してしていたのは生徒会長としてでもなく、王太子だからではない。
その気になったブリアンナが流行りの小説になぞり、気に入らないミネットを利用してイザベルの悪評を広め、悪役令嬢に仕立てようとしていたのは分かっていた。
涼しい顔をしているアデルバードは、ブリアンナのやっていることを全て分かっている上で彼女をその気にさせていたのだ。本当に質が悪い。
「イザベルが睨んでくるのは楽しかったな。私は生徒会長として、後輩を気にかけていただけなのに、勘違いする方が悪い。イザベルを悪役にしようとした女子生徒は、しばらくの間静かになるだろう」
「……本当に悪趣味ですね。ブリアンナ嬢を婚約者にされるのでしたら、わたくしからも持参金を付けて差し上げるのに」
幼い頃からアデルバードに憧れているブリアンナなら、彼の特殊な性癖を丸ごと受け入れて思う存分罵ってくれるだろう。熨斗をつけて婚約者の座を譲りたいくらいだ。
性癖うんぬんもあるとしても彼の本当の目的は、イザベルの悪評を流し悪役令嬢に仕立て上げようとするブリアンナと取り巻き達への牽制。
王太子権限で王家の諜報員を動かして、イザベルの悪評と他生徒への嫌がらせの証拠を集めているのは、アルザス公爵家の情報網で掴んでいた。
分かっていても素直に感謝の言葉を口に出せない。
「婚約解消を期待していたのか? 冷たいな」
芝居がかった仕草で軽く首を横に振り、俯いたアデルバードは悲しそうに目蓋を伏せた。
「でも……冷たいイザベルが好きなんだ」
ゆっくりと顔を上げ、ソファーから立ち上がったアデルバードの瞳は仄暗い光を宿していた。
ローテーブルを乗り越えて近付くアデルバードと目が合い、イザベルの背中がゾワリと泡立つ。
ぎしり、軋み音で我に返ったイザベルは、ソファーの背凭れに手をつき腰を折ったアデルバードの腕の中へと、閉じ込められていた。
逃げたくてもソファーに座っているため逃げ場がない。
焦る心を見透かされたくなくて彼を睨んだ。
毛を逆立てる猫のように威嚇するイザベルを見下ろし、目を細めて笑ったアデルバードは熱を持つ赤い頬へ手を添えた。
更に近くなる二人の距離と、膝に触れるアデルバードの股間部。
「ちょっ、触らないでくださる?」
自己主張する股間の状態を知り、高まる貞操の危機に追い詰められて考えるよりも早く防衛本能が働く。
アデルバードが口を開いた瞬間、イザベルは右足で彼の無防備な脛を蹴っていた。
「ぐっ!」
痛みで呻いた後、「あぅ」と小さく声を漏らした彼は苦しげな息を吐く。
脱力したアデルバードは頬を赤く染めた恍惚の表情となり、まさかという思いからイザベルは濡れた彼の股間部を見て……後悔した。
悲鳴を上げそうになるのを堪え引きつった顔を上げれば、頬と目元を赤く染めた変態と目が合う。
(あああー!! またやっちゃったー!!)
またもや性癖を刺激して昇天させるお手伝いをしてしまったのだ。
気持ち悪さのあまり、我慢できなかったとはいえ自分が嫌になり、イザベルは片手で顔を覆う。
「愛しているよ」
身を屈めて抱き付くアデルバードの濡れた股間が膝に触れ、嫌悪感からイザベルの瞳に涙の膜が張っていく。
「私を想って泣くイザベルも……ああ、泣き顔も可愛い」
顔を近付けてくるアデルバードの頬と胸に手を当てて、これ以上近付かないように必死で押さえる。
「想っていない! この変態っ!」
罵ってもご褒美にしかならないと分かっていても叫ばずにはいられなかった。
「気持ち悪いから着替えてください」
「抱きしめさせてくれるなら着替える」
「はぁ!?」
よく分からないやり取りの後、呼び鈴を鳴らしたアデルバードは侍従が用意したズボンと下履きに着替えた。
主の状態を見ても顔色一つ変えなかった侍従は、慣れているのか淡々と職務を全うしているだけなのか。イザベルは尊敬の眼差しを彼に向けた。
新しく淹れて貰った紅茶を一口飲んで、イザベルは気持ちを落ち着かせる。
「イザベル」
イザベルの隣に座ったアデルバードは、イザベルの肩を抱き寄せて彼女の耳元へ唇を近付けた。
「婚約解消は出来ないと、そろそろ諦めろ」
「嫌です。変態と結婚なんかしないわ」
「私をこんな体にしたのはイザベルだろう」
「くっ、語弊を招く言い方をしないでください」
約束だからと開いた膝の間に座らされたイザベルは、腰に当たるモノが何なのか考えないようにして下腹部を撫でる手を押さえた。
卒業式まで、あと半年を切った。
卒業式までに婚約の解消、もしくは疵物になってもいいから婚約を破棄してもらわないとこの変態と結婚させられてしまう。
王太子妃になるのは嫌ではないし王太子としてのアデルバードは嫌いではない。だが、毎日彼の性癖に付き合っていたら確実に精神を病む。
完全に逃げられなくなる前に、アデルバードの心を射止めるヒロインが現れてくれるのを願い、イザベルは天井を仰いだ。
変態王子様の人気に嫉妬して、この話を追加しました。
王子様の性癖を刺激するため、当て馬?にされたブリアンナや謹慎中のミネットも絡んだ話も考えているので、時々話を追加するかもしれません。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。