⑥ 在りし日の心の支えとなれの果て その二
六話目です。
よろしくお願いします。
「お前、は……!」
確かに倒した。倒したはずの最初の敵がそこにいた。
1mを超える巨大なイタチ。元は白かったはずの毛皮を、首に刺された傷から流した血で瞳と同じ色に染め、頭上を飛び越えた四つ足の姿勢から振り返りながら後ろ足で立ち上がる。真っ赤に染まった全身で憎々しげにこちらを睨み、見下すように怒りの熱の息を漏らした。
(なぜだ……! あの状況を生きて切り抜けたのは、凄い。が、まだそれは良い。理解できる。だけど! なんでそこまでして僕を追ってくるんだ!? 獲物に逃げられた。反撃されて怪我もした。そのままこちらの策略通りに大勢の【マモノ】に襲われた。それで怒るのも憎しみに囚われるのも想像の範囲内。でも、野生の【マモノ】ならば体を治すのが追ってくるより先だろうに!?)
まるで、たとえ死んでも復讐することが全てのような、そんな執念。
粘つくほどの執着を感じる。それも、ただ殺したいだけではない。それだけならば寝ている隙に襲ってくれば事足りた。なのにそれをせず、嫌がらせと、自分がやられた策と同じく弱らせて他の敵に襲わせることまで策をめぐらせることに終始した。あれほど面倒臭いことをしてまでも。
ただただ、こちらの目的を邪魔することができるなら、その為に死んでしまっても構わないとでも云うかのように。
(そんな……それじゃあまるで、【人間】じゃないか!)
そこまで考えて、気づく。全身の血流が沸騰し、残りの血液が逆流した。
「まさか……まさかお前も、同じ、なのか……?」
⦅オマエ……コロス……オマエダケ、ヤスラカニナド、シテタマルモノカ……!⦆
こちらの質問に応えるかのように強烈な念話が届いた。
唇を嚙む。
(迂闊だった。僕自身にコタンさん。たった一日で同じ境遇の存在に出会ったというのに、他にも同じ存在が近くにいる可能性を失念していた。全く考慮していなかった。こんな簡単な見落としをしてしまうなんて……!)
コタンさんが出会ったのが、人間一人の一生よりも長い年月でたった二名だったと聞いて、安心してしまっていた。油断だった。
(自分がいるなら他にもいると、自らが【マモノ】ベースだったと聞いた瞬間に思いついていなければいけなかったのに!)
思えば、あの狡猾な罠の数々は、確かに【マモノ】ではなく【人間】の業だった。あんな所に人間がいるはずがないと思い込み、考えから外してしまった。
(そうと気づいていれば、対処の仕様はあったのに……)
今更だ。今更遅い。あとは直接対決するしか道はない。
なぜこの、人の記憶を持つ【マモノ】が、憎しみだけでは説明がつかないほど自分にここまで執着しているのかは分からない。
けれど、あの表情を見ただけで、話し合いを考えるだけ無駄だと分かった。コタンさんの時とは状況が違う。違い過ぎた。
ふらつく体でペーパーナイフを口に咥える。リュック(インナーバック)は降ろさない。あとから拾う暇は多分ないから。相手から目を離さずに、ヒモを体に巻きつけて固定した。詰めた荷物で残っているのは、ペーパーナイフ一本と薬草四束半。
(あとはこの、体と心、それだけだ!)
自分のものではない記憶と心。
(それでも、これはもう僕のものだ。大切だから手放さない。大切だから守るんだ。大切だから、この心と記憶が大切だと思うものも、大事にするんだ! 心と記憶に操られているからじゃなく、僕の、僕自身の意思で、だ!)
負けない、敗けない、退かない。あんな意味の解らない理不尽なんかに負けられない。
目的も行き着く先も、あそこにある。届くところに見えている。
(あの場所にたどり着く。たどり着いて見せる。必ずだ!)
体のスイッチを入れる。重力に任せて体が傾く。
次の瞬間、足先が土を蹴り上げた。同時だ。両側から二つ同時に土煙が高く上がった。
互いに同じタイミングで前に出た。全力の足跡を爆発的に大地に刻み、激突したら消し飛ぶ勢いで肉薄する。これまでの連戦で体の使い方は完全に思い出していた。
上と下から互いの武器が交差して、ナイフと爪が音を奏でる。体重は違い過ぎる。だから、鍔迫り合いにはならない。なってしまったら一瞬でこちらが終わる。
【マモノ】のネズミの身体のバネを利用して、ペーパーナイフに重心を移し、変則に回転しながら相手の力を逃がし、同時にブーメランのように遠心力を利用してこちらの力を増幅させる。カーブを描く刃の連打を様々な方向から敵のあちらこちらに叩き込む。
秒間何発になるのか、数える気にもなれない程の音のビートがあたりに響く。有効打が入らないイタチが煩わし気に爪を揃え、両の抜き手を繰り出した。残像しかないスピードで刃の全てを迎え撃つ。
闘いが始まってからお互い無言。ここまで多分数秒しか時が動いていない。刹那、同時に息を切らしたか、またもや同じタイミングで左右に離れた。中距離まで後退しても、視線は互いを離れない。
長い吐息。そして吸い込む息吹音。
「Kyyyyyyyyy……SSitt!!」
甲高い澄んだ音の大爆発。意味の無い叫びの音に全てを込めて、両者が放つ。バネを利かせて上下前後左右と剣舞。少しづつ角度をズラしながら回転し、爪に当たらないよう捻りを加えて何度も何度も繰り返される。ここまで互角。死角を求めてどちらも七割ほどに力を抑え、隙を伺い膠着している。
体の傷が急激に増えてきた。けれどそれはあちらも同じ。互いに躱しきれない攻撃が増えてきている。互いの動きとパターンに慣れてきたのだ。増えた傷に深みが加わり消えない筋が刻まれてゆく。
それでも、どちらも一歩たりとも譲らない。下がらない。
ネズミの信念は、まだ見たことのない幼馴染みに命の薬を渡す為。ならばイタチの方は何を求めてここにいるのか。
互いに深く傷が入った。深手とまでは言えないが、止まらない血がまたもや溢れ、全身全てを染めてゆく。ビシャリビシャリと液体の音。染まり終え余った血潮が辺りに飛び散り濃密な霧と臭いの空間を造り出し始めている。
血の塊がさらに容赦なく飛散した。ネズミが転がりナイフが離れた。イタチも膝をついている。荒い呼吸。からむ視線。互いを睨む、微塵も諦めてなどない視線。
「き…ハァハァ、き、かせ……ろ」
ネズミが睨んで問を発した。
⦅ナァ……ニィ……ヲォオオダァ……!⦆
イタチが憎々しげに念を飛ばした。
「なんで、ここまでする……!? お前を傷つけたかもしれないが、襲ってきたのはお前が先だ。それで怒るのは筋違いだ。お前の怪我もひどいじゃないか。最初から怪我が治りきっていなかっただろう。でなきゃ、いくら僕が闘い方の本能を思い出したとはいえ、この体格差でここまで互角にずっと打ち合えるはずがない。その治療すらしないままで、追ってきた理由はなんだ。本来なら、いくら恨みがあったとしても、体を治すのが先だろう。死んでしまったら意味がない。なのに、なぜ……なんでだ!?」
イタチの言葉がしばらく止んだ。そして、
⦅ワカラ……ナァイ……⦆
そう答えた。
「なんだって……?」(どういう、意味だ……?)
⦅ワカラナァイ! ダガ! ムカツク! イラツク! ユルセナイノダ、オマエガ!!⦆
「だから、なんで……」
⦅ネタマシイ……ウラヤマシイ……ナゼダ、ナゼコンナキモチニナルノダ、ナンデ!? ナンデオマエハ、オボエテルノダ!!⦆
「……え?」(いま、なんて……?)
⦅オマエハナンデオボエテルノダ、オマエダケ、ナンデ! モクテキヲ! ネガイヲ! ノゾミヲ! オレハナニモ、ナニモオボエテイナイノニ!!⦆
「……まさ、か」
イタチは涙を流していた。血の色の真っ赤な涙を流していた。そして、叫ぶ。
⦅オレハオボエテイナインダ……タイセツナモノ、モクテキガアッタハズナノニ! ナノニ、オボエテイナインダ! ナニモナイ! オモイダセナイ!! タイセツナ、タイセツナ、タイセツダッタハズナノニ……ナンデェ!!?⦆
「……ッッ」
唇を、噛む。
⦅キエテシマッタ……! ワスレテシマッタ……! コンナニクルシイノニオモイダセナイ!! ナノニ……ナノニ……!⦆
全力で抑えないと、首が下を向いてしまいそうな気分だった。視線を逸らしたら死ぬ闘いの最中なのに、それでも下を向いてしまいたかった。
(……これが、コタンさんの言っていたことか! これが、一度覚えたものを忘れる、忘れてしまうということなのか……ッ! こいつが……こんなものが!!)
イタチは、忘れてしまったのだ。森の輝石の欠片を手にすることができないままに。それどころか、命よりも優先したはずの目的を、果たせないまま、それを忘れてしまったのだろう。
(こいつが僕の未来の姿、なれの果て、ということか……!)
衝撃だった。【忘れる】ということを甘く見ていた。
一度手にしたものを無くすということは、最初から持っていないこととはまるで違った。中身は全て無くしてしまうのに、そいつを無くしたということだけはいつまでも覚えているということなのか。
「……なんて、怖ろしい……」
それはまさに、地獄そのものだった。
(こんなもの、呪いじゃないか……。最初から無かった方がよかったくらいだ! 果たすことが難しい望み。だからこそ死んだ誰かは森に入った。命を懸けて森に挑んで殺されたんだ。なのに、この仕打ちか。果たすことが難しい望みだからこそ、受け継いで引き継いでも、果たせるなんて限らない。大半が途中で忘れ、こうなるんだ。たとえ、望みを果たせたとしても、忘れてしまえば同じことだ。果たしたことすら忘れてしまうこともあるかもしれない……!)
体が震えた。死ぬ恐怖なんて比べ物にならないほどに、こちらの方が怖ろしかった。
元に戻る、元の【マモノ】に戻るだけなんて、そんな簡単なものではなかった。
(なんで、こんな目に……)
【マモノ】というだけで、どうしてこんな酷い目に遭わないといけないのだろうか。ネズミの目からも涙が溢れた。体が重い。その瞬間、無防備な背中に骨の矢が突き刺さった。今度はしっかり刺さっている。下を向かないことに精一杯で、背後にまで気が回らなかった。
「グッ……!」
足が崩れて肩とアゴが土に当たった。視線だけ上げてイタチを見る。
⦅ナンデオマエハオボエテルノダ……ナンデオマエダケ!! オマエノノゾミハカナワナイ! カナエサセテナドヤルモノカァ!!⦆
恨み、妬み、嫉みを叫ぶ。
人の心を受け継いで、人の心を忘れたイタチは、その周囲に骨の矢を何本も浮かべて構えていた。
(そういう……ことかッ)
全力で走っているこちらの身体に、何度も何度もずっと当て続けるのはおかしいと思っていた。
「そいつが、お前の能力、か」
小さなものを周りに浮かべ投げつける力。限定的な念動力。それで矢を浮かべながら、並走した状態で撃っていたのだ。
(どう……り、で)
目が回り、視線が外れた。顔が落ちる。地面の草が口に入った。
力が抜ける。血が足りない。ここまで、なのだろうか。
顔を斜めにずらし、目だけ上げてイタチを見る。まだ泣いていた。
(これで、良いのかもしれない。あんな風に忘れ、忘れたことだけ覚えて生きるよりも、ここで、死んでしまった方が……)
涙が落ちる。落ちた粒が草に乗って光っていた。
そこに、映る。借り物の記憶が走馬灯のように浮かんでは流れてゆく。光の中に笑顔がはじけた。
コタンさんがいた。コハクがいた。そしてその奥の方に、ナーシャがいた。記憶の中のあちこちに、どこもかしこにもナーシャがいた。笑っていた。綺麗な顔で嬉しそうに全力で笑っていた。
魅力的で、胸が痛んだ。
彼女の笑顔に逢いたい。そう思った。
力が湧いた。全部借り物の記憶、借り物の心だけど、この思いだけは借り物ではなく本物だった。そう、思えばずっとそうだったのだ。単純な事。とても単純なことだった。
ネズミは彼女に恋をしたのだ。
だからここまで来れたのだ。
種族も違う。言葉も違う。面識もない。あちらは人で、こちらは【マモノ】だ。姿を見られたならば、彼女は自分を殺すだろう。【マモノ】だということだけじゃない。彼女の幼馴染みを殺したのだから。その体を食べたのだから。それは何の理不尽も引っかかる理由すらもない、至極当然の反応なのだ。
けれども。だけど。だからこそ、それでもだ。
(彼女に逢いたい。彼女を助けたい。笑顔が見たい。死ぬのなら、せめて彼女に殺されたい!)
願った。祈った。今度は全て借り物ではなく自分のものだ。
力が湧いた。まだ死ねない。
「僕を殺すのは、殺して良いのは、お前じゃない!!」
叫びながら立ち上がる。血が足りない。薬草を一本食った。まだ足りない。腕から落ちる血をすする。皮を剥がして噛んで喰う。何とかもう一度闘う力を取り戻した。
矢が迫る。飛び退る。避けた先へとまた迫る。横っ飛びで転がりながらペーパーナイフを拾って咥える。地面に刺さる矢が止んだ。尽きたのか。転がるのを止め口で構えて立ち上がる。
泣いているイタチがいる。憐れに思った。けれど、死んでやる訳にはいかなくなった。
「同情はする。だけど、僕はお前を殺して先に行く。受け継いだ願いと、僕自身の望み。両方をともに叶える為に」
僕の変化に気付いたのだろう。イタチは目の色をさらにどす黒い赤に変え、泣き叫びながら全身全霊で突っ込んできた。
僕は体を捻りナイフを咥えたままで縦にして、全ての力を背筋のバネに送り込む。瞳の奥から光を発するかのような気合を込めてナイフを噛み砕く覚悟で食いしばり、気合一閃、車輪のように縦回転で回転しながら地面を削ってイタチの方へ突き抜けた。
一瞬だった。削られた地面が噴煙のように辺りに漂う。
互いを行き過ぎて、無言。少し離れた背中合わせで両者が止まる。
同時にふらつきよろめいて、そしてイタチのみが腹から血を噴出してドウと倒れた。
⦅ナン……デ、ェ…………⦆
悲し気に最期に疑問をつぶやいて、人の記憶に翻弄されたイタチが逝った。
「僕は、行くよ。名も知れぬイタチよ。名は知らないが、僕はきっとお前のことを忘れない。じゃあね。僕は、先に行く。この、先に」
ズレたバックを背負い直し、ペーパーナイフを杖にして、一歩、一歩とネズミが行く。目に見える目的地、ナーシャの待つ故郷の村までは、あと少しだ。
今回のストックもここまでです。
次話は、「⑦ 彼女の選択 その一」です。
月末までにはなんとかします。
お待ちください。
PS.すみません、10月末は更新難しいです。
打ち込みが間に合わないのと、まだ七話目の仕上げ部分の下書きが完ぺきではないので。
来週、二話分、八話まで載せますので、お待ちください。
その時、タイトル変更もしようと思います。
新しいタイトルは、「命輝戦記~黒憶の森の物語~」です。
ネズミの章は、序章 ネズミの章としてまとめます。
よろしくお願いします。




