25 兄、友に学ぶ/?
俺達の輪の中にしぶしぶといった風に入ってきたパトリシア王女だが、初めはガスパールとの距離を掴みかねていたようだった。だが、実は彼女も猫を筆頭とした大の動物好きということで話が弾みだしてきた。
「そうなのよねー、こっちが抱っこしたり撫でたいと思っても、結構逃げられるのよ。猫ってば自由な生き物だわー」
パトリシア王女は、一瞬前までは猫を抱いていたのが突然逃げられたであろう写真を眺めてしみじみと言った。
「ああ、その写真か。そうなんだ、どうにか抱いている写真を撮りたいと思って苦労したのだが、結果はそれだ」
はっはっはとガスパールは朗らかに笑う。
「なのだが、オレは昨日猫に逃げられないコツをつかんだ。そうだ、マルセル。お前が教えてくれたんだぞ」
唐突に話を振られ、俺は何のことだと首をかしげる。
猫に逃げられないコツとな?
我がアルダートン家では猫は飼っていない為、当然俺は猫を懐かせるような技術は持っていない。
「えー、お兄様! 私にも教えてくださいまし! お友達のお家に招かれたとき、いっつもそこの猫に嫌われてしまいますの!」
ミシュリーヌが飛びついてくる。
う~ん、何だか分かる気がする。
猫にそっぽを向かれてショックを受けているミシュリーヌの姿がありありと浮かんできた。
そういえば、原作ゲームでも主人公に嫌がらせをしようとしたら鴉に追いかけれたり犬に追われたりというシーンがあったものなぁ。
「私もぜひ知りたいわね」
パトリシア王女も入ってくる。
と、言われましてもこちらには全く覚えが無い訳で……。
「おいおいガスパール、俺はそんな技をお前に教えた覚えはないぞ。むしろお前が教えてくれよ!」
慌ててガスパールに頼むと、我が友はきょとんとした顔をした。
「そうか? マルセルならば動物相手でも簡単だと思うのだが」
「我が家では犬猫の類は飼っていないから、分からんよ」
ずいぶんと買い被られたものである。
「ふむ、ではオレから改めて教えるが……。そうだな、猫に逃げられないようにする為には、猫が逃げない時を見計らって接すること。これに尽きる」
「えー、それだけですの?」
「……何というか、迷路の出口は入口ですとでも答えられた感じね」
ミシュリーヌとパトリシア王女は不満げな感想をもらす。
「当たり前だとは思うが、大切なことだぞ? オレはあの日――マルセルと剣の勝負をして帰った日に、疲れや胸に満ちた新しい気持ちを落ち着ける為に猫達には関わらないでいたのだ。そうしていると、いつもは何とも素っ気ない態度のマデリーという猫が自分から寄って来てな――こいつだ」
ガスパールはアルバムをめくり一匹の猫を指さす。
そのマデリー、ガスパールを遠巻きにして、様子を見るような態度を表していた。
他の写真にもいるがどれも距離を取っていて、近くで写っているものは一枚もない。
「それまで覚えている限りでは一度も触れたことは無かったのだが、その時は向こうの方から近づいて、俺の前でごろんと横になってな。まるで撫でろと言わんばかりの態度だったからそっと手を伸ばしたら、簡単に触れる事ができた」
自分の手を眺めながら、しみじみと語るガスパール。
その目はとても優しい色をしている気がした。
「いいですわね~」
「偶然じゃないの?」
「俺も初めは珍しい事もあるものだと思った。のだが、猫たちをよく見ているうちにふと気づいた。猫たちにもそれぞれその日その時の気分があるし、オレの気分についても猫たちは観察しているのだ、と。多分マデリーは、俺を元気づけようとしてくれたのだろうな」
ガスパールはそこにいないマデリーへ感謝を捧げるように言った。
「そうしてそれが、あの勝負の時にマルセルが俺の事を――他人の事をとことんまで考えてくれていた事と結びついてな。オレにオレの都合があるように、猫には猫の都合がある。それなのに、自分の都合ばかりを優先してしまっては、上手くいかないのも道理ということだ。自分の都合を無理に通す前に、相手にそれを受け入れて貰えるかを考えなければいけなかったのだ。だからこの写真は、ただ我を通すだけだった自分を写している言わば戒めだな」
ガスパールは晴れやかな顔でそう言った。
なんだか、大人の余裕的なものを感じるぜ。
「ちょっと長くなってしまったな。まあ当たり前と言えば当たり前のことなのだが、マルセルに敗れるまで、俺はそんな当たり前の事にも気づいていなかったのだ」
「だから、あの勝負は俺の勝ちではなく引き分けだと言っているだろう」
そこはこだわるのかガスパール!
「最後の一戦はそうと言えばそうかもしれないが、それ以前のは完全に俺の負けだったろう。お前は気を使ってくれているのだろうが、あまりに謙遜するのは逆に敗者に対して礼を失しているというものだぞ。それに俺は、あの敗北からかけがえのないものを貰うことができた。俺の宝を、共につくったお前に否定されるのは悲しいぞ」
たしなめるように言うガスパール。
確かにそうだよな。こだわっていたのは俺の方かもしれない。
何か、目の前にいる友人がとても大きく見えた。
男子三日会わざれば刮目して見よとはよく言ったものである。
「お二人で盛り上がっているところ悪いんだけど、もう少し私達にも分かるように話をしてよねー」
不満げなパトリシア王女。
見れば、ミシュリーヌも隣でうんうんと頷いている。
あのねぇ、結構友情を感じられるいいシーンだったと思うんですけど。
「おお、そうだな。分かりやすく言うと、マルセルとの勝負を通じて、俺は他人の視点に立つ事の大切さを学ぶことが出来た。それで、猫との正しい付き合い方を習得する事も出来たのだ。なのでこの事はマルセルに教えられたと言っても過言ではないというわけだ」
結構過言だとは思うのだが、あえて口にしない程度の度量は俺も身に付けた。
「ふぅん、猪武者を開眼させるとは、やっぱり面白そうねマルセルは――」
パトリシア王女が俺に再び先刻と似た瞳でそんなセリフを紡ぐ、が――
「けど、猫の気持ちを汲める騎士というのも、面白いわ。これならば、その名の通り獅子にまで化けるかもね」
パトリシア王女は興味深そうにガスパールを見つめる。その視線には、これまでの遺恨は含まれてはいない。王女は王女で相当度量が広いと思われる。
「ねえ、今度これまでの無礼無沙汰のお詫びという名目でランベルト家に招待してよ。私も猫達の気持ちを知れるように成りたいわ」
「……ああ、オレだけでなくランベルト侯爵家としてもこれまでの数々の無礼をきちんと――」
思いっきり額面通り受け取るガスパール。
「だから名目だって言っているでしょう! 猫の気持ちを察する前に女心を察しなさいよねー。そのままじゃ猫騎士のまんまよ!」
盛大に突っ込みを入れるパトリシア王女。
何だかんだ言い合いながらもお互い楽しそうで良かっ――。
俺はふと、部屋の中空、照明の魔道具のある辺りを眺める。
何だろう。
具体的に言葉には出来ないこのもどかしさ。
だが、そこに――その先から何か不快な感覚が湧いて出てきてしょうがない。
一体何――、いや、誰だ?
「どうしたんだいマルセル?」
ブルーノが俺の様子に気づいて声をかけてくる。
エドワーズ王子も心配そうにこちらを見ている。
「ああ、いや何でもないんだ。まだ酒が残っているのかも――」
何故だか、相談しようという気持ちが起きなかった。
この感覚を説明することはできない。
「それは大変ですわ! そういえばさっきのお水の残りが!」
ミシュリーヌが慌てて瓶を取って持ってくる。
「ああ、ありがとう――」
受け取り、行儀が悪いが口をつけて直接飲む。
原因が違うのだから結果などは得られないはずだ、が――。
「《これで、お兄様の気分を悪くしているモノが消えますように》」
ふと、それまでの違和感がふつりと掻き消える。
部屋の中空を見るが、そこにもおかしな気配は感じない。
一体何だったんだろう。
「ありがとうミシュリーヌ、持ってきてくれた水のおかげですっきりしたよ。やっぱり酒のせいだったようだ」
俺がそう言うと、みんなはホッとしたようだった。
「……なあミシュリーヌ、心配してくれたのは嬉しいんだが、どうして上位古代語で話したんだ?」
俺が聞くと、ミシュリーヌは不思議そうな顔をした。
そう、あの時――俺の違和感が消える直前にミシュリーヌが発したのは、確かに上位古代語だった。
「あら、私今上位古代語で話していましたの?」
「ああ、確かに使っていたぞ」
気づいていなかったのか。
「う~ん、お友達にもたまに言われるんですのよね……。それで、思い返してみれば使っていたような気がするときもあったりなかったりで――」
無意識ということだろうか。
「でも、その方が良いと思った時に使っていた事が多いですわ」
顎に手を当てて思案に耽るミシュリーヌ。
本人も分かっていないのならば仕方がない、俺もガスパールにならって、ミシュリーヌの様子を観察してみることにするか。
そうこうしているうちに父上と母上が戻ってきた。
それを契機に俺のお見舞い兼お茶会は終了となり、俺達はそれぞれと再会を約束して別邸に帰ったのだった。