第7話「だから、確かめたくて」
口の中の唐揚げを飲み込んだ奈央は、その勢いのまま椅子へと腰を落とした。
「そりゃ、あいつ、他人に興味なさそうだけど。瑞椛が言うのはそういうことじゃないよね?」
「そ。だから奈央ちゃんにしか言えなかった」
瑞椛は朝の挨拶をした男子生徒を思い出す。あの慌て方は、瑞椛を異性として意識していた証拠だ。奈央が常々言っている『瑞椛は可愛い』というやつだろう。
自意識過剰に思えて瑞椛としては認めたくないことだ。しかし、事実として認めなければならない。それに気付かなかった結果が、中学二年の時に起きたトラブルなのだから。
「瑞椛がそう感じたなら、それが本当なんだろうけど」
「けど?」
「それで瑞椛が藤下をすごく気にするのが、わからん」
奈央の言うことはもっともだ。異性として恋愛的な視線を向けられなかっただけで、こんなにも気になるのはちょっとおかしい。
「確かに……」
「確かにって、自分でもわかんないの?」
「昨日、一緒に帰る前の段階まではわかるんだよ」
「助けてくれたって人かもって?」
「そうそう、それそれ」
ヒーローかもしれないという問題は、奈央には言えないが昨日の内に解決した。それだけならば、お礼を言って終わったとしても何の違和感もない。
あの時の自分はなぜ、彼の裾を引っ張ったのだろうか。なぜ、自分の名前を呼ばせたのだろうか。
瑞椛は箸を置いて頭を抱える。その拍子に後頭部のヘアゴムがズレた。後で結び直そう。
「わかんないので、ちょっと考える」
「オッケー、まとまったら教えて」
「うん」
奈央はふたつ目のおにぎりにかぶりついた。
横目で見た藤下は、野菜ジュースのストローを吸っていた。昨日は牛乳だった。コロッケパンと違い、飲み物は変えているみたいだった。
午後の授業を受けつつ、瑞椛は昼休みの疑問について考えていた。教師の話を聞き、ノートを取り、昼下がりの眠気に耐える。当然のように思考はまとまらない。その結果、ノートに妙な落書きが増えていった。
結局、なんの成果も得られないまま、放課後を迎えることになってしまう。
「瑞椛っ」
「んあー」
「うわ何その顔」
元気よく瑞椛の肩を叩いたのは奈央だった。苦悩に歪んだ瑞椛を見て驚いている。
「だーめだー。お昼の話、なんにもわかんない」
「そうかぁ。まぁ、別に急ぐことでもないでしょ?」
「そうなんだけどねー」
そういえば髪を結び直すことすら忘れていた。瑞椛はお気入りのピンクのヘアゴムを引っ張る。長い黒髪がばさりと背中まで落ちた。
「じゃ、部活行くよ」
「うん、またね。頑張って」
瑞椛は髪を持ち上げながら、視線だけで奈央を応援した。両手がふさがっているため、手を振ることはできなかった。
「よしっ、と」
斜め後ろを見ると、藤下は帰り支度をしていた。きっと彼のことだから、このまままっすぐ駅まで向かうのだろう。どこかで、あの三本足の鳥と落ち合うのかもしれない。
(そうだ)
瑞椛は鞄を持って席を立ち、窓の方向へ足を向けた。
(気になる理由、直接確かめればいいんじゃん)
簡単なことだった。悩む必要などなかったのだ。
「ねぇ、藤下くん」
「ん?」
椅子から腰を浮かしかけていた藤下は、瑞椛の呼びかけに動きを止めた。その表情は、基本の顔のままだ。
「駅まで、一緒に行こ」
「……は?」
藤下は露骨に困惑していた。基本の顔が崩れかかっているのがわかる。ただし、それを認識しているのは面と向かっている瑞椛だけだろう。
「ええと……」
「んー? あっ」
藤下の泳ぐ視線を見ていた瑞椛は、昨日ことを思い出した。藤下は朝に黒い塊と戦い、帰り道に狼のようなものと戦っていた。もしかしたら、今日もその予定があるのかもしれない。
「無理なら無理でもいいよ。ごめん、忙しいよね」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「そうなの? じゃあよかった」
「まぁ、うん」
藤下の反応が妙に煮え切らない。瑞椛ではなく、別のところを見ているようだった。藤下の視線を追うことで瑞椛はようやく状況を理解した。
(あー、なるほど。周り気になるよね)
昨日ほどではないが、クラスの注目が集まっていた。瑞椛が男子に話しかければ、嫌でも目立ってしまう。藤下はきっと、これを好まない。
「ええとね、藤下くん……」
昨日と同じく、勢いだけで動いてしまったことを後悔してしまう。藤下が絡むと、なぜか上手くいかない。なんとか場を取り繕う言葉を探しても、簡単に出てくるものではなかった。
「うわー、なにこれ可愛いー」
沈黙しかけた教室に、楽しげな声が響く。瑞椛たちへの注目が弱まった気がした。
思わず振り向いた先では、山木、持田、石島が談笑していた。山木は一瞬だけ瑞椛の方を見て、にやりと唇を曲げた。
彼女は朝、瑞椛と藤下が近付くことを望んでいた様子だった。つまりこれは助け舟だ。
「藤下くん、行こ」
「えっ」
瑞椛は藤下の袖を引っ張った。そのまま引きずるように、足早に出入り口へと向かう。教室を出る際、瑞椛と山木の視線が交差した。
(なんかよくわからないけど、ありがとう山木さん)
(いいってことよ)
もちろん山木のモノローグは瑞椛の想像だが、そんなことを言っているような目だった。
「引っ張っちゃってごめん」
「いや、いいけど」
藤下が着いてきてくれているのを確認した瑞椛は、袖から手を離す。大胆な行動でも、藤下の態度は変わらなかった。混乱はしていても、慌てたり急に上機嫌になったりする様子はない。
「坂、下、さんは、なんで俺と?」
廊下を歩きつつ、藤下が問いかける。瑞椛を呼ぶのがぎこちなくて、少し面白かった、ただし、彼の質問は当然の疑問だと思う。
「それがね、わかんないの」
「はぁ?」
「だから、確かめたくって」
上履きからスニーカーへと履き替える。よく見ると藤下と同じメーカーだった。そんな些細なことでも瑞椛の頬は緩んだ。
「嫌じゃなければ、付き合ってもらえないかな。駅まででいいから」
「まぁ、いいけど」
「ありがと」
学校から駅までは約十五分。その間に、瑞椛は自分の感情を確かめようと思う。
藤下との飾らない会話は、とても気が楽だった。




